今週の一言 2014年2月6日

 「国民の祝日」には天皇制にちなむものが多いということは、あまり知られなくなってきました。たとえば戦前制定された「明治節(11月3日。1873年より天長節、1927年より明治節として制定)」は明治天皇の誕生日です。それを戦後の1948年「文化の日」と改称して継続させたのです。しかし同時に廃止された休日もあります。それが「紀元節(2月11日。1872年制定)」です。なぜでしょうか。

 大前提として歴史学的には、日本という国の建国の日付は紀元前660年2月11日である可能性が低いという理由があります。「紀元節」は日本書紀の神話記述(実在信憑性の低い神武天皇の即位の日)に基づいて割り出されました。

 廃止の最大の理由は、明治維新からの80年に渡る侵略の歴史に対する誠実な反省です。明治憲法においては、現人神天皇の神聖不可侵性と陸海軍の統帥権が明記されていました。その憲法の文言に即して、天皇を頂点とする「国家神道」が人為的につくられ、「天皇の軍隊」が徴兵制によってつくられました。教育現場では「皇民化教育」によって思想統制がなされ、アイヌ・琉球・台湾・朝鮮の人々への「同化政策」も侵略範囲の拡大と共に広がりました。

 「紀元節」は、このような政教一致した全体主義侵略国家に存分に政治利用された「祭日(まつりごとの日)」でした。民族主義を高揚させるための道具です。たとえば日本軍によるシンガポール陥落の目標日は2月11日とされました。「皇紀二千六百年」という単語に踊らされて、1940年2月11日に国威発揚のための祝賀を強制されたことを覚えている人もいることでしょう。

 その一方でキリスト者も含む社会的な少数者の人権は抑圧されました。異なる政治的意見・民族・思想・信仰の存在そのものが敵視され、戦争に役立つ者たちだけが重宝されたからです。天皇崇拝の強制は良心に対する迫害でした。

 1950年代から保守系議員による紀元節復活の声が高まり、1966年「建国記念の日」が政令によって定められました。その時期、長期間にわたって日本バプテスト連盟は、政教分離原則・平和主義に基づいて「建国記念の日」の制定に反対しました。この抵抗は今でも続いています。2月11日を「信教の自由を守る日」と呼び続け、「建国記念の日」の廃止を求め続けることによって。(JK)