4月 ≪うれしい出会い≫
ご進級・ご入園、おめでとうございます。神さまからの祝福(「おめでとう」という語りかけ)が豊かにありますように、心からお祈り申し上げます。
4月9日に、ほし組・こひつじ組の始業式がありました。進級おめでとうございます。黄色と青色の名札がとても似合います。落ち着いた写真撮影の様子で、今までの成長を感じることができました。
4月10日に、すみれ組の入園式がありました。入園おめでとうございます。いづみ幼稚園にようこそ。わたしたちはみなさんに出会えて、本当にうれしく思っております。保護者のみなさんには、「泣いても笑っても大丈夫」と安心して登園していただける環境をつくっていきたいと思います。
園長や教員も一名代わりました。担任が変わった子どももいます。短期の子どももこひつじ組に一名入園いたしました。4月12日現在で、ほし組26名、こひつじ組30名、すみれ組32名が「いづみの子」です。うれしい出会いを楽しみながら、これから一年よろしくお願いいたします。城倉啓(じょうくら けい)
5月 ≪園歌に思う≫
さわやかな季節です。子どもたちの笑顔のおかげで、わたしたちの心にもさわやかな風が吹きわたります。
「あおぞらのしろいくも/ゆびさして/みどりのくさふみしめ/かたをくみ/あかるいえがおかわしつつ/なかよくいこう」と園歌の前半にあります。本当にその通り、今の季節にぴったり合っています。そして自画自賛で恐縮ですが良い歌詞だとしみじみ思います。ちなみに、教会では「本当にその通り」という意味で、「アーメン」という言葉を使います。この園歌のもと、4・5月の主題どおりの「うれしい出会い」が湧き上がり、起こされることを願っています。
さて園歌の後半は次のように続きます。
「いづみのこどもは/主のこども/せかいのこども」。「つ」に濁点であるところがレトロで良いですね。「主」というのは「神さま」という意味です。いづみの子どもだけが神の子なのかと思いきや、最後の一行で大逆転があります。「せかいのこども」だと歌い上げるからです。
世界中の人とうれしい出会いができる人、どんな人とも肩を組み仲良くできる人がいづみから湧き上がることを願っています。
みなさま、良い連休をお過ごしください。 城倉啓(じょうくら けい)
6月 ≪いじめはなぜいけない≫
5月は親子遠足もあり、参観日Weekもあり、保護者の方々と触れ合いながら一緒に保育に取り組むことができ感謝なことでした。ご協力に感謝いたします。連休明けにすみれ組もお弁当と午後の保育が始まりました。子どもたちが着実に幼稚園生活に慣れてきていることをご報告いたします。
「いじめ」という言葉に違和感を覚えます。ことがらが軽く扱われているように思えるからです。正確には人権の侵害と言うべきなのでしょう。その方が、「だめなものはだめ」と言い切ることができるように思えます。なぜ人をいじめてはいけないのか、合理的な理由はありません。侵してはいけないことがある、多数決によっても奪えない自由があるとしか言いようがありません。固い言葉で「天賦人権説」と言います。すべての人は生まれながらにして人間らしく生きる権利/貶められない権利を持っているのです。
天賦人権説はヨーロッパでキリスト教の隣人愛の思想から生まれました。「すべての人は神から愛されている。神のそっくりさんとして創られ生まれた。だから平等なのだ。だから愛し合おう」という聖書の教えが人権思想の原型です。
子どもたちは無邪気に遊びあいます。その中で、厳密に言えば友人の人権を侵害するような言動がお互いにありうるでしょう。それはある意味で自然の発露です。未然に防ぐことを目指すのは現実的ではありません。むしろ葛藤が起こることを学習の一環としたいものです。つまり、「だめなものはだめ」と、理由がなくても堂々と言う大人の役割が必要です。そのやり取りの中で、大人も子どもも人権思想を身に着けていくのでしょう。神と人とに愛されながら。 城倉啓(じょうくら けい)
7月 ≪暦≫
6月の名栗保育を終え、7月のプール保育へ、いづみの一年が動いていきます。それぞれの月の大きな行事が定まった周期で巡り、一つの暦を形成しています。
米国生活でとまどったことはこの暦の違いです。具体的には休日が異なることに驚きました。7月4日に「独立記念日」なるものがあったり、1月にマーティン=ルーサー=キングJr.牧師の記念日があったり、知らない休日に外国独自の歴史を学びます。また、逆に日本にしかない記念日の存在に改めて思いを馳せることもできました。
8月15日は、その最たるものです。お隣韓国では「光復節」として祝われている、日本の植民地支配からの解放の日、そして日本では敗戦記念日です。では米国ではと言えば、全くの無視。8月15日はただの平日でした。第二次世界大戦からほとんど休むことなく戦争をし続けている米国にしてみれば、いちいちの戦争が終わった日を勝とうが負けようが気にしていられないのでしょう。何となく拍子抜けの8月をかの地で過ごしていました。
日本に帰ってきて嬉しかったことの一つは、慣れ親しんだ暦に戻ったことでした。8月6日と9日は原爆投下の記念日、15日はポツダム宣言受諾の記念日であり続け、報道も「二度と戦争という愚かなことを繰り返さない」という論調になります。決まった時季に平和の大切さを覚えることができるのですから、暦には教育的な力があります。1945年以降の大切な伝統として守りたいものです。
9月 ≪隣人≫
二学期が始まりました。日焼けした子どもたちとお会いすると、楽しい夏休みを過ごしたことがうかがえ、こちらも嬉しくなります。
9月1日は関東大震災からちょうど90年という節目でした(1923年)。それは震災のどさくさまぎれの朝鮮人虐殺事件から90年が過ぎたということです。あの時は、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが虐殺のきっかけでした。1910年に朝鮮半島を日本が併合して以来の差別が下地にあったからこその暴挙でした。
1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災の際、在日朝鮮・韓国の年輩の方が、「また殺されないようにデマに気をつけろ」と言い合ったと聞きます。住宅が密集している貧しい人々の住む地域の被害がより深刻だったとも聞きます。
阪神淡路震災は日本社会の中で多くのボランティアが育つ機会ともなりました。多くの美談の陰で、しかし悲しい告発もありました。避難所などでの女性たちへの性暴力が存在したという事実です。
そして2011年3月11日に起こった東日本大震災、今も続く東京電力福島第一原子力発電所事故です。
共通項は、天災が起こると人災の部分があぶりだされるということ、天災が人災を引き起こすことがあるということ、そして日常不利益を被っている人がそのまま「災害弱者」になるということです。いつもどんな人とも肩を組む構えを持っていないと、いざという時にも仲間になれないのでしょう。いづみで習った飯盒炊さん・カレーライスの技術を、いつか被災者支援の場で子どもたちが活用してくれたらと願います。困っている誰かの隣に座る人にお互いがなれるように祈ります。 城倉啓(じょうくら けい)
10月 ≪寛容≫
運動会が終わりました。絶好の運動会日和に支えられ、全体としてとても良い運動会だったように思います。涙があり笑いがありました。子どもたちの成長が確認できたことと思います。保護者のみなさまのご協力あっての運動会、本当にありがとうございました。
碑文谷公園への遠足も終わりました。これまた絶好の遠足日和に支えられ感謝なことでした。いづみの保育は積み重ねを重視しています。毎日の徒歩通園、親子遠足、お散歩公園、そして今回のたてわり遠足です。1時間の徒歩をすみれ組の時からすることで、羽根木公園や井の頭公園に公共機関を使って行くこと、さらに高尾山への山登りや名栗保育・雪の保育へとつながっていきます。一人ではできないことも仲間と一緒ならばできるようになります。人は群れで育ちます。♫どんどこどんどこ♫
今月の聖書の箇所は、「愛し合うこと」を勧めています。すこし抽象的です。何をすることが愛し合うことに当たるのでしょうか。
今日、愛の具体例としてお勧めしたいことは「寛容であること」です。非寛容な世相の真ん中で寛容に生きるということに価値があるように思えるからです。
「ヘイトスピーチ」をご存知でしょうか。「名誉毀損」に当たる言葉の暴力を相手にぶつけ、公衆の面前で人格の尊厳を踏みにじることです。またSNSなどでの暴言・罵詈雑言もそれに類します。その根っこに「非寛容」があるように思えます。寛容/愛とは相手を好きになることではありません。仮に嫌いであっても言ってはいけない言葉を知り、それを控えるということです。いろいろな人がいて良いという構え、相手との適切な距離を保つことです。これなら明日から実践できそうです。城倉啓(じょうくら けい)
11月 ≪思い煩い≫
今年は台風の上陸が多い年のように思えます。被害に遭われた方々の苦労を覚えます。いづみまつりも延期され、一層行事の多い11月となりました。ほし組の山のぼり、シアター上演会、収穫感謝礼拝、そしてアドベントと盛りだくさんです。
さて、気配りができる人はすばらしいと思います。同時にいろいろなことに気づくからこそ心を配ることができるのでしょう。視野が広く細やかな人格という意味で美徳です。
その一方で聖書は、気配りの弊害も指摘します。それが「思い煩い」という事態です。現代的に言えば気疲れの類です。ギリシャ語の原意は「心が分裂する様」です。いろいろなことに気を配らなくてはならないことが心の負荷となってしまい、ストレスがたまってしまうことが、確かにわたしたちにはありえます。まさに悪い意味の「心配」、大人にも子どもにもあることです。
聖書の示すストレス解消法は単純です。それは「ありがとう」と言うことです。とりあえず何でも感謝すること、そうすると、細かいもやもやが吹き払われるというのです。だまされたと思って、お試しください。 城倉啓(じょうくら けい)
12月 ≪わかちあい≫
いづみまつり、お疲れさまでした。ご協力のおかげをもちまして、大変盛況で楽しいひと時となりました。毎週のアドベント礼拝+演奏会、みなさまお楽しみのことと思います。各クラスのクリスマスの準備も熱が入ってまいりました。
噂というものは悪い内容のものほど早く伝わると言われます。陰口というものは悪趣味ですが楽しいものです。クリスマス物語は、そのような俗悪な文化に対抗する、建設的な文化を創るように推奨しています。
野宿労働者である羊飼いにとって、「あなたの町に救い主が生まれた」「この赤ん坊があなたを苦しい生活から救い出す」という天使からの言葉は、「良い知らせ」でした。「良い知らせ」のことを「福音」と呼びます。イエス・キリストの伝記を「福音書」と呼ぶゆえんです。
羊飼いたちは嬉しさのあまり、真夜中、町に行って救い主を探し出し、赤ん坊のイエス・キリストに会います。会ってさらに嬉しくなり、自分たちの受け取った「良い知らせ」と、自分たちの会った救い主についての「良い知らせ」を、近隣に言い触れ回ります。実に無邪気で素直な人々です。
良い噂を広めることには価値があります。城倉啓(じょうくら けい)
1月 ≪未来への希望≫
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
年初は未来への希望や自分自身の抱負を確かめる季節です。旧約聖書の原語であるヘブライ語では「未来」は「後ろのことがら」と表現されます。ちょっと変わっています。未来は前の方にありそうなのですが(日本手話などでも)、ユダヤ人は「未来は後ろにある」と観念していたようです。
そのイメージはボートを漕いでいる姿に似ています。ボートを前に進めるために、わたしたちは後ろ向きに座り、櫂を漕ぎます。ボートの前方は自分の背中の方角にあるのです。わたしたちは基本的にはボートの後方の風景、すなわちボートが通った跡を見ながら、時々前方を確認しつつボートを操舵します。未来は自分の後ろにありつつ、歴史は前へ進んでいきます。
「過去に目を閉ざす者は現在についても見ることができない」とは西ドイツ(当時)の大統領ヴァイツゼッカーの言葉です。彼は敗戦後40年を迎えた1985年にこの有名な言葉を吐きました。自分たちがどこを通って来たのか、たとえばナチス・ドイツがなした大虐殺の罪責などの「過去の負の歴史」を直視することの必要性を説く言葉です。
新年の希望を語る際に、わたしたちは旧年中の絶望を見なくてはいけないように思います。世の中の悲惨、日常の嫌な出来事をきちんと見据える時に、闇の中に光が立ち現われ、その星がわたしたちの未来を導くのでしょう。城倉啓(じょうくら けい)
2月 ≪平和≫
「平和」の定義をどのように考えられるでしょうか。戦争が無い状態を平和と言うのでしょうか。日本の平和教育は反戦教育に偏っているように思えます。戦争の悲惨さのみを伝えても、戦争のイメージは広がるけれども、では平和とは何かということについて想像/創造することが困難になるきらいがあります。何が平和であり、どうすれば平和を実現できるのか、平和教育はそこに主眼を置くべきでしょう。
「和」という字はノギヘンに口と書きます。ノギヘンは穀物を意味するのだそうです。ですから「和」とは食卓を囲んでいるイメージです。そのことを「平らに」行うことが平和です。誰もが満腹できるだけの食物をいただき、どんな人とも食卓を囲むことができる状態が、漢字自体が持っている「平和」のイメージでしょう。
そして漢字文化圏だけではなく、驚くべきことに聖書にも「平和とは多くの者が等しく満腹している状態だ」という考えがあります(マルコ6:42)
巷で煽られている「イスラム教徒/唯一神教は怖い・戦争ばかりを起こす」という言説は論点のすり替えと矮小化です。貧困こそが紛争や戦争の原因だからです。もし8割の食物を独占している2割の北の住民が、2割の食物で我慢を強いられている南の住民に、うまく食物を配分し、差別なく食卓を囲むことができれば、世界は平和になります。
いづみの保育の一つの特徴は、「共に食べる保育」というところにあります。みんなで協力して料理したものを同じ食卓を囲んで食べることを、さまざまな場面で行なっています。もちつき大会は、日本の伝統文化といづみの保育のほどよい調和によって成り立つ行事です。みなさんのご協力に感謝しています。このような行事を楽しく行えるところに、小さいながらも平和が実現していると信じています。 城倉啓(じょうくら けい)
3月 ≪光の子≫
天地創造の物語の最初に、神は第一日目に「光」を創ったとされています。しかし、このことは第四日に太陽など光を放つ天体を創ったことと調和が取れません。天地創造の際の光は物理的な意味の光ではなさそうです。そうであれば七日間で全世界を創造したという記載も、物理的な事実の記載と考えなくて良いでしょう。つまり進化論との対立を想定する必要はありません。
天地創造の物語は紀元前6世紀、ユダヤ民族がバビロン(現イラク)に強制連行されていた時代に書かれました。戦争によって国を滅ぼされ、今までの価値観・生活が根本的に覆され、生きる拠り所を失っていた動乱の時代のことです。深刻だったのは、「神の死」の問題です。バビロンの国家神にユダヤの国家神が敗戦したとすれば(当時の常識からすればそのように考えられます)、ユダヤ人は信仰する対象を失うのです。古代人にとって崇拝の対象を失うことは生きがいを失うことでもあります。
その状況の中で神への信仰が再生されました。その信仰告白が、「『光あれ』と神は言われた。そして光があった」(創世記1章3節)という言葉に込められています。暗闇と混沌の真っただ中に一条の光が上から差すように、外国で絶望の中にいる民の真っただ中に神信仰が復活したのです。これは不思議な出来事でした。国家宗教とは別の、地縁を離れた任意団体としての信仰共同体が珍しい経緯で生まれたからです。
創世記冒頭の「光」とは希望という言葉の代替語です。神は死なないし、殺されたままの方ではない、必ず復活し、絶望の民を照らす希望の光をいつも与える方です。
「光の子として歩む」ということは、希望を失わないで生きるということの言い換えです。いづみ幼稚園でこどもたちが身につけていることは、自分の内にすでに光があること、仲間たちの協力関係の間で光が生まれること、そして自分たちの外からも光が与えられることがあるということです。「光の子」たちの進級・卒業を心からお祝いいたします。 城倉啓(じょうくら けい)