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マナクラブ お話 マタイ4:23-25(新約6ページ)

今年度のマナクラブは昨年度の続きから始めます。今日の箇所は、著者による「まとめの句」などと呼ばれる箇所です。ここに、イエスの活動の概要が要領よく列挙されているからです。イエスの活動を「神の国運動」とも言います。それは教会の活動の原型です。

神の国運動は、ガリラヤ中を巡回する行為です。このことの特異性は、洗礼者ヨハネとの比較で分かります。ヨハネは荒野という場所を定めて活動しました。ヨハネが逮捕された後に、イエスはカファルナウムという町を皮切りにして、ガリラヤ地方を網羅的にあるいたのです。巻末の地図によれば、ガリラヤ地方は40キロ四方の大きさです。ここから隣県に行くぐらいの距離の町々村々を集団で訪れるということにイエスの運動の特徴があります。いづみっ子のような動きです。

ユダヤ人の町々村々には必ず「会堂(シナゴーグ)」がありました。ユダヤ人≒ユダヤ教徒であれば安息日には800メートル以上歩いてはいけないので、町の400メートルごとに会堂が設置され、毎週の礼拝が捧げられていました。会堂は礼拝所です。しかし同時に、公民館のような機能もありました。町の自治会館です。シナゴーグとは「共に行く=集まる」という動詞から派生した名詞です。さらに会堂は学校の機能も持っていました。礼拝でもヘブライ語聖書が朗誦され、13歳以上になると朗読当番が振り当てられるので、そこで文字を教わるのです。古代人にしてはユダヤ人の識字率は驚くべき高さでした。イエスの活動は完全にユダヤ人としてのものです。共に礼拝をしながら、自分独自の聖書解釈を会堂で教えていたのでしょう。

独自の解釈とは「福音」と呼ばれるものです。「良い知らせ(エウアンゲリオン)」と自分で名づけた教えです。3:2と4:17で記されている「悔い改めよ」と「天の国は近づいた」という教えに凝縮されています。イエスはこれをヨハネから受け継いだのです。「悔い改める」ことは生き方を変えることです。支配しようとする傲慢から、仕えるという愛への変換です。「天の国は近づいた」は、イエスの歩き回りと関係しています。神の方からあなたに近づいている、このイエスの群れに加われば神の国の中にいるということです。それは全ての人が無条件に神から愛されている、という教えです。だから考え方の順番としては、悔い改めの前にその根拠として神の愛があります。愛されている、だから、愛しなさいという教え、これが福音です。ヨハネは恐ろしい終末の裁きとして「天の国は近づいた」と語りましたが、イエスはそれを解釈して自分の身の周りに「天の国は来ている」と語りました。

教えだけではなく、イエスは病気や患いをいやす行為もしました。いわゆる奇跡的な治療行為です。このことを合理的に説明する人もいます。治癒者への強い信頼関係があれば、現代においてもありうるのだという説明です。「あなたの信仰があなたを救った」という言い方と合致する説明です。ただし、現代においては奇跡的治癒が宗教に悪用されることに注意が必要です。人の弱みにつけこむことは自制すべきです。もう一つ治癒には重要な観点があります。古代において(現代でも)病気やしょうがいが宗教的な罪の結果とされていたこと(因果律)に対して、イエスが批判したという観点です。このような発想は「悪霊」という言い方でも明らかです。この考えは病気で苦しむ人とその家族をさらに苦しめていました。「病んでいる社会」に対して福音は、「いやし」をもたらします。神は全ての人を愛しているからです。

イエスの周りには人が群れをなして集まります。動き回るイエス一行に、ついていこうとする人の群れが続きます。その中には病人を連れて来る人がおり、治った病人がおり、評判を聞いて「福音」を聞こうとする者がおります。そしてイエスはそれらの有象無象を拒みません。一団となって旅をしていくのです。一大ムーブメントとして、イエスの活動はガリラヤを席巻します。

教会の原型は意外な運動です。自由な任意団体として働くときに教会はイエスの神の国運動をよりよく継承できるように思えます。またイエス一行に来てもらえる「会堂」のような機能を持つことが必要でしょう。いづみ幼稚園もその一環です。