使徒言行録1章8節 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」
今日の聖書は6月の暗唱聖句です。
唯一神教は怖いと巷でしばしば言われます。絶対的な神を信じている人々は妥協をしないので戦争や紛争やテロの原因になっているというものです。しかし、それは教理の問題と言うよりは、政治権力と癒着した宗教の問題、宗教を政治的に利用した政治の問題です。たとえば、多神教を信じているはずの日本人がかつて侵略戦争を東アジアに展開した時に、神道は最大限に悪用されたのです。唯一神教だけではなく、すべての宗教に危うさがあります。
キリスト教は唯一神教の仲間とされます。まんざら間違えではありませんが厳密ではありません。三位一体の神を信じるキリスト教は三一神教であり、多神教的な要素を含んでいるからです。キリスト教は、神・イエス・聖霊の三つを一つの神と信じる宗教です。この神のあり方は現代社会に一つのメッセージを発しています。それは多様性における一致というものです。神自身が他者を内に持っているということは市民社会の模範なのです。聖書を丁寧に読むと、聖書の神は「さあ、我々は話し合おう」というかたちで、熟議をして行動に移る神です。だから政治権力と癒着せずに、内部で互いに寛容な神を布教している限り、キリスト教は社会に貢献できると考えます。
さて、キリスト教会は三大祭としてペンテコステ(聖霊降臨祭)を祝っています。今年は6月8日でした。教会の誕生日であり、三位一体の神が完全に現されたと信じられるからです。神から派遣されたイエスの十字架・その三日目の復活・その四十日後の昇天があり、イエスの弟子たちは途方にくれました。このままではばらばらになる危機がそこにありました。イエスは昇天の際に「聖霊が降ると力を受ける」と約束し去りました。それから十日間何も起こりません。死刑囚の弟子としてぶるぶると室内に震えていた彼ら・彼女ら。
すると突然不思議な出来事が起こりました。部屋は閉め切っていたはずなのに風がびゅうっと吹いたのです。みんなはその風を吸い込みました。そして舌のようなものが一人一人の上に降り、神が中に入ったのです。そこからがさらに不思議な出来事です。そこにはユダヤ人しかいないはずです。ところが、弟子たちが様々な異なる言葉で話し始めたというのです。しかも、その言葉をお互いが理解できたというのです。これが聖霊という神が与える力です。弟子たちは、閉め切っていた部屋を空け、外に飛び出し、異なる言葉で布教活動を始めました。すると、その時多くの外国に住んでいる人々が母語を聞いて、教会を創設したというのです。これが教会誕生の出来事とされています。きわめて神話的な言い方ですが、先ほどあげた現代の諸課題に照らせば、それなりの意義があるように思います。
キリスト教会は教理だけではなく、最初から多様性における一致を重んじていたということです。さまざまな文化背景(言語に代表される)を持つ人々が一つになろうとしてできた集団であり、それを神は後押ししています。大変逆説的な言い方ですが、聖書の神を信じると、その他の思想信条を持つ人々をも尊重できるようになるものです。それが泉教会の信じる三一の神であり、いづみ幼稚園を守っている不思議な風なのです。