7/31今週の一言

新約聖書には27の文書が収められています。その中で最も古い文書は、パウロが書いた「テサロニケの信徒への手紙一」です。意外な事実です。福音書から先に書かれたように思い込んでしまいがちだからです。

最初の教会は正典(新約聖書)を必要としていませんでした。「正典宗教」であるユダヤ教を内部から批判しつつ、結果として飛び出たキリスト教は、文字の宗教ではなく霊の宗教だったのです。ギリシャ語訳の旧約聖書だけが適宜用いられた礼拝だったと推測されます。それが後30年-40年代後半の状況です。

時代が下がるにつれ、パウロが特定の教会に宛てた手紙が回覧されるようになります。その中に当時の礼拝で用いられていた「讃美歌」「祈祷」「頌栄」の文言が所収されていることもあり、次第に礼拝の中で手紙が朗読・交読・輪読されるようになります。新約聖書の正典化の始まりです。40年代後半から50年代までパウロの著作活動は続き、ギリシャ語圏にパウロ主義の教会が増えます。

パウロの手紙には十字架に至るまでのイエスの生き方がほとんど言及されていません。パウロ主義の教会が主流派となっていく情勢で、このことに危機感を抱いた人物がいます。パウロと対立したマルコです。彼はガリラヤを歩き民衆の持つイエスについての思い出を集め、イエスの活動のみに焦点をしぼった「福音書」という文学分野を創始しました。こうして生前のイエスの生き様にも留意した教会形成を目指す、「反パウロ主義」の教会が生まれます。マルコが苦手なギリシャ語で福音書を書いた理由は、パウロがギリシャ語を用いていたからでしょう。マルコの教会では福音書を礼拝の中で朗読していたと推測されています。早ければ50年代、遅ければ70年代にマルコは書かれました。

マルコ福音書に刺激を受け、「親ペトロ(十二弟子)」の立場でマタイが福音書を著します。また、パウロの弟子であるルカは、パウロ主義とペトロ主義との調和を保つために、ルカ福音書・使徒言行録の二部作を著します。両者は共にクリスマス物語や復活物語、そしてイエスの語録をマルコに盛り込みました。

独自路線を進む一派もいました。それがヨハネの教会です。福音書という体裁は採るけれどもマルコに競合しつつ、反パウロ主義・反ペトロ主義に満ちた内容を記すのです。神とイエスの神秘的一体を説き、サマリア人や女性が活躍し、晩餐の制定文を欠くヨハネ福音書は特異な位置に立っています。(JK)