「ゼベダイの子ヨハネ」はどのような人物として描かれているのでしょうか。
ヨハネとその兄ヤコブの名前は純粋なヘブライ語名です。このことは父親ゼベダイが民族主義的な思想を持っていたことを推測させます。逆の例はシモンとアンデレという兄弟、どちらもギリシャ語名です。当時のユダヤ人はヘブライ語・ギリシャ語による二つの名前を持つことが多かったようです。「サウル・パウロ」(使徒13:9)、「ヨハネ・マルコ」(同15:37)など。おそらくペトロも「シメオン・シモン」という二つの名を持っていました(同15:14)。このような状況下でヨハネとヤコブがヘブライ語名だけを使っていたことは、上記の推測を伺わせる事実です。なおゼベダイ家は裕福な網元でした(マコ1:20)。
この兄弟は「雷の子ら」と呼ばれていました(同3:18)。このあだ名は、彼らがサマリア人に対して差別的であり、「天からの火で焼き滅ぼすべき」という暴言を発した逸話と重なり合います(ルカ9:51以下)。ヨハネは他の逸話でもその不寛容さをイエスにたしなめられています(マコ9:38以下)。これらの逸話にヨハネの偏狭な民族主義が透けて見えます。また、ヤコブとヨハネはペトロを追い落とそうとしたことがあります。自分たちをイエスの王座の右左に就かせてほしいと願ったのです(同10:35以下)。お坊ちゃん兄弟の見せる、むき出しの支配欲や上昇志向は、この時もイエスによって批判されています。
しばしば「叱られキャラ」でありながら、イエスはペトロとヤコブ・ヨハネの三人を愛していたようです。彼ら三人とだけ行動を共にすることが多いからです(マコ5:37、同9:2。なお同1:29、同13:3ではアンデレも含まれる)。
十字架・復活・聖霊降臨を経て初代教会が誕生し、ヨハネはペトロと並んで「エルサレム教会の柱」とみなされます(ガラ2:9)。ヨハネはペトロと共に足の不自由な人を解放します(使3章)。また最高法院で裁判を受けた際にも堂々とした証を語ります(同4章)。こういった大活躍の一方で、ギリシャ語を使うキリスト者への迫害が起こった際にヨハネは沈黙し、おそらくステファノらを見殺しにします(同6-7章)。イエスの直弟子時代に持っていた上昇志向や民族主義を払拭できていない、キリスト者ヨハネの限界と挫折を見ます。
ステファノの仲間フィリポを訪れサマリア伝道をする記録がヨハネについての最後の言及です(同8章)。「開かれた終わり方」に彼の悔改めを読みます。JK