「もう一人の弟子」(ヨハ18:15)の存在は、ヨハネ福音書のミステリーです。この弟子はユダヤ人社会の最高権力者=大祭司=最高法院議長と知り合いだったというのです。彼の手引きでペトロでさえ秘密裁判の現場である大祭司の屋敷に潜入することができたという情報は、極めて史的信ぴょう性が高い逸話です。この人物こそ、有名な「ペトロの三度の否認」を教界内部で広めたのでしょう。マルコ福音書よりも詳しく、しかもペトロにとってさらに不利なように描くところに(マルコにおいてペトロは屋敷外で号泣)、ヨハネ福音書の特徴があります。
では、この「もう一人の弟子」とは誰なのでしょうか。以前にも取り上げたとおり、古代の言い伝えでは、匿名の一番弟子(1:35・40)=イエスの愛する弟子(13:23)=「もう一人の弟子」=ゼベダイの子ヨハネ=福音書著者とみなしていました。近代以降、この伝説を否定する学説が有力です。この人物が、①ペトロに批判的であり、②権力には近いという理由により「ガリラヤの漁師ゼベダイの子ヨハネ」ではありえないとするのです。「もう一人の弟子」は、ニコデモやアリマタヤのヨセフのような最高法院議員級の地位にある人物であり、福音書著者自身か著者への情報源なのだ、と考えるわけです(田川建三)。
①ヨハネがペトロに無批判に追従し続けたかどうかは疑問です。マルコ福音書を読んだ後に、ヨハネは「ペトロ・ヤコブ・ヨハネ」というくくり方に異論を唱えるために、自身で福音書を著した可能性もあります。実兄ヤコブを無視するというかたちでペトロ一派を批判したということもありうるでしょう。
残るは、②ガリラヤの漁師であるヨハネがエルサレムの権力と近い関係に立ち得たかを論ずれば良いということになります。先述の最高法院は国政レベルと地方行政レベルの二種類がありました。首都エルサレムには71人の議員を擁する国政レベルの最高法院があり(大サンヘドリン)、すべての地方都市に23人からなる地方行政レベルの最高法院がありました(小サンヘドリン)。もし網元であるゼベダイが同時にファリサイ派の律法学者であり、カファルナウムなどガリラヤの都市の地方最高法院議員であったならどうでしょうか(5:46参照)。大祭司の知り合いになりえないこともないでしょう。また、ゼベダイの妻はイエスの弟子であり十字架を見届けたとマタイは報じます(マタ20:20、27:56、ヨハ19:26)。これもゼベダイ家とエルサレムの権力との近さを示唆します。JK