10/9今週の一言

10月9日の祈り会で創世記24章57-67節を学びました。

ユダヤ民族の先祖と言われるアブラハム・サラ一族は、メソポタミア地方の北西辺アラムという地域と馴染みが深いと聖書は記します。そもそもの出身地がアラム(シリアとも言います)のハランという町でした。そして、息子のイサクの結婚相手を選ぶ際にも、アラム・ナハライムという町に住む親戚を訪れます。アブラハムの甥にあたるベトエルの娘リベカに白羽の矢が立ちました。

父母そして兄ラバンから、イサクと結婚する意志があるかどうかを尋ねられたリベカは、「わたしは行きます」と答えます(58節)。こうしてリベカは自らの意志で「父の家」を離れます。この旅は、アブラハム・サラの出メソポタミア(アラム)の旅と重なり合います(12:1)。

リベカの家族一同はリベカの出立を祝福してお祈りします。ここで重要なのは父親だけが祝祷をしたのではなく、家族一同が(おそらく兄ラバンが仕切って)祝福の祈りをささげて派遣していることです。ちなみにこの祝祷は、イスラエルの歴史の中でもかなり古い祈りの言葉の一つとみなされています。

「わたしたちの妹よ あなたが幾千万の民となるように あなたの子孫が憎む者たちの門を取り囲むように」(60節、私訳)。出生率の低い古代社会で子どもが成人することは社会全体の悲願でした。「祝福の祈り」は生きる力の賦与と信じられていたのでした。

毎週の礼拝でなされる祝福の祈りは、「家長」に当たる人物など特定個人からのものではなく、「わたしたち」全体の相互のものであることが望ましいでしょう。そしてそのような共同の祈りが明日を生きる力となるのです。

イサクはリベカと初めて出会ったとき「野原を散策していた」(63節)と言われます。散策するという動詞の意味は不確定ですが、「野原で瞑想するために出かけた」が、訳としてはより良いと考えます。一人になって祈ることが、散歩の中には含まれるということです。歩くことは祈ることです。

「イサクはリベカを愛した」と記されます(67節)。この二人は一夫多妻制の文化の中で一夫一婦を貫いた珍しい夫婦です。結婚は両性の合意によってのみ成り立ちます。二人の意志の強さが読み取れます。家父長制を批判する信仰共同体の間で結婚は祝福されます。 JK