12/4今週の一言

12月4日の祈り会では、創世記29章14-30節を学びました。

兄エサウを二度も騙して「長子の権利」と「父イサクからの祝福」を奪ったヤコブは、兄からの報復を恐れて母リベカの兄ラバンのもとに居候することとなりました。読者はイサクとリベカの結婚物語を思い出します。あの時もリベカの兄ラバンが実質的な家長役となって、妹の結婚とそれに伴う移住を許可したのでした(24章)。

ラバンはヤコブ以上に「詐欺師的な英雄」です。あの狡猾なヤコブを騙して14年間もの長い間自己のためにただ働きをさせることに成功しているからです。ヤコブはラバンの下の娘ラケルへの求婚をしました。7年間の労働の対価として結婚させて欲しいとラバンに願ったのです。ところがラバンは、7年後の結婚の際に、ラケルと上の娘レアを取り替えてしまいます。

騙されたヤコブは憤り詰め寄りますが、老獪なラバンは「下の娘は上の娘より先に結婚できない風習なのだ」と強弁して、ヤコブの抗議を斥けます。そして「さらに7年間ただ働きをするならば、下の娘との結婚も許そう」ともちかけます。否も応もなく、ヤコブはこの条件を呑みました。それほどにラケルを愛していたからです。

娘たちを道具にして一人儲けを企む父親ラバンは醜悪な人物です。当時女性たちは家の財産でしかありませんでした。また一夫多妻制が女性たちの不幸をさらに増幅させています。ヤコブの偏愛は姉妹同士に分断をもたらします。もしもラバンがヤコブの最初の願い通りラケルのみとの結婚を許可していたら、決して生まれなかった葛藤があります。

聖書の物語において幸いと不幸は流転します。ある不幸は別の幸いを生むきっかけとなりえます。十字架と復活はその際たるものですが、たとえばエデンの園の追放・バベルの塔の事件がなければ、人間たちが全地に増え広がること(祝福の結果とみなされる事態)は起こらなかったことでしょう。ヤコブの詐欺行為やラバンの悪巧みでさえも、神は救いの計画に転化させることができるお方です。

レアの四番目の息子にユダがいます。ユダはユダ部族の名祖であり、ダビデ王の直接の先祖です。そして当然ながらダビデの子イエスの先祖にあたります。聖書の神はリベカの神・レアの神です。 JK