4/1今週の一言

復活祭(イースター)おめでとうございます。

日本に暮らす者にとってあまり馴染みのなかったイースターも、クリスマス、バレンタインデー、ハロウィンに続いて、最近商業化の波に乗せられつつあるようです。キリスト教徒としては何らの努力もせずに「イースター」という教会暦の中の専門用語が広まるのですから、ありがたいことであると思います。

十字架で処刑されたイエス・キリストが三日目に神によってよみがえらされたということは、キリスト教信仰の中心です。イースターはイエスの復活記念日を祝うという祭日ですから、教理のど真ん中、教会暦の一丁目一番地と言えます。実際、キリスト教三大祝祭日(クリスマス・イースター・ペンテコステ)のうち、最も古い祭日はイースターなのです。12月25日がクリスマスとして定められたのは最も遅く、ローマ人の冬至の祭(太陽神崇拝)と融合して成立したものです。

にもかかわらずクリスマスよりも認知度が低い理由は、イースターが移動祝日であるからだと思います。「春分の日の後の満月の直後の日曜日」というややこしい決め方により、毎年のイースターは3月から4月の間をさまよいます。〔その結果たとえば2015年度には二回のイースターがあります。〕この決め方はいたしかたありません。イエスの処刑死がユダヤ暦(太陰暦)の「過越祭」初日か前日だったことが分かっているからです。だからどうしても「満月」が基準の一つになるのです。イースターの「由緒正しさ」が裏目に出ています。

イエスの処刑は金曜日のことでした。その日も初日として勘定に入れると三日目は日曜日にあたります。「世界で初めのイースターが日曜日だった」ということを根拠に、キリスト者は今も毎週日曜日に礼拝を持ちます。「礼拝の中で復活のイエスに出会うことができる」と考えるからです。

プロテスタントの一支流であるバプテストの立場からすると、イースターを教会暦の一つとして大切にすることよりも、日曜礼拝の根拠がイースターだということの方が重要です。なぜかといえば、バプテストが「教会暦」の使用に批判的だからです。原理主義的な意味で純粋にバプテスト主義を貫くなら、アドベント(待降節)もレント(四旬節/受難節)も不要です。聖書があり、二・三人の信者が日曜日に集まればそれで十分です。何事もゆるやかに、ですね。 JK