先週も申し上げたとおり、ヨハネ福音書の受難物語は史的信ぴょう性の高い逸話を多く含んでいます。その中の典型は、今日の聖句にある「ペトロがもう一人の弟子の手引きによって祭司長アンナスの屋敷の中庭に入ることができた」という事実でしょう(16節)。その他の福音書を読んでも、なぜペトロが権力者の自宅に入ることができたのか、さっぱりわからないのです。ヨハネ福音書が伝える、「イエスの弟子の中に祭司長と知り合いの者がいて、彼の口利きがあってペトロも祭司長邸宅敷地内に入ることができた」という理由は、説得力のある話です。そして、屋敷の門番の女性が最初にペトロに「あなたもあの人の弟子の一人ではありませんか」と質問したということも、自然な流れです。マルコ福音書では、たき火にあたっているペトロのところにわざわざ理由もなしに女性が行って同様の質問をしていますが、いささか不自然な描写です。
「もう一人の弟子」はゼベダイの子ヨハネであるという可能性があることを再三申し上げています。ヨハネが父親のコネか何かはわかりませんが祭司長アンナスと知り合いだったとすれば、最初のエルサレム教会のヘブライ語/アラム語を話す信者が(ペトロ一派・十二使徒たち)、決してユダヤ社会の権力者たちから迫害されなかった不思議も解き明かされます。キリスト教会への迫害は、当初ギリシャ語を使う信者たちに対してのみ行われ、その代表格がステファノでありフィリポだったのです(使徒6:5)。ステファノはエルサレムで殺され(同7:60)、フィリポはエルサレムに居られずにサマリアへ向かいます(同8:5)。
その一方でヨハネもペトロもエルサレム神殿に参拝を自由にしています(同3:1)。うがって解釈すれば、彼らが逮捕されながらも最高法院での宗教裁判によって釈放されたことも、ヨハネとアンナスが知り合いだったからかもしれません(同4:6・21)。ステファノ死後も十二使徒たち・ペトロ一派はエルサレムに残ります(同8:1)。実際、ある時期までペトロ一派は、ユダヤ教の一員として受け入れられていたのです。その理由は、事実上の最高権力者である祭司長アンナスとヨハネとの親しさにあったのではないでしょうか。
さてここで訳語の問題を指摘します。ギリシャ語において、「大祭司」と「祭司長」は同じ単語アルキエレウスを用います。祭司長は複数いました。そして引退した大祭司なども祭司長となり、最高法院議員を構成していました。その祭司長の代表者が大祭司です。13節はカイアファの説明ですから、「大祭司」と翻訳しなくてはなりません(24節も)。しかしながらカイアファのしゅうとのアンナスが元大祭司であり当時祭司長の一人であったことから、二通りの翻訳が15-26節に出てくるアルキエレウスという単語にありうるのです。
結論から言えば、新共同訳のように「大祭司」(15・16・19・22・26節)とせずに、「祭司長(アンナスを指す)」とすべきです。そうすれば困難は起こりません。もし大祭司カイアファの屋敷で裁判が行われたとすると(15-27節)、13節で「まずアンナスのところへ連れて行った」とし、24節で「アンナスが大祭司カイアファのもとに送った」という叙述は理解不能です。新共同訳翻訳者は、他の福音書と調和させるために、多少の困難に目をつぶって「大祭司」と訳したのでしょう。
イエスは祭司長アンナスの屋敷に連れて行かれ、そこでアンナスを裁判長として秘密の裁判が行われ(ペトロもアンナスの家に入った)、実質的結論が出てから大祭司カイアファのもとに移送され、形式的にカイアファが判決を下したのです。これはマルコが伝える簡略化された筋と異なります。マルコは「大祭司カイアファ宅で最高法院が開かれた」としています(マコ14:53)。この場合もヨハネ福音書の方が史実に近いと判断されます。
ヨハネの記述は、聖書外資料に書かれているアンナスの人物像とも重なるからです。アンナスは紀元後6年から15年まで大祭司でした。長期政権を維持させる政治力が彼にはありました。その後、ローマ帝国はアンナスを辞めさせて、新しい大祭司を就任させましたが、(おそらくアンナスの妨害もあり)立て続けに二人の大祭司は短期間で辞任に追い込まれました。この経緯があって、後18年頃から36年まで娘婿のカイアファが大祭司となります。完全に傀儡政権です。イエスの十字架と初代教会発足(後30年/31年)はカイアファの大祭司時代ですが、実権は舅の祭司長アンナスが握っていました。四半世紀ユダヤ人社会の最高権力者だった彼が、イエスを邪魔者とみなしたのでしょう。裁判を仕切るアンナス、そして最終責任を娘婿のカイアファに押し付けて自分の手を汚さないアンナスを描く、ヨハネの叙述の方に史的信ぴょう性があります。
今日の箇所の反面教師はこの祭司長アンナスです。カイアファの言う「一人の犠牲の方が好都合」(14節、11:50参照)という発想は、元々アンナスの持っていた処世術・政治手法なのでしょう。十字架の場面には、多くの卑劣な人物が登場します。それらの人物たちはわたしたちに人間の罪を具体的に教えてくれます。反面教師です。それぞれに若干の言い訳が立つところがあります。たとえば弟子たちの中ではユダがイエスを引き渡しました。しかし、ユダが引き渡さなくてもいつかイエスは逮捕されていたでしょう。また、ユダの引渡しの動機は、損得勘定というよりは彼の思想信条によるように思えます。それならばある程度弁護ができるのです。
ペトロはどうでしょうか。今日の場面までは、ペトロはそこまで非難されないでしょう。アンナスの屋敷中深くまで入るために、あえて嘘を言っているとも考えられるからです。門番に拒否されないための方便として、「わたしは違う」と言ったとも読めるからです。この後登場するローマ総督ピラトもそうです。彼にも板挟みな感じがちょっとあるのですね。
それに対して、この祭司長アンナスだけは何の弁護もできないものです。保身のための権力濫用をし、そのために完全には引退せず院政を敷くという、支配欲まみれの人間だからです。アンナスはヨハネ福音書でセリフを述べません。死刑判決も述べません。公の責任は娘婿カイアファに負わせます。その一方で、自らの思うままに人々を操作していくのです。彼の中で邪魔者のイエスを自分の手を汚さず社会的に抹殺することは、良心の呵責を覚えることのない、いつもの悪巧みなのです。
「何が起こっているのかではなく、そのことによって誰が得するのかを考えよ」とはレーニンの言葉だったでしょうか。鋭い洞察です。人は良い悪いだけで動くのではなく、むしろ損得で動く方が多いし、見た目の善悪・単純な論法ではなく、最終的結果の損得が真の利益者を教えることが多いからです。
使徒信条に「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け・・・」という言葉があります。確かにローマ帝国は死刑判決と十字架刑執行の責任組織です。しかしピラトはイエス殺害に消極的でした。大祭司カイアファも確かに悪いでしょう。「涜神罪により死刑」との判決を出したからです。しかし彼も操られていただけなのです。ユダも悪いでしょう。それでもイエスの死によってユダが得るものはほとんど何もないのです。彼も利用されただけです。イエスの殺害で何も咎められもせず、丸々得をしたのはアンナスです。
わたしたちはこのような人物にならないように教えられます。これは比較的簡単です。要するに腹黒くならないというだけのことですから。それと同時にこのような人物の悪事を見抜かなくてはいけません。こちらはかなり高度です。たとえば地球温暖化を避けることは良いことだと言われます。太平洋で埋没するおそれのある島国ツバル共和国のことを考えればその通りです。ところが、「地球温暖化を避けるべき、だから原発推進」という言葉に、長い間わたしたちは騙されていました。皮肉なことに、原発が直接海水を温めているのにもかかわらず、です。温廃水は海水より7度高い状態で常時大量に海に捨てられ、直接地球を温暖化させています。ここには二酸化炭素だけが地球温暖化の原因という短絡があったのです。今回のデング熱報道も、地球温暖化が槍玉に上がっていますが、「だから原発再稼働」というのは短絡です。また、「感染源の蚊を持ってくるアジア・アフリカの人を排除すべき」という世論が煽られないように注意すべきです。表面上の良い悪いや、論理のすりかえ・矮小化・飛躍などによって、原子力ムラの金儲けが覆い隠されたり、民族主義が煽られたりしています。アンナスの罪を見抜く洞察力が求められる時代です。
アンナスのようにではなく、「もう一人の弟子」のように生きることがわたしたちの模範です。彼はペトロと共にイエスに従います(15節)。勇気のある行動です。どう考えても危険です。イエスと一緒に行くということは、仲間とみなされて一緒に殺されるかもしれないからです。実際それが理由でペトロは「わたしは(イエスの弟子)ではない(ウーク・エイミ)」と言ったのです。いくら祭司長アンナスと知り合いでも、自分がイエスから愛されていた弟子なのだということが暴かれた時点で身の危険が及ぶでしょう。
彼(ヨハネ)の心境としては、行けるところまで行こうということだったのでしょう。それがイエスに対する、せめてもの気持ちだったのです。自分に与えられた条件下で最善を尽くそうという気持ちです。そして自分に与えられたものを全力で用いようという努力です。この場合は、祭司長アンナスと知り合いであるという特権です。
筋を頑固に通す人間ならば、イエスの敵であるアンナスとの人間関係を利用しようとは思いません。むしろ「自分もイエスの弟子であるので一緒に社会的に抹殺してください」と言うべきでしょう。もう一人の弟子の従い方は不徹底です。彼は自分が死ぬことを避けているのです。殺されそうになったら逃げる、決して死なない、しかしイエスがどうなるのか可能な限り情報を得る、そして仲間たちに伝えるということを肝に銘じながら、火にあたっていたのです。
ペトロの場合は、事前に「イエスのためなら命を捨てる」と大見得を切っていました(13:37)。もう一人の弟子にはその気負いはありません。彼の使命感は戦場ジャーナリストの持っているガッツに似ています。危険な現場に行くのは覚悟の上です。しかし、決して死なないで生きて帰ることを考えています。最も新しく生の情報を仲間たちに届けるためです。また、イエスが常日頃言っていた教えは、永遠のいのちを今生きることなのであって、誰であれ誰かの犠牲に命を捨ててはいけないということなのです。そうでなくては、14節の言葉に現れる権力者の「犠牲のシステム」悪用を見抜くことはできません。
27節の後、もう一人の弟子もペトロも仲間たちのもとに帰ったと推測します。そして死刑の見込みであることを憤りを込めて彼は仲間たちに伝え、師匠の死に水を取るために死刑執行の現場へと向かいます(19:26)。さらに、彼は復活の空の墓の現場にも行き、復活のイエスをも直接見ます。その彼が、この福音書を書くことになります。死ななくて良かったのです。生きていればこそ、イエスの愛に応えイエスの愛を伝えることができたのですから。命こそ宝です。
今日の小さな生き方の提案は、しなやかにしたたかに生きることです。死ぬまでついて来いとイエスは言いません。それはカルト宗教や宗教国家の命令です。イエスは生きろと語ります。できる範囲で従うだけで十分です。