本日の箇所は安息日礼拝の後にファリサイ派の指導者の自宅で催された食事の続きです(1節)。イエスを匿っていたこの人物は、おそらく自分の友人・兄弟・親類・近所の金持ちを、この昼食に招いています(12節)。それが安息日の後にしばしば行われていたからです。
イエスは居候の身として最初上座に座っていたのでしょうけれども、自発的に下座に移動したのだと思います。へりくだる者の模範を示した後に、自分から上座を競って座ろうとする人々を批判したと推測します(11節)。そして、その後、昼食会を催したファリサイ派の指導者に対しても批判をします(12節)。一般に、居候の身でこのような振る舞いをすることは失礼です。食住の世話をされている人が、なぜ招待客や主催者に文句を言えるでしょうか。
二つの理由があります。物語の文脈から、ファリサイ派の人々がイエスの聖書解釈を喜んで聞こうとしているという理由です(4・6節)。もう一つの理由は、この物語が文脈とは無関係に、キリスト教会全体に対する「主の晩餐についての教え」であるからです。著者ルカの信仰生活や、執筆時点で属しているルカの教会の事情が、イエスの伝記に投影されています。本日は、この第二の理由について掘り下げて考え、わたしたちの毎週行っている主の晩餐についての教えを汲み取ります。
大前提として、著者ルカがギリシャのマケドニア地方の中心都市フィリピの教会員だったと仮定します(使徒言行録16章6節以下)。医者ルカを含むフィリピ教会はパウロを積極的に支持・支援し(フィリピ1章3-5節、Ⅱコリント8-9章)、ルカはパウロの伝道旅行に同行しています(使徒言行録16章10節「わたしたち」)。ルカの招きでパウロはフィリピの教会形成に関与しました。ルカはパウロに同行し、パウロが牢獄に入れられた時にも物心両面でパウロを支援しました。そして今ルカは、おそらくギリシャではなくシリア地方の教会に通い、礼拝の中で主の晩餐を行いながら福音書を執筆しています。マルコ福音書等を読み、さまざまな口伝を聞きながら、パウロの教会形成とイエスの運動を統合しようとしています。イエスの言葉によってパウロの実践を解釈し、新しい主の晩餐・礼拝・教会を建て上げようとします。
本日の箇所がルカにしかないことも、この仮説の根拠となります。また用語面において、ルカ文書とフィリピの信徒への手紙が好んで用いる言葉が使われていることも根拠となります(7節「様子に気づく」、8節「身分の高い」、11節「へりくだる」)。
まずフィリピ教会についての情報です。フィリピはローマ帝国の退役軍人が多く移住している植民市です。この退役軍人たちは後にローマ皇帝の擁立もします。だから教会にも多くの元軍人かつローマ市民が居たはずです(フィリピ4章22節「皇帝の家の人たち」)。同じローマ市民のパウロが受け入れられやすい環境です。また軍隊用語が好んで用いられていたことも推測できます。たとえばフィリピ2章29節「敬いなさい」は軍人としての栄誉を表す表現です(ルカ7章2節「重んじられている」、同14章8節「身分の高い」)。さらにフィリピ2章16節「しっかり保つ」は、「直面する・最前線に立つ」という意味の軍隊用語です(ルカ14章7節「様子に気づく」、使徒3章5節「見つめる」、同19章22節「とどまる」)。「兵営」(フィリピ1章14節)、「戦い」(同1章30節、4章3節)、「戦友」(同2章25節)なども軍隊用語です。軍人は怪我をしやすいものです。そこに医者の必要性があります。ルカはフィリピの町の医者であり、患者の中に元軍人が多かったと思います。
フィリピの信徒への手紙を書いたパウロは、あえて会衆に馴染み深い軍隊用語を用いて教会形成上の助言をしていました。フィリピ人の前ではフィリピ人のようにしたのです。しかし同時に、軍隊用語を用いつつ、軍隊の性質である「上下関係の強さ」を徹底的に批判しました。キリストが十字架の死に至るまでへりくだったように信徒は低みを目指すべきなのです(フィリピ2章8節「へりくだって」、同4章18節「貧しく暮らす」、ルカ3章5節・14章11節・18章14節)。教会において、高いものは低くされ低いものは高くされます。その逆説の真理が最も明らかに表されるのが、礼拝、しかも主の晩餐の時です。
最後の晩餐の席上、ルカ版イエスは次のように教えます。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(22章25-26節)。ここで言う「異邦人」はローマ人、「守護者」はローマ皇帝です。この言葉はフィリピの教会で行われていた主の晩餐のモットーを伝えています。それをルカの通っている教会は共有しているのです。
「晩餐」(ギリシャ語デイプノン)は新約聖書に8回登場します(マルコ6章21節、ルカ14章12・16節、ヨハネ12章2節、Ⅰコリント11章20・21節、黙示録19章8・17節)。バプテスマのヨハネの処刑が確定するヘロデの晩餐は、最後の晩餐で高ぶる弟子に見殺しにされたイエスの予告です。ベタニア村のマリアがイエスに油注いだ晩餐は、真の王が十字架と復活のイエスであると告白する礼拝の予告です。世の終わりの晩餐は教会が予告している神の国の姿です。
ルカ14章12節の「夕食の会」と16節の「宴会」は「晩餐」、主の晩餐という神の国の宴会です。「そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」(13章30節)。そこでは、威張るために上座に着こうとする者が引き摺り下ろされ恥をかき、逆に末席に座る者/座らされている者が上座に引き上げられることがあります(8-10節)。この逆転は、イエスの母マリアとヨハネの母エリサベトが希望していた内容です(1章52節)。ただし旧約聖書にも似たような格言はあるので新奇な解釈ではありません(箴言25章6-7節)。
このことをわたしたちの主の晩餐に重ねて考えてみましょう。パンを食べること、ぶどう酒を飲むことは、信者の特権なのでしょうか。主の晩餐には上座や下座があり、次のような順の上下なのでしょうか。泉バプテスト教会員、連盟加盟の教会員、他教派クリスチャン、バプテスマ志願者、その他の人。「どなたでもお越しください」と招いておきながら、礼拝の後半になると「自分こそ上座に座るべきだ。あなたはパンを取るな」と思うのはいかがなものでしょうか。当該教会員が真っ先に満腹して王のようになって良いのでしょうか。
それではいけない。むしろ自分を深く吟味して、「自分こそ最もふさわしくない」「神さま罪人のわたしをおゆるしください」と言って末席に座る人が、逆に最もふさわしいのです。この自己吟味なしに、「従ってふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」(Ⅰコリント11章27節)。
高い/低いは、心の中の傲慢/謙遜というだけの問題ではありません。実際の貧富の上下格差を指しています(12-13節)。この逆転をルカは「幸い」と評価します(14節、6章20-21節)。全体にルカ福音書は貧富の問題に敏感です。ファリサイ派の指導者の友人・兄弟・親類・近所には金持ちが多かったことでしょう。しかし、同時に貧しい人・体の不自由な人・足の不自由な人・目の見えない人も、この晩餐に居たと思います。実際、「水腫を患う人」も居ました(2節)。また15節の「神の国で食事をする人は、なんと幸いなのでしょう」という出席者の言葉は、そこに貧しい人・体の不自由な人が居たことを裏付けています。そうであれば、イエスの言葉は、批判を含む励ましと慰めです。今後晩餐を催す際の留意点と、改善の提言と言えます。
さて、イエスは「足の不自由な人」と「目の見えない人」の両者だけを、なぜわざわざ挙げたのでしょうか(13節)。両者共に「体の不自由な人」に含まれるので、不要なように思えます。ここにはファリサイ派の聞きたかった旧約聖書についての新解釈が込められています。それはダビデ王を批判するためです。サムエル記下5章6-8節をお開きください(旧約487ページ)。
ここには狭い心を持つダビデがエブス人の「足の不自由な者」「目の見えない者」だけを狙い撃ちして虐殺したことが書かれています。このために「目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない」と言われるようになったのだそうです(サムエル記下5章8節)。使徒ペトロとヨハネが「直面した」足の不自由な人はエルサレム神殿境内の中に入れませんでした(使徒言行録3章)。その理由の一つがダビデの故事なのです。
イエスはダビデ王に由来する、神殿礼拝のしょうがい者排除・差別を批判しています。神殿で礼拝しなくても良い。あの山でもこの山でも礼拝をしないで済む時が来る。いやイエス・キリストの到来によってすでに来ている。イエスを中心に食卓を囲む時、礼拝場所としての神殿は不必要です。特に特定の人々を排除するような礼拝場所は有害でさえあります。自宅での礼拝で良い。ダビデの町エルサレムは、預言者を殺しただけではなく(13章33-34節)、しょうがい者や、女性たち、サマリア人たち、非ユダヤ人たち、子どもたちを排除する神殿・礼拝施設を誇りにしているから批判されるべきなのです。
ルカ版イエスはダビデの故事を引用しながら、社会で排除されている人・排除されがちな人をこそ優先して招く礼拝をすべきという新解釈を述べました。教会ではユダヤ人もギリシャ人もなく、しょうがい者も健常者もないからです。
イエスの解釈はルカの体験と共鳴します。使徒言行録27章1節に「わたしたち」とあることから推測して、ルカはパウロのエルサレムからローマへの移送に同行しています。遡って同21章からルカはパウロに同行しエルサレムまで来ていました。パウロがエルサレム神殿境内で逮捕された時、非ユダヤ人ルカは神殿境内には入れませんでした。非ユダヤ人に対するヘイトスピーチのデマが流れ、そのどさくさでパウロは逮捕されました(同21章27節以下)。ユダヤ社会では弱者であるルカは、パウロを守れなかったことを痛恨の思いとし、牢獄にいるパウロをずっと外から支援していたと思います。その支援はローマでパウロが処刑されるまで続いたのではないでしょうか。
ルカは排除される者特有の痛みをよく知っています。イエスの食卓、主の晩餐でそのようなことが起こってはいけません。排除が起こらないために、真っ先にこの世界で排除されがちな人々を先に招く必要があります。さて貧しい人を先に招く教会は財政的に苦しくなるでしょう。「その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ」(14節)。経済的に苦しい人が増える礼拝は幸いだと言われていることを、重く受け止めたいと思います。天幕作りパウロや医者ルカ、初期バプテストの牧師たちのように「兼職牧師」に一理があります。
今日の小さな生き方の提案は、誰をも排除しない晩餐を、「正しい者たちが復活する」(14節)終末の時まで地道に続けることです。そこに教会独特の社会貢献があります。支配欲がない社会・打算がない社会、多分礼拝の一瞬しかこの世界では実現しません。しかしそこに魅力を感じる一人ひとりが、パンとぶどう酒を取り、この世界に出て行って福音を宣べ伝え、このような社会を目指そうとする時、神の支配は広がるのです。上座を設けず、見返りを求めず、平等な「神の子」「人の子」として今日も主の食卓を囲みましょう。