はじめに
フィレモンへの手紙は、パウロ書簡の中でもっとも短いものであり、パウロが個人に宛てて書いた唯一の手紙です。ギリシャ語ではわずか335語から成っており、日本語の聖書では25節から成る1章だけの短い文書です。パウロからフィレモンへの私信ですが、手紙の書き出しからすれば公的に読み聞かせることを意図した書簡と見なすべきだと言われています。
この手紙の内容を大まかに見ておきます。
かつてパウロの導きによってキリスト者となったフィレモンはオネシモという名前の奴隷を所有していました。オネシモは、何らかの悪事を働いて逃亡し、パウロのもとに行き、そこで回心して信徒になり、獄中でパウロに仕えていました。オネシモというギリシャ語には、「有益、役に立つ」という意味があります。イエス・キリストの救いにあずかり、悔い改めて、生き方が180度変えられたオネシモは、パウロにとってもはや逃亡奴隷ではなく、主にある兄弟であり、共に福音宣教の働きに仕える同労者になっていました。しかし理由は分かりませんが、パウロは良き協力者である彼を自分のもとに留めておくことはせず、主人フィレモンに送り返すことにしました。それでパウロは執り成しの手紙を書いてオネシモに持たせるのです。当時、奴隷が逃亡した場合、所有者はその者を捕らえて厳しく処罰することが許されていました。しかしパウロは処罰を心配して執り成しているのではありません。オネシモは、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずだから奴隷としてではなく主にある兄弟として受け入れてほしいと(16節)この手紙をしたためているのです。
今朝は、この手紙の書き出し、パウロの挨拶の言葉を通して当時の教会から学び、こんにちの教会について考えていきたいと思います。
- キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、
ここでパウロは自身をキリスト・イエスの囚人と呼んでいます。このことはパウロが捕らわれの身であったことを示唆しており、この手紙を書いた時、獄中状態にあったことを示しています。パウロは捕らわれの身でありながら、はばからず福音を宣べ伝えて、福音は全世界へと広がっていきました。このことは、パウロ一人だけの働きではなく、常に同労者の協力があってのことです。テモテもパウロの良き協力者の一人でした。彼は、パウロにとって忠実な弟子であり、よき同労者として信頼され献身的な奉仕活動を続けた人です。「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから」と、この手紙の共同差出人になっていることからも、パウロからの篤い信頼を得ていた弟子であったことが分かります。
手紙の宛名フィレモンは、コロサイの人で奴隷オネシモの主人です。彼はコロサイの教会の中心人物で、パウロの良き協力者でもありました。フィレモンの家はコロサイの信徒たちの教会とされて、信徒たちが集まっていました。
- 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。
アフィアは、おそらくフィレモンの妻であったと考えられています。パウロは、手紙の書き出しで、彼女をフィレモンの妻という呼び方ではなくアフィアと名前で呼んでいることに注目したいと思います。次に戦友アルキポです。岩波訳では私たちの共闘者アルキポと訳されています。彼は、コロサイ4:17にも言及されている信徒で、パウロは福音のために共に闘う良き同労者として彼の名前を呼びます。そして最後にあなたの家にある教会へと書いて教会の一人ひとりに呼びかけています。
1節と2節の手紙の書き出しから、パウロは、家長フィレモンも、妻アフィアも、共闘者アルキポも、家の教会の一人ひとりも、主にあっては平等な地平に立つ者であることを示しています。この考えは、当時の家父長社会の価値観に相反します。当時のローマ・ギリシアの家父長社会で、権威主義的で男性優位の立場だったであろうパウロが、復活のイエスと出会い、イエスの十字架による救いの恵みを知って自分の価値観が大きく揺さぶられ変えられた結果と言えます。わたしたちも聖書を通してイエス・キリストの言葉と行いに触れ、自分の価値観が180度変えられることを経験しています。
パウロはガラテヤ書3:28で「(もはや)ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男性も女性もない。まさに、あなたがたすべては、キリスト・イエスにおいて一人なのだからである。」(岩波訳)と述べています。初代教会ではこの言葉が文字通り実践されていたと見ることができます。
家の教会
イエスの死後、復活のイエスと出会った弟子たちは、主イエスに再び弟子として召され、悔い改めてイエス・キリストの良き知らせを宣べ伝える教会をスタートしました。キリスト教初期の段階における教会の始まりは、家の教会からスタートしています。新約聖書のあちこちに家の教会が登場し、中には女性たちが積極的にリードしている教会もあります。
新約聖書に登場する家の教会を見ていきましょう。
・使徒言行録では3つ、「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家」(12:12~16)、「紫布を商う人リディアの家」(16:11~15)、「プリスキラとアキラの家」(18:1~3)が登場しています。
リディアは、この家の女性の名前ではなく、彼女の出身地の名前です。彼女はリディアの婦人と呼ばれていました。フィリピの紫布の商人で裕福な女性でパウロのヨーロッパ伝道で最初の入信者になった人でした。
プリスキラとアキラは夫婦。プリスキラは、夫アキラと共にパウロの伝道に協力した人です。彼女はプリスカと呼ばれている箇所もあります。プリスキラとアキラは常に連名で記されていますが、使徒言行録18:2とⅠコリント16:19の2回以外は、妻プリスキラの名前が先に記されています。このことから、彼女の働きがすぐれていたことを表すものであろうと言われています。
・ローマの信徒への手紙 16章には3つ登場しています。
「異邦人たちの家の教会」(4節)、「アリストプロの家」(10節)、「ナルキソの家」(11節)です。ナルキソという人はおそらく皇帝クラウディウスの家臣で、ローマの信徒への手紙が書かれる前に殺害されたであろうと言われています。
・コリントの信徒への手紙Ⅰでは、「クロエの家」(1:11)だけです。クロエは、コリントかあるいはエフェソの女性で、彼女の家の僕がコリント教会の状況をパウロに知らせたと書かれています。
・コロサイの信徒への手紙では、「ニンファの家」(4:15)が登場します。ニンファはコロサイの信徒で、彼女の家で教会が開かれていました。
・テモテへの第二の手紙では、「オネシフォロの家」(4:19)。オネシフォロはエフェソの教会の信徒で、エフェソでパウロに仕えた人です。
・フィレモンへの手紙は、「フィレモンの家の教会」。本日の聖書箇所です(2節)。
ここにあげたのは10の家の教会ですが、実際は、まだまだたくさんあったことは明らかです。10教会を見ていくと女性がリードしている教会がいくつもあることに気づかされます。聖書に登場する家の教会を見ると、女性も男性も性別に関係なくそれぞれの賜物が豊かに用いられていることが分かります。また、女性たちが生き生きと活躍している様子や、福音宣教の働きを積極的に担っている様子が見て取れます。キリスト教初期の段階では、女性たちが、名前を記された人も記されていない人も、宣教活動の着実な担い手であったことが分かります。
また聖書には福音宣教の担い手として女性も男性もたくさんの人の名前が残っていますが、2000年の教会の歴史をつないできたのは名前が残されていない無名の無数の信徒たちの働きによるのだということもおぼえていたいと思います。
聖書の時代、識字率は低く、聖書の言葉は読むのではなく聴くものでした。家の教会で、聖書の言葉を聴き、語られる福音を聴き、聴いて信じた者が周りの人に伝えて福音は広がっていったのです。アジアの国ぐにで農村部などの識字率が低いところでは、聖書の言葉を聴き、福音を聴いて信じた人が自分の家を開放して近隣の人たち語り伝えている女性たちにあったことがあります。まさに初代教会の姿がここにあると思いました。わたしたちもそうですが、キリスト教の歴史の中で名前が残されていない無数の人たちが福音宣教の担い手として全世界のいたるところで働いていることを思います。
- わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
フィレモンへの手紙は、フィレモンに宛てた個人的な手紙ではありますが、「主イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように」と、「恵みと平和」という定式を挨拶に使っているところから、この手紙は公の礼拝の場で読まれることを意図して書かれたものであると言われています。
パウロの手紙には、主にある友であり同労者である信徒のために常に祈りの言葉が添えられています。皆さんという一括りではなく、一人ひとりの名前をあげて、また家の教会の一人ひとりを思いながら祈っているのです。
今日の聖書箇所から、教会は、信徒間に主も従もなく、集う一人ひとりが主にあって平等な地平に立つ者であることを学びました。また家の教会を通して、教会の働き人は、性別によらず、その人の賜物が用いられていることを学びました。
こんにち日本の教会は、組織に縛られていたり、ジェンダー不平等であったり、さまざまな課題を抱えています。わたしたちの教会は自由にのびのびと教会をつくっていると思いますが、じっくり見渡すと課題も見えてくると思います。これからの時代にふさわしいより良い教会形成のために初代教会から学び、イエス・キリストの助けを祈り求めつつ歩んでいきたいと願います。