エステル記は「離散ユダヤ人の短編小説」と呼ばれます。それは、外国に住むユダヤ人たちを励ますために書かれた歴史小説という意味です。似たような短編小説に、ヨセフ物語(創世記37-50章)やダニエル物語(ダニエル書1-6章)があります。主人公は非ユダヤ人大帝国の中で出世します。その主人公の姿を通して、国を失いながらも各地で苦労して生きているユダヤ人読者が励まされます。エズラやネヘミヤのような歴史上の人物がモデルになっていると思われます。また聖書の中でルツ記とエステル記だけが女性の名前を冠した書物であることも留意するべきでしょう。
ベニヤミン部族のユダヤ人女性エステルはユダヤ人であることを隠しながら王妃に取り立てられます(2章10・17・20節)。エステルという名前は「私は隠す」という意味、彼女の本名はハダサです。エステルにはモルデカイという養父(従兄)がいます(2章7節)。モルデカイは「王の家の門」に常駐している、かなり出世した役人です。彼はアハシュエロス王(前5世紀のクセルクセス1世と目される)の暗殺計画を阻止もしています(2章21-23節)。
このモルデカイのライバルが王の側近アガグ人ハマンという人物です。ハマンは自分に跪かず媚びを売らないユダヤ人モルデカイを殺すために王を唆して全てのユダヤ人を滅ぼす法律を作ります。彼は籤(プル)を引き、何月にユダヤ人を滅亡させるかを決めます。籤は第十二の月にあたります。第一月の十三日に発布された法律により、残り十一か月でユダヤ人がペルシャ帝国内から根絶されることが法定されたというのです(3章)。
この事態を受けてモルデカイは政治的デモンストレーションを行います。粗布をまとって叫び嘆き抗議の意思を表すのです(4章1節)。多くのユダヤ人がこの行動に同調します(4章3節)。現代風に言えばMe Too運動、Jews Lives Matter運動です。エステルの周辺の女性たちや宦官が(エステルがユダヤ人であることを薄々感づいているのか)、モルデカイの抗議活動をエステルに教えます。その一人が宦官ハタクです。親切な宦官(ヨセフ物語と共通)や女性たちによって(ルツ記に似る)、物語・歴史は動きます。
6 そしてハタクはモルデカイに向かって、王の門の面前にある町の広場に向かって出て行った。 7 モルデカイは彼に、彼が遭遇した全てのことを告げた。またユダヤ人たちの日に彼らを滅ぼすために王の金庫に支払うとハマンが言った銀の総額を(彼は告げた)。 8 そしてスサにおける彼らの滅亡のために与えられた法の書の写しを、彼は彼にエステルに見せるためにまた彼女に告げるためにまた彼女に接して命じるために与えた。王のもとに行くようにと、彼に願うようにと、彼の面前で彼女の民について弁護するようにと(命じるために)。 9 そしてハタクは来、彼はエステルのためにモルデカイの諸々の言葉を告げた。
宦官ハタクはモルデカイに接触しモルデカイの言い分を聞きます。モルデカイはハマンがユダヤ人を殺すために私費を投じても良いと言っている極秘情報(3章9節)をハタクに伝えながら、また法の写し(3章14節)をハタクに渡しながら、養女(従妹)エステルへの命令をハタクに伝えます。「あなたの民を救うために、ユダヤ人であることを公表して、王に法の取り消しを頼め」。ハタクは忠実にモルデカイの言葉をエステルに伝言します。ハタクはエステルがユダヤ人であることを、少なくともこの時点で知るようになりました。
10 そしてエステルはハタクのために言い、彼女はモルデカイに向かって彼に命じた。 11 「王の僕たちの全てと王の州の民は知り続けている。王のもとに、王の家・内庭のもとに来る男性と女性の全ての者は――彼は呼ばれていない――、彼の法の一つが死なせるようにと(定めている)。ただし王が彼のために金の笏を伸ばした者の中にある者ならば彼は生きる。そしてわたし、わたしはこの三十日王のもとに来るようにと呼ばれなかった。」
モルデカイに投げたボールはエステルに戻って来ました。エステルは次のように伝言を頼みます。「王に呼ばれていない者が王に会おうとすると死刑に処せられる。王が死刑を取り消さない限り。自分は死刑に処せられる可能性が高い。なぜなら三十日も王に呼ばれていないのだから。」つまり、自分は殺されたくないという趣旨の言葉です。言外に、「あなたがわたしにユダヤ人であることを隠せと命じていたのでしょうが」という批判が含まれています。
このエステルの本音は、彼女の周りの女官や宦官たちの共感を得たのだと思います。12節によれば、ハタクだけではなく「彼ら(彼女たち)」という複数の人物たちがモルデカイに伝言をします。彼ら・彼女たちは王妃エステルが殺されることをおそれ、友人として忠告したのです。軽率な行動を取らずに、慎重に考えた方が良いと。女性たちはすでにエステルがユダヤ人であることを知っていたのかもしれません。さらにボールはモルデカイに投げ返されます。
12 そして彼らはモルデカイにエステルの諸々の言葉を告げ、 13 モルデカイはエステルに向かって返事をして言った。「あなたはあなた自身のうちで王の家がユダヤ人の全てより逃れられると考えてはならない。 14 もしもあなたがこの時に沈黙を守るならば空間と解放はユダヤ人たちのために別の場所から立つ。そしてあなたとあなたの父の家は滅びる。そして、この時のためにあなたが王権/王国に到達したかどうかということを、誰が知り続けているだろうか。」
彼ら・彼女たちを通じたエステルの伝言を聞いて、モルデカイは慎重に言葉を選びながら含蓄のある言葉を、ハタクたちに言います。モルデカイはエステルだけを相手にしていません。エステルの周辺の人々をも説得しようとしています。そうでなければ伝言は捻じ曲げられたり握りつぶされたりするからです。
「自分だけが例外と考えるな。あなたもユダヤ人だ。だからこの法がある限りこの法はあなたにもいつか適用され殺される。あなたはなぜ王宮にいるのか。権力に届く場所まで至ったのか。遡ればなぜあなたもわたしもペルシャ帝国に到達したのか。これは神があなたを通してユダヤ人を救うためではないのか。神の隠れた救済計画ではないのか。今・この時のためにこそ、あなたは生きている。自分の使命に生きよ。あなたが立たなければ、神は別の仕方でユダヤ人の生きる空間を設けることができる。思い上がるな。謙虚であれ。ただし毅然とせよ。神の前であなたにしかできないことをなせ。」
エステル記には「ヤハウェ」や「神」という言葉が登場しません。そのために正典に加えられるべきかどうかが最後まで議論された書です。エステルがユダヤ人であることだけではなく、神ご自身もまた隠れています。しかし、本日の箇所は神の隠れた計画を明らかにしています。神のみが知り続けていた秘密の計画が露わとなります。神は、悪事を企む非ユダヤ人迫害者の手から、離散ユダヤ人を救い出します。そのために権力の座に到達しているユダヤ人を用いるのです。ヨセフ物語と同じです(創世記50章20節)。
モルデカイの言葉はハタクたちの心に突き刺さります。モルデカイの言う「別の場所」(14節)は、ユダヤ人の信じている「神」のことを指しています。彼の敬虔さに触れ、そこに尊敬の念を抱きます。この信仰のゆえに、モルデカイはハマンに敬礼をしなかったのだと得心し感心します(3章2節。ダニエルに似る)。ユダヤ人が殺されるべきではない、彼ら・彼女たちはペルシャ帝国の中に生きるべき空間が設けられるべきだと、ハタクたちは説得されます。そしてエステルにモルデカイの諸々の言葉を伝言します。さらにボールはモルデカイからエステルに、ハタクたちを通して投げ返されます。ハタクたちはエステルを説得にかかっていきます。「モルデカイの命令に従うことは、ユダヤ人の信仰に生きる、あなたの人生にとって重要である、神の前に敬虔に生きることに価値があるのではないか」と説くわけです。
15 そしてエステルはモルデカイに向かって返事をして言った。 16 「あなたは行け。あなたはスサに見出されるユダヤ人の全てを集めよ。そして彼らがわたしについて断食するように。そしてあなたたちは食べるな、そしてあなたたちは飲むな、三日三晩。わたしとわたしの召使たちもまたそのように断食する。そしてそのような中わたしは王のもとに来る、法ではない(ものに従って)。そしてわたしは滅びたと同時にわたしは滅びた。」
エステルは決意します。法の根拠のない行動を取ること、すなわち王から呼ばれる前に王に会いに行くこと、そして王に法の取り消しを求めることを決めます。人間が作る法律は人間が廃することもできます。法よりも上の価値があります。または法とは別の価値があります。それが神への信仰であり、不当な扱いを受けている隣人への愛です。そのために微力を尽くすべきです。今この時わたしは何のために生きているのか。神や隣人に仕えるために自分にできること/自分にしかできないことがあるならば逃げずに挑もうではないかとエステルは腹をくくったのです。
「私は滅びたと同時に私は滅びた」(16節)という直訳は理解しにくい表現です(創世記43章14節も類似表現)。完了視座を用いた言い方です。エステルの中では違法行為で殺された/ユダヤ人だから殺されたという事態が完了しています。死ぬ覚悟ができたというわけです。そこで「もし死なねばならないならば死んでも良い」(JPSも)などと訳すのです。14節のモルデカイの言葉「あなたとあなたの父の家は滅びる」という不確定な未来予測(未完了視座)を受けて、「わたしはもう滅んだ=死ぬ気で取り組む」と応えているのです。古い自分は死んだという心意気です。
そしてエステルが逆にモルデカイに命令をします。町中の全ユダヤ人を集めて三日間のハンガーストライキをせよというのです。多くのユダヤ人が住んでいたのでスサの町の機能が部分的に止まります。エステルの周辺にも同じ抗議の輪が広がります。このようにしてユダヤ人の生命の問題が、町の問題であること、王の家の問題であること、帝国全体の問題であることを王に知らせようとしたのでしょう。モルデカイはエステルの命令に従います(17節)。
この後の物語の結末はご承知の通りです。エステルは金の笏を伸べられ殺されずに済み、ハマンは失脚しモルデカイが登用されユダヤ人虐殺法は廃止されます(5-8・10章)。こうして「プリム祭」(プルの複数)の起源を説明する物語としてエステル記は今もプリム祭のときに読まれています(9章)。
今日の小さな生き方の提案は、覚悟の過程を大切にするということです。エステルは対話の中で、また仲間たちの交わりの中で、覚悟を与えられました。話し合いの中で意見が変わったのです。それはハタクたちもモルデカイもそうです。話し合いには力があります。もしも話し合いに参与する一人ひとりが自身の意見を変える余地(空間)を持っているならば、そうです。より良いものが相互の変化で生まれます。新たにされたエステルは王へのロビイングに向かい、新たにされたモルデカイは全ユダヤ人ハンストに向かい、新たにされたハタクたちは王宮でハンストを行います。それが王の意見を変え、法を変えたわけです。バプテスト教会の民主政治には力があります。それが一人ひとりに良い覚悟を与え、より良い世界が実現するのです。