やもめたちの声 使徒言行録6章1-7節 2021年2月14日礼拝説教

1 さて、これらの日々において弟子たちが増えて、ヘブライ語話者に対するギリシャ語話者の不平が起こり続けた。なぜならば毎日の奉仕において彼らのやもめたちが比べられ続けていたからである。 

 初代教会の教会員はすべてユダヤ人だったのでしょうか。使徒言行録2章を丁寧に読む中で、わたしたちはペンテコステの日から外国人が初代教会に加わっていたと推定してきました。この推定は本日の箇所の解釈に関わります。新共同訳のように、「ヘブライ語を話すユダヤ人」「ギリシャ語を話すユダヤ人」と訳すことは先入観に基いています。

ヘブライ語話者は、アラム語やヘブライ語を第一言語として日常的に用いる教会員のことです。新約聖書で「ヘブライ語」と書いてある場合、アラム語と混ざっている場合が多いのです。もちろん、「ヘブライ語/アラム語話者」の中ではユダヤ人が多かったことでしょう。ただしパルティア、メディア、エラム、メソポタミア出身の外国人の中にはアラム語を話す人々も大勢いたと思います。古代西アジアの公用語だったからです。ギリシャ語も東地中海から西アジアにかけての公用語でした。最初から外国人が教会に多かったと考えるならば、ギリシャ語話者もユダヤ人にのみ限定する必要はありません。ギリシャ語を話す小アジア半島出身者や北アフリカ出身者もいたからです(2章9-10節)。

多民族・多言語からなる教会の中が二つの公用語をめぐって対立したというのです。対立が先鋭化したのは「毎日の奉仕(ディアコニア)において、ギリシャ語話者のやもめたちがヘブライ語話者のやもめたちに比較して軽く扱われ続けた」という事態です。この「やもめ(ケーラ)」が誰であるのかが重要な点です。旧約聖書において社会的弱者の代表は「孤児・やもめ・寄留者」です。保護されるべき人という理解だけで良いのかが問われます。

著者ルカは「やもめ」に関心が強い人です。27回中ルカ文書に12回登場しています。預言者アンナ(ルカ2章37節)、一人息子の葬儀を行う女性(同7章12節)、裁判官の心を動かす女性(同18章3節)、そしてドルカスの死を悼むやもめたち(9章39節)などなど。そこに出てくる女性たちは、支援を必要とする社会的弱者というだけの存在ではありません。自分の意見を持っている人々(「#わきまえない女性たち」)であり、他者を支援する人々です。

そもそも2章や4章で「教会員の財産の共有」が言われているのに、なぜ6章で教会員の一部への支援の不平等が問題になるのでしょうか。6章の問題は、ヘブライ語/アラム語話者のやもめたちと、ギリシャ語話者のやもめたちが比べられ続けたことなのです。ではアラム語話者のやもめたちとは誰でしょうか。イエスの母マリア、マグダラのマリア、ヨハナ、スサンナ(ルカ24章10節、8章2-3節)、ベタニヤ村のマルタとマリア(10章38節以下)らが「やもめたち」と呼ばれていたのではないでしょうか。つまりここでのやもめは教役者のような教会内の職務を表していると思います(Ⅰテモテ5章参照)。

やもめたちの職務は、愛餐/晩餐(食卓)や経理(机上の事務:ルカ19章23節「銀行」も同じ単語)や調整(円卓会議)の仕事です。それが「卓(複数)に奉仕すること」(2節)です。その仕事ぶりにおいて、女性たちが分断させられていました。アラム語話者の男性たちが、勝手に比べてギリシャ語話者のやもめたちの仕事ぶりをアラム語で非難していたのでしょう。「ギリシャ語の女性たちが理事になると話が長くなる」などという悪口です。「あなたたちがきちんと仕事をしていないからだ。対立する教会内を治めよ」と、双方のやもめたちの「わきまえない」声が使徒たちを動かします。

2 さて、かの十二人は弟子たちの集団を召集して、彼らは言った。「神の言葉を打ち棄てて、卓に奉仕することはわたしたちにとって好ましくない。 3 さて、兄弟たちよ、あなたたちはあなたたち自身から立証されている、霊と知恵とに満ちた七人の男たちを見つけ出せ。その者たちを、わたしたちはこの必要について任じたい。 4 さて、わたしたち自身は祈りと神の言葉の奉仕に固着したい」。 

 「神の言葉」という表現が三回繰り返されています(3・4・7節)。特に7節は抽象的なキリスト教という意味です。この言葉は使徒たちが机上の実務を放棄したことを意味します。実務とは、やもめたちが担っていた晩餐/愛餐、経理、内部の調整という裏方の奉仕です。とくにここで二つの公用語をめぐる亀裂を修復する役回りが必要となります(「この必要」3節)。「霊と知恵」(3節)・「信仰と聖霊」(5節)は、調整と修復のための賜物です。

 「十二人」は使徒集団を表す象徴的な数字です(Ⅰコリント15章5節)。その時点で使徒と呼ばれていた男女が含まれていたと思います。その中には「やもめ職」に就いていたマグダラのマリアも居たかもしれません。使徒集団は、ヘブライ語/アラム語、ギリシャ語、さらには他の言語をも用いる全教会員に「実務家であり調整と修復に向いている七人を見つけ出すように」と呼びかけました。七人は配膳係というだけではありません。彼らは「福音宣教者」(21章8節)とも呼ばれる、教会を建て上げ維持する実務に長けた人々です。実際ステファノは使徒たちと同様に「不思議な業としるし」を行ったり(6章8節)、旧約聖書を用いて説教もしています(7章以下)。一方でこれは妥協的解決です。本当なら「やもめたち」がそのまま七人に選ばれるべきところ、やもめたちとも使徒たちとも調整ができる男性たちが選ばれたのですから。初代教会も、そして現在の教会も男性中心社会から抜けきっていません。

5 そして全ての集団の前でこの言葉は喜ばれた。そして彼らは信仰と聖霊に満ちた男性ステファノとフィリポとプロコロとニカノルとティモンとパルメナとアンティオキアの改宗者ニコラオを選んだ。 6 その者たちを彼らは使徒たちの前に立たせた。そして祈って、彼らは手を彼らの上に置いた。

 ここで選ばれた七人の名前はすべてギリシャ語名です。さらにパレスチナのユダヤ人が付けるギリシャ語名ではない名前ばかりです。外国人ばかりの構成はペンテコステの時から教会に加わっている信徒たちの構成を反映しています。つまり、この七人は教会の古株です。さらに推測すれば、フィリポ以外は小アジア半島や北アフリカ出身の「ギリシャ語話者のやもめ」の息子たちかもしれません。「彼らのやもめたち」が不当に比べられ貶められていたことに憤っていたのでしょう。本日はフィリポとニコラオについてだけ触れておきます。

 フィリポは十二弟子の一人のフィリポなのか(ルカ6章14節)、それとも別人なのでしょうか。同一人物と考えます。というのも弟子のフィリポがギリシャ語話者であるからです(ヨハネ12章20-21節)。彼は使徒集団の中から推薦されて「七人の福音宣教者」の一人となったのでしょう。フィリポはベトサイダ出身であり、そこはペトロとアンデレの故郷でもあります。フィリポはこの二人からの信頼が厚かったと思います。十二弟子リストで必ず五番目(ペトロ・アンデレ兄弟、ヤコブ・ヨハネ兄弟の次)に挙げられることも、フィリポが重要な教会指導者だったことを裏付けています。使徒たちの多くはヘブライ語話者です。その自分たちの意見も含めて調整できる人物、対立を修復する者としてギリシャ語も堪能なフィリポは期待され、使徒かつ福音宣教者とされたのです。このような二重の役職を担っているのはフィリポだけです。

 ニコラオは改宗者と呼ばれています。この人はアンティオキアでユダヤ教の会堂に通ってそこで割礼を受けて改宗して「ユダヤ人」となり、エルサレムで教会(ユダヤ教ナザレ派)に加わった人物です。そして、このような経緯でキリスト者になることは、この後の伝道の歴史において「よくある事例」となります。教会はユダヤ教に好意的な非ユダヤ人を伝道対象としていきます(17章4節)。ニコラオがアンティオキア出身であることも重要な情報です。エルサレムで迫害が起こった後、ニコラオはアンティオキアに戻ったことでしょう。アンティオキアはローマ帝国第三の都市、大都会です。そして彼はアンティオキア教会を、ギリシャ語話者を中心にして建て上げたのでしょう。そこに使徒バルナバとパウロが合流していきます(11章19節以下)。

 6節は「按手礼」という儀式の根拠聖句です。文法的には祈った後で手を置いていますから(新共同訳も)、手を置きながら祈るわけではありません。また主語は使徒たち(受按牧師に相当)ではなく「全ての集団」(5節)です。そこには男性も女性(やもめたち含む)も、大人も子どももいたはずです。礼典執行や祝祷執行権限を受按牧師から非受按牧師へ授与する、頭の上に手を置きながら祈る「按手礼」とはかなり異なります。むしろ米国バプテスト教会の新執事たちに対する「按手」が近いと思います。

7 そして神の言葉が成長し続けた。そして弟子たちの数がエルサレムにおいて顕著に増え続けた。それから祭司たちの多大な群れが信仰に聞き従い続けた。

 使徒たちが実務から離れて行った時に教会(神の言葉)は成長し、弟子たちの数が増えたとルカは報告します。「十二人」という枠組みにとらわれず、柔軟に実務者を立てた方が良いというのです。確かにペトロが経理を担った時にアナニア・サフィラ夫妻は非業の死を遂げたのでした。

 すると新しい現象が起こります。神殿で奉職している「祭司たちの多大な群れ(オクロス)」が教会に加わってきたというのです。このことをルカは肯定的に記していません。「民(ラオス)」ではなく「群れ(オクロス)」を使っているからです。サドカイ派の信徒がナザレ派(キリスト教)に転向することと、祭司という職の人がそのまま教会員となることは質的に異なります。神主のままキリスト者になれるでしょうか。

 初代教会に変化が起こります。ヘブライ語/アラム語話者とギリシャ語話者の対立が回避された結果、両者共に増え続けてとうとう最右翼の神殿祭司職男性たちも受け入れたのです。この事実は、後にステファノたちだけが迫害されたけれども使徒たちはエルサレムに残り(8章1節)、エルサレム教会がずっと神殿と共存し続けた「歴史の謎」を解明する鍵です。教会員の中に神殿に勤める者たちがいるので、その人々を中心にしてエルサレム教会は神殿貴族からの迫害を避けて残り続けたのでしょう。それはギリシャ語話者の教会員たちを切り捨てることでもありました。この頃、後にエルサレム教会の最高指導者になるイエスの実弟ヤコブ(15章13節、ガラテヤ1章19節)が、「十二使徒」に加わっていきます。フィリポが出て行くころにヤコブが入るのです。

 今日の小さな生き方の提案は、やもめたちに倣うことです。そしてやもめたちが同じ実務(晩餐/愛餐、経理、会議)をしながら肩書を与えられなかった無念を晴らすことです。彼女たちは自分たちの声を上げました。彼女たちは教会を改善し、ある部分の課題を解決しました。公用語を巡る対立は修復されました。しかし自分たちの代表として男性しか選べませんでした。彼女たちは、否、彼ら彼女たちは性差別という教会の根本の課題を改革することができませんでした。結局取りまく社会が変わらなくては教会も変わりません。世と共に徐々に進むしかない。連盟において三十年前よりは森喜朗的な発言は減りましたがゼロではありません。わきまえずに声を上げ続ける一人でありたいです。