アグリッパ王 使徒行録25章13-27節 2024年4月21日礼拝説教

13 さて数日が過ぎ去って、その王アグリッパとベルニケがカイサリアの中へと下った、フェストゥスに挨拶して。 

 「その王アグリッパとベルニケ」という、新たな登場人物について説明をいたします。アグリッパは、歴史書では「アグリッパ二世」と呼ばれる男性です。彼の父親は「ヘロデ(・アグリッパ一世)」、使徒言行録12章で「ヘロデ王」と呼ばれている人物です。ゼベダイの息子ヤコブを斬首刑に処し、ペトロをも逮捕監禁した人物です。ヘロデ・アグリッパ一世はクリスマス物語のヘロデ大王の孫ですから、本日登場のアグリッパ二世はヘロデ大王の曾孫にあたります。アグリッパ一世と二世の父子は、ローマ帝国の庇護のもとうまく立ち回って領土を拡張したヘロデ大王によく似た政治家です。ちなみに受難物語に登場する「ヘロデ(・アンティパス)」はアグリッパ一世の異母弟にあたります(ルカ23章6-12節)。新約聖書には多くのヘロデが登場します。

 アグリッパ二世は後28年にローマに生まれ、ローマ流の教育を受けています。ヘロデ家の伝統です。後28年と言えばイエスの十字架・復活の数年前、本日の時点(後58年から60年までのいずれかの時点)では彼は三十歳ぐらいです。後49年から61年にかけて、アグリッパはローマ皇帝クラウディウスとネロの庇護のもと、レバノン地方から始めてガリラヤ地方と徐々にパレスチナ地域のほぼ全体を統治することに成功しています。特に49年に大祭司の任命権を握ったことが、パウロの裁判との関係では重要です。パウロが大祭司アナニアから訴えられているからです(24章1節)。そして後59年に、アグリッパはアナニアを解任しています。最高法院/大祭司と、ヘロデ王家/ヘロデ党の間に権力闘争があります。

 アグリッパに三人の妹がいます。ベルニケ、マリアムネ、ドルシラと言います。「ベルニケ」(1節)はアグリッパ二世にとって年の近い妹でもあり、内縁の妻とも噂された女性です。「ドルシラ」(24章24節)は前総督フェリクスの妻です。末妹ドルシラがはっきりとフェリクスの妻・ユダヤ人と紹介されているのに対して、ベルニケはアグリッパの妻とも妹とも紹介されていません。おそらく上記の理由による書き分けでしょう。ベルニケはアグリッパと同居する前に二度結婚し二度とも夫と死別しています(ヨハネ4章参照)。

 前任総督のフェリクスとの姻戚関係もありますが、何と言っても支配者ローマ帝国との太いパイプを保つためにアグリッパとベルニケは新任総督のフェストゥスを訪れます。そしてそれはフェストゥスにとって丁度良いタイミングでした。彼はローマ市民権を持つユダヤ人キリスト者パウロの裁判のことで頭を悩ましていたからです。繰り返される「その彼に関して」(15・18・24・26節)という言葉から、フェストゥスがパウロに関する裁判に手を焼いていた様子がうかがえます。「ユダヤ人の王」アグリッパならば何か知恵を貸してくれるかもしれません。この場面は、イエスの裁判においてローマ総督ピラトがガリラヤの領主ヘロデにイエスの身柄を押し付けようとした記事に似ています。ルカ文書のみの構図です。

14 さて多くの日々をそこで彼らが留まった際に、フェストゥスはその王にパウロについての事々を前に置いた。曰く、「とある男性の囚人がフェリクスによって残されてしまったままである。 15 その彼に関して、わたしがエルサレムの中へと生じた時に、その祭司長たちとユダヤ人たちの長老たちが表明した、彼に対する断罪を求めながら。 16 その彼らに対してわたしは答えた。すなわち、訴えられている者が訴えている者たちと面と向かう場を持つ以前に、また彼が訴えに関する弁護を受ける以前に、恵むことはローマ人の慣習ではない、と。 17 それだからここに(彼らは)共に来て、(わたしは)遅滞することもなく、(わたしは)その翌日に裁き台の上に座って、わたしはその男性を連れてくるように命じた。 18 その彼に関して、その訴える者たちは立って、わたし、わたしこそが期待し続けていた悪行の訴因を何も上げ続けなかった。 19 さて彼らは自身の宗教に関して何らかの論争点を彼に対して持ち続けていた。そして死んだままであるイエス某に関して(論争点を持ち続けていた)、そしてその彼をパウロは生きていると主張し続けていたのだが。 20 さてわたしはこの論争点に関して困っていたので言い続けた。彼がエルサレムの中へと行くこと、そしてそこでこれらの事々について裁かれることを望むのかどうかと。 21 さてパウロが、陛下の判決のために彼自身が守られるようにと上訴したので、わたしが彼をカイサリアに向かって送るまで、わたしは彼を守るようにと命じた。」 

 ヘロデ王家はラテン語も流暢なのでリラックスした雑談の中でフェストゥスはアグリッパに対してパウロの件を自分から持ち出します(14節)。フェストゥスは1節から12節までの出来事を自分の言葉で要約しています。2-3節と15節が並行個所、そして5節と16節が並行個所です。比べてみると本日の箇所の方が法律的な言い方です。特に16節は、「何者も不在のまま有罪とされない。何者も喚問なしに有罪とされることは法理念が許さない」(ウルピアヌス。後2世紀ローマ帝国法学者)という言葉と重なり合っています。対話の相手アグリッパを意識しています。

 6-7節と17-18節が並行個所でありほぼ同じ内容です。注目すべきは19節です。フェストゥスは、この裁判の本質を知っています。それはナザレ人イエスの復活について、「正統」のサドカイ派大祭司たちは否定し、「異端」とされていたナザレ派のパウロは肯定しているということです。ナザレ派(=キリスト教会)にとって十字架で殺されたイエスの復活こそ信仰の中心です。この信仰のゆえに大祭司はパウロを殺そうとしているという動機を、フェストゥスは知っています。この裁判はユダヤ人内部の宗教的争いであってローマ流の争訟になじまないものなのです(24節参照)。ローマ帝国の転覆を図る「騒乱罪」には当たらないという心証をフェリクスもフェストゥスも持っています。ナザレ派の教理についてフェストゥスは、おそらく前任者フェリクスから忠実に引き継いでいます(24章21-22節)。もちろんローマ人フェストゥスにとって「イエス某」は、「死んだままである」(19節。完了時制)のですが、パウロは「主は生きている」とずっと主張し続けています(未完了時制)。

 20-21節は9-11節に対応しています。細かく比べて見るとフェストゥスがアグリッパ二世の前で見栄を張っていることが分かりますが、大意は同じです。エルサレムに行くことではなくローマへ行くことをパウロが望んでいるということ、パウロが皇帝に上訴しローマへと移送させられる予定だということを、フェストゥスはアグリッパに伝えました。ローマ市民の上訴権を属州総督は尊重する義務があります。

22 アグリッパはフェストゥスに向かって「わたし、わたし自身がその人間の(話を)聞きたい」(と言った)。「明日――彼は言った――あなたは彼の(話を)聞けるだろう。」 23 それだから翌日に、多くの想像と共にアグリッパとベルニケが来て、そして千人隊長たちとその町の有力な男性たちとも一緒に講堂の中へと入って来て、そしてフェストゥスは命じて、パウロが連れられた。 24 そしてフェストゥスが述べた。「アグリッパ王よ、そしてわたしたちと共におられる全ての男性たちよ、あなたたちはこの男性を見ている。その彼に関して、ユダヤ人たちの全ての群衆はエルサレムにおいてでもここでもわたしに訴えている。彼の生命はもはやあるべきではないと叫びながら。 25 さてわたしは彼が死に適うことをしていないと把握した。さてこの男性、彼自身が陛下に上訴したので、わたしは送ることを決めた。 26 その彼に関して、確定的なことを主人に書くことを何もわたしは持っていない。それだからわたしは彼をあなたたちと特にアグリッパ王あなたの前に引き出した。その結果、吟味が生じて、わたしは書くべきことを持つだろう。 27 というのも、本人に対する訴因が特定されていない囚人を送ることはわたしにとって不合理に思えるからだ。」

フェストゥスの話を聞いたアグリッパはパウロに強い関心を示しました。明日パウロを取り調べて「吟味」(26節)してほしい旨を即座にフェストゥスは伝えます。アグリッパは何を求めていたのでしょうか。もちろんローマ総督に恩を売ることと大祭司勢力を弱めることが、政治的意図として彼にはあります。しかしそれだけでもなく強烈な個人的関心もあります。「わたし、わたし自身がその人間の(話を)聞きたい」(22節)。バプテスマのヨハネを拘束しながらその話を聞き、イエスの奇跡を見たいと願った領主ヘロデのような心境か。「ユダヤ人の王」を殺そうとしたヘロデ大王や、ヤコブを処刑したヘロデ・アグリッパ一世のような心境か。アテネの広場で暇つぶしとしてパウロの話を聞いた市民のような心境なのでしょうか。それらすべてでしょう。「多くの想像と共に」(23節)、アグリッパとベルニケはパウロを見ます。

フェストゥスはベルニケを無視して、特にユダヤ人の王であるアグリッパに尋問をしてほしいと言います(26節)。パウロが犯した犯罪の事実(「訴因」27節)を特定するためです。「千人隊長たち」(23節)の中に「リシア」が居たのならば事件当日の証人として呼ばれたのでしょう(23章25節)。「彼の生命はもはやあるべきではないと叫びながら」(24節)という迫真の情景描写はリシアからもたらされていると思います。「その町の有力な男性たち」の中にはユダヤ人代表もいます。カイサリアの町にはユダヤ人居住者も多かったからです。この人々がフィリポたちの教会をも圧迫していたようです(「ここでも」24節)。カイサリアでも騒乱が起こりえるのかも論点です。女性は証人になることができないし尋問の主体にもなれなかったのですが、ベルニケはヘロデ王家の人間であるからその場に居ることができたのです。

フェストゥスはローマ市民パウロに弁明の機会を与え、アグリッパに尋問の機会を与え、パウロにローマ帝国の治安を乱す「騒乱罪」が当てはまるかを吟味します。これは表向きのパフォーマンスです。それと同時に裏側で、フェストゥスはパウロに皇帝への「上訴」(21・25節)を取り下げてほしいと願っています。ローマ市民の上訴権行使を総督は無視できない(皇帝にも属州にも無礼となる)という法があったからです。つまり本音は、パウロが渋々とでもある程度の「騒乱罪」を自白して、総督の権限で軽めの刑罰を執行することを望んでいたのです。フェストゥスもまたピラトの道を歩んでいます。

今日の小さな生き方の提案は、男性権力者たちの織り成すパワーゲームから降りることです。ただ一人いる女性ベルニケが無視されていることがヒントです。アグリッパやフェストゥスや大祭司たちの出世欲や打算と、キリスト信仰とは正反対の関係にあります。その類の「貴族の遊び」によってイエスもパウロも裁判で殺されたのです。二人とも愚直に信に生きたからです。それがキリスト信仰による敬虔です。イエスは裁判で弁明しないことによって、パウロは裁判でローマ市民権を用いて上訴することによって、あえて損をしました。降りる生き方によって「損」をすることが、本当の意味では永遠の生命という「得」を得る生き方です。すべての人がこの信に招かれています。