インマヌエルよ イザヤ書8章1-8節 2023年12月10日 待降節第2週礼拝説教

 イザヤ書7章14節はとても有名な「メシア預言」であり、毎年のクリスマスに読まれます。マタイの教会が、「インマヌエル」と呼ばれる人物はイエス・キリストを指すと信じ(1章23節)、「神は我々と共におられる」という福音を大枠にして、マタイ福音書全体を構想したからです。福音書の末尾にキリストが「わたしは・・・あなたがたと共にいる」(28章20節)と約束している通りです。キリストの降誕・誕生と復活・昇天は、呼応しています。

 メシア預言は有名である一方で「インマヌエル」という言葉が、イザヤ書7-8章に三回登場することはあまり注目されていません。インマヌエルは、7章14節、8章8節、8章10節に三回登場します。紀元前8世紀のイザヤの時代、一体インマヌエルという赤ん坊は誰のことを指していたのでしょうか。また、同じ7-8章にはイザヤの息子が二人登場します。シェアル・ヤシュブ(「残りの者は帰る」の意。7章3節)と、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(「急いで戦利品、速やかに略奪」の意。8章1・3節)というメッセージが込められた名前です。この二つのメッセージと、「神は我々と共に」というメッセージはどのように関わるのでしょうか。

 待降節、クリスマスという話題をひとまず脇に置いておいて、紀元前734年ごろの預言者イザヤにとってインマヌエルが誰であったのか、イザヤの子どもたちの名前とどのような関係があるのかについて探っていきます。本日の聖句にはカタカナの固有名詞が多くありますので、最初に人名と地名の説明をいたします。イザヤは「ユダ」(8節。「南ユダ王国」)のアハズ王の顧問役です。「祭司ウリヤ」(2節)もイザヤの同僚です(王下16章10節)。「ダマスコ」(4節)はアラム王国の首都です。「サマリア」(4節)は、北イスラエル王国の首都です。「レツィン」(6節)は、アラム王国の王です。「レマルヤの息子」(6節)は北イスラエル王国の王ペカという人物です。「アッシリア」(4・7節)は当時の西アジア最強の帝国です。四つの国は、南西から南ユダ王国、北イスラエル王国、アラム王国、アッシリア帝国と並んでいます。そしてその順番は軍事力の弱い順でもあります。

 二番目と三番目のアラム王国と北イスラエル王国とが連合して南ユダ王国に攻め入ってきました(シリア・エフライム戦争)。最も弱いユダのアハズ王は、最も強いアッシリア帝国に助けを求めます(王下16章参照)。これが前734年の状況です。

 イザヤはアハズ王のこの政策を批判します。その際のメッセージが「シェアル・ヤシュブ(残りの者は帰る)」(7章3節)です。つまり、王の政策はアラム王国も北イスラエル王国も南ユダ王国も滅亡させるというのです。いったん滅ぼされた後に、裁かれ捕囚に連れて行かれた者たちが堅い信仰を与えられて帰るという未来が起こるだろう。この警告がイザヤの息子の名前に込められています。逆に、今のうちから堅い信仰があれば、国は滅びないはずです。

 アハズ王は警告に従おうとしません。神に頼らずアッシリア帝国の軍事力に頼ろうとします。憤るイザヤはこれから生まれる赤ん坊にインマヌエルと名づけよと言います(7章14節)。この赤ん坊は、アハズ王の息子ヒゼキヤであろうと推測します。この名前は皮肉です。神が我々と共にいることをアハズが信じられなかったというしるし(象徴)なのです。この子どもが大きくなる前に、アラム王国と北イスラエル王国は滅亡させられ、アッシリア帝国と隣接することになるとイザヤは警告します(7章15-17節)。

 本日の箇所は、7章と重なり合い響き合っています。アラム(前732年滅亡)と北イスラエルが滅亡した後(前721年)、アッシリアが南ユダに押し寄せてくることを警告しています。7章の直後に書かれた預言です。

1 そしてヤハウェは私に向かって言った。「貴男は貴男のために大きな板を取れ。そして貴男はその上にマヘル・シャラル・ハシュ・バズのために人間の筆で書け。 2 そして私は、私のために確実な証人たち、その祭司ウリヤを、またエベレクヤの息子ゼカリヤを立てる。」 3 そして私はその預言者に向かって近づいた。そして彼女は妊娠した。そして彼女は息子を生んだ。そしてヤハウェは私に向かって言った。「彼の名前(を)、マヘル・シャラル・ハシュ・バズと呼べ。 4 なぜなら、その若者が『私の父よ』や『私の母よ』と呼ぶことを知る前に、彼はダマスコの軍隊およびサマリアの戦利品をアッシリアの王の面前に上げるであろうからだ。」 

 イザヤの妻も「預言者」(3節)であったようです。夫婦で預言者である事例は珍しいものです。この夫婦に神は伝言を託します。子どもの出産と命名によって、アハズ王への警告を強めよというのです。「象徴行為」や「行動による預言」が、預言者に求められることはしばしばあります(20章参照)。「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(急いで戦利品、速やかに略奪」(1・3節)とは、およそ親がその子どもに付けることがない、奇妙な名前です。7章と8章とを重ね合わせて考えましょう。

 インマヌエルと同じく赤ん坊への命名です。なぜなら、その赤ん坊が大きくなる前に、大きな出来事が起こるということを言いたいからです。赤ん坊の成長というものは、ものすごい速度です。その速さ、短期間であるということが肝です。インマヌエルの場合は、善悪の分別を知る前に二つの国が滅亡するという警告でした(7章15-16節)。そのすぐ後になされたマヘル・シャラル・ハシュ・バズという命名の場合も、「その若者が『私の父よ』や『私の母よ』と呼ぶことを知る前に」(4節)二つの国が滅亡するだろうと警告しています。この名前は、すぐに起こる敗戦のしるし(象徴)です。

この未来をもたらした「」(4節)とは、ある意味でアハズ王でありましょう。アハズ王の外交政策が、二つの国の滅亡を決定づけ、両国の財宝があっという間に戦利品となります。彼がそれらをアッシリアの王に上げたのです。

5 そしてヤハウェは重ねて再び私に向かって語った。曰く、 6 「なぜならば実にこの民が緩やかに歩いているシロアの水を拒んだからだ。そしてレツィンとレマルヤの息子を歓迎しつつ。 7 そしてそれだから、見よ、私の主人は彼らの上に上らせつつある、強くまた夥しい川の水を、アッシリアの王を、そして彼の全ての栄光を。そして彼〔水/アッシリア王〕は彼の全ての運河の上に上った。そして彼は彼の全ての川岸の上に歩いた。 8 そして彼はユダの中を通過した。彼は溢れた。そして彼は渡った。彼は首まで及ぶ。そして彼の翼の広がりは、貴男の地の幅一杯となった。インマヌエルよ/神は我々と共に。」

ここからは二つの国の滅亡ではなく、南ユダ王国に対する警告です。「シロアの水」(6節)は南ユダ王国の首都エルサレムに流れる用水路です。東方の丘にあるギホンの泉から湧き出る水です。ヤハウェの守りと導きの象徴とされていたようです。イザヤがアハズ王に「落ち着いて静かにしていなさい」と諭す時に、イザヤの念頭にある堅い信仰のイメージは「緩やかに歩いているシロアの水」です(7章3-4節)。しかし「この民」(南ユダ王国住民)の代表者であるアハズ王は、この堅い信仰を拒否しました。彼は、アッシリア帝国軍による二つの国の滅亡のみを「歓迎しつつ」、神を信じなかったのです。それは近視眼的な政策決定でした。アッシリア帝国が南ユダ王国をも軍事占領することを読み切れなかったのです。

イザヤは守りの象徴であった「シロアの水」のイメージを、大河ユーフラテス川と重ね合わせ反転させます。アッシリア帝国の繁栄の源となる大河です。「アッシリアの王」と大河(「強くまた夥しい川の水」)が同一視され(7節)、その大河が南ユダ王国を呑みつくすという裁きが予告されます。こうして「水」の意味は反転し、ノアの洪水のような裁きのイメージとなります。この大河の水は用水路のように緩やかに歩かず、アッシリア帝国の首都ニネベの運河の上、川岸の上を歩き、あふれかえって南ユダ王国領内に押し寄せます。

ユダの首を除いて水が通過するということは、山の上にある首都エルサレム以外の領土を全部アッシリア帝国が軍事占領したということです。実際に前701年、ヒゼキヤ王の時代にこのような事態は起りました(王下18-19章)。「インマヌエルよ」(8節)と、イザヤはアハズの息子に警告しています。「貴男の地」という呼びかけも、目の前にいるヒゼキヤになされていることを示しています。過去のアハズ王の外交政策が、将来のあなたの困窮を生み出すというのです。なぜアッシリア軍はエルサレムを除いてすべて南ユダ王国の土地を占領しているのか。それはアハズ王がヤハウェに対する堅い信仰を持てなかったからなのだと、イザヤは説明しています。今の世代に対する絶望と、次の世代に対する期待が混じった教育的預言です。

インマヌエルよ」と訳した部分は、当然「神は我々と共に」とも訳せます。新共同訳聖書は8節を「インマヌエルよ」とし10節を「神は我々と共に」と訳し分け、関根清三はどちらも「神は我々と共に」とします。「ヒゼキヤ王子よ、あなたのあだ名はインマヌエルなのだから、神は堅い信仰を持つ我らと共におられることを静かに落ち着いて信じなさい。神にのみ誠実でありなさい」と、教育的な二重の意味を込めたいところです。

ではアハズ王はアッシリア帝国に頼らずに何をなすべきだったのでしょうか。預言者イザヤの警告に従うならば、アラム王国・北イスラエル王国連合軍の前で、さっさと無条件降伏をするべきだったと思います。どんな時でも神が我々と共におられるということを信じて、武装解除を自らして、剣を鋤に槍を鎌に打ち直し、反乱もせずに併合されるべきだったのです。そうすれば、おそらく北イスラエル王国が同根の姉妹国として南ユダ王国を丸呑みし、同じ言語で統治をなしダビデ・ソロモン時代の領土が保存されたことでしょう。徹底抗戦をして、多くの血が流れるよりも、その方がましな結論です。正しい戦争というものもありえないし、間違った平和というものもありえないからです。

これは「お花畑平和主義」と嘲笑されるべき内容でしょうか。平和の預言者と呼ばれたイザヤの超現実的な教訓なのではないでしょうか。「神は我々と共にいるから必ず勝つ。だから戦おう」ではなく、「神は我々と共にいるから絶対に戦わない。今は負けても良い。いつか勝敗の無い平和を創り出す」という道の方が、多くの命は保全されます。残りの者が帰る。未来の人たちが非暴力の手段で暴力をふるう略奪者たちからの解放を成し遂げるでしょう。

今日の小さな生き方の提案は、イザヤに倣って歴史に対する透明な目をもって過去も未来も遠くまで見渡すことです。日本という国の過去を振り返っても、非軍事の民となるきっかけはいくつかあったと思います。非武の島・琉球と出会った時、私有地概念をもたないアイヌ民族と出会った時、植民地化しようとする欧米列強と出会った時、薩長明治政府・天皇制を採用した時、米軍事占領から独立した時、すべてのきっかけで剣を取ることを選んでいます。近視眼的に敵からの防衛を煽られて。「インマヌエルよ、神は我々と共にいる」。少年ヒゼキヤと共に、静かに落ち着いて全ての暴力を棄てていきましょう。