エジプトへ
マタイによる福音書2章13-15節
2024年12月29日
はじめに
本日の箇所、いわゆる「エジプト下り」と呼ばれる物語は、クリスマス物語の後日談です。しかしマタイ教会にとってはとても大切にしていた物語です。「定型引用」「成就引用」と呼ばれる表現で、旧約聖書の預言が実現したと言っているところからも、その重要性が分かります。中世以降のキリスト者たちにもエジプト下りの物語は好まれ、多くの絵画のモチーフとなっています。流浪の民とならざるを得ない人々や、不条理の苦労を強いられている人々の物語は、共感を得ることが多いのだと思います。
さてここで改めて定型引用というものについて申し上げます。実は、マタイ福音書は四つの福音書群の中で定型引用が一番多い福音書です。マルコ福音書には一回しかないところ、マタイ福音書には十一回もあります。今までにも1章23節でイザヤ書7章14節が、そして、2章6節でミカ書5章1節とサムエル記下5章2節が引用されていました。本日の箇所は三回目の定型引用です。15節の波線の下線部分です。非常に多いということが分かります。
この事実はいくつかのことを示しています。一つは、マタイ福音書が旧約聖書との関係を積極的に繋げようとしている福音書であるということです。新約聖書の第一番目に位置したことは、この繋ぎという点が評価されているということでもあります。二つ目は、マタイ福音書が多くの人の手によって作られた「教会の書物」であるということです。マタイ福音書はギリシャ語が第一言語のキリスト者によってギリシャ語で書かれています。しかしその中にはヘブル語が堪能なユダヤ人がいたことも判明しています。なぜならギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳聖書)からの引用ばかりではなく、ヘブル語旧約聖書から直接引用されている場合があるからです。本日の箇所がまさにそれです。彼ら彼女たちは、ギリシャ語訳もヘブル語も用いてメシア預言に該当するような箇所を旧約聖書中くまなく探したのです。この作業はとても一人ではできません。
旧新約聖書を積極的に繋げて読むことはキリスト者全般にとって良い勧めです。そして教会員大勢の手で一つの作業をすることはバプテスト教会にとって良い勧めです。マルコ福音書では満足感が得られないからこそ、彼ら彼女らはマルコ福音書を前に置きながら、自分たちの聖書を作りました。このチャレンジ精神と向上心は、何にでもあてはまる良い模範であると思います。
13 さて、彼らが戻った後、何と、主の天使が夢によってヨセフに現れる。曰く、起きて後、その子どもと彼の母親とをあなたは受容せよ。そしてあなたはエジプトの中へと逃げよ。そしてわたしがあなたに言うまであなたはそこに居よ。というのもヘロデが彼を滅ぼすためにその子を求めようとしているからだ。 14 さてその男性は起きて後、彼はその子どもと彼の母親とを夜、受容した。そして彼はエジプトの中へと戻った。 15 そしてヘロデの死までそこに彼は居続けた。その結果その預言者を通して主によって言われたことが満たされた。曰く、エジプトからわたしはわたしの息子を呼んだ。
戻った・受容した
二つの動詞で、文脈に沿わない翻訳をあえてしています。それは「戻った」(14節)と「受容した」です(13・14節)。一般的には「去った」「連れた」と訳されるところです。しかしあえて別様に訳しました。なぜかと言えば、全く同じ単語を前の文脈でマタイ教会が用いているからです。「戻った」は、博士が天使に「あなたたちはヘロデに向かって戻るなと告げられた後、他の道を通って彼らは彼らの地域の中へと戻った。」という場面で用いられ、13節でも博士たちを主語にして用いられています。直近の文脈です。
博士たちが東方に戻ったように、ヨセフとマリアとイエスはエジプトに戻ったとも考えられます。言い換えれば、三人にとってエジプトこそが本国であるということです。マタイ教会は旧約聖書と新約聖書とを重ね合わせ、響き合わせようとしています。旧約聖書のヨセフは、奴隷の身からエジプトの総理大臣にまで上り詰めた人物です(創世記37章以降)。そして彼はエジプト人と結婚し、父を始め一族郎党を呼び寄せ、エジプトに定住させました。ヨセフにとってエジプトは本国です。マリアはヘブル語ではミリアムです。ミリアムは出エジプトの指導者としてエジプトからの旅を導きます。しかし道半ば荒野で死にます(民数記)。イエスはヘブル語ではヨシュアです。ヨシュアはミリアムを引き継ぎエジプトから約束の地に入る指導者です(ヨシュア記)。確かに、ヨセフ・ミリアム・ヨシュアにとってエジプトは「戻る」と表現されるべき地です。この創世記からヨシュア記に至るまでの重なり合いが、定型引用の15節の背景をなしています。出エジプトという救いの出来事です。
「受容した」という言葉は、1章24節で用いられています。「さてヨセフはその睡眠から起きた後、その主の天使が彼に命じた通りに、彼はした。そして彼は彼の妻を受容した。」これは、ヨセフがマリアと予定通り結婚したという場面です。ヨセフとしてはマリアに対する不信感や猜疑心が募るところ、しかし天使に説得され、マリアの言い分を聞き、マリアに聞き従おうとする場面です。受容には、福音や信仰を受け入れ、聞き従うという意味合いまで含まれているからです。
マリアに対するのと同じような複雑な心境と葛藤を、ヨセフはイエスという赤ん坊に持っているかもしれません。この子どもは確実に自分の子どもではないということをヨセフは知っているからです。マリアの夫となることを悩みながら選んだのと同じように、ヨセフはエジプトへと逃げる前に、イエスの父親となることを悩みながら選んだのではないでしょうか。この子どもを受容すること、このことができなければ命がけの旅をエジプトまで共にしようとは思わないでしょう。
なお、この時代の「エジプト」は十分にヘレニズム化しており、ギリシャ語が公用語の社会でした。ガリラヤのナザレ出身のヨセフもマリアも、おそらくギリシャ語を使うことができるユダヤ人です。ガリラヤ地方は通商が盛んな地域であり、また、ローマ軍が駐屯している地域だったからです。イエスもギリシャ語を使うことは、ツロ・フェニキアの女性との会話や、ローマ総督ピラトとの会話で明らかです。
ヨセフは夜の夢で「逃げよ」と命じられ、ガバッと起き上がって、その「夜」逃げます。黄金・乳香・没薬という贈り物を持って、その子どもを抱きかかえて、ヘロデ王の手が及ばない南の先進国エジプトへと逃げます。目指すはユダヤ人が多く住んでいた大都市アレクサンドリアでしょう。そこへ行けば乳香や没薬などを売って長期滞在のために用いることができます。そこへ行けば同胞ユダヤ人たちの助けを借りることができます。
難民として、また、外国人として生きるということはとても大変なことです。しかし同じ困難な境遇を潜り抜けた先輩たちがいる時にその苦労は軽くなります。蓄えなどはすぐ尽きてしまうものです。どうにかしてヨセフもマリアも身銭を稼がなくてはならなかったと思います。その時同胞のネットワークが助けになります。大工という手に職を活かす紹介を、ユダヤ人の間だけではなくエジプト人たちに対してもユダヤ人仲間がしてくれたのだと思います。そして安息日にはシナゴーグで同じ礼拝を体験できます。この信仰共同体のアイデンティティを確かめる体験が、ヨセフとマリアとイエスを活かします。
幼いイエスは大都会アレクサンドリアで、そのギリシャ語・ヘブル語・エジプト語が行き交う社会で、さまざまな人々が交差する街で、何を感じていたのでしょうか。成人したイエスは神の国運動という、途方もなく包括的な共同体づくりを創始します。「神の国は近づいた」という良い知らせのもと、狭い民族主義も、鼻につく権威主義も、律法の差別的な内容も、収奪的な政治経済の仕組みも、全て打ちこわす新しい考え方を創造する運動でした。マタイ教会は、ナザレから始まるこの運動の原点をエジプトでの難民生活に置いています。イエスの器の大きさは、大国エジプトで涵養されたのです。
ホセア書11章1節
「エジプトからわたしはわたしの息子を呼んだ」(15節)は、ホセア書11章1節の引用です。ギリシャ語訳聖書は「彼の息子たちを呼んだ」とあるので、マタイ教会がこの部分に関してはヘブル語聖書を用いていることは明らかです。ホセア書11章は、出エジプトの出来事を神が思い出しているという文脈です。11章1節を全部紹介します。「イスラエルが子どもの時に、わたしは彼を愛した。そしてエジプトからわたしはわたしの息子を呼んだ」(私訳)。イスラエルの民がエジプトに滞在した期間は四百年とも言われる長い間でした。しかし神はそのイスラエルを「子ども」とみなします。そしてエジプトの奴隷から自由の民へとなるように未熟な息子を呼び出したのです。
ここでマタイ教会によって、イスラエルという民と、イエスという個人が同一視されていることが分かります。エジプトの奴隷という苦難を体験したイスラエルのように、イエスもエジプトの難民生活という苦難を体験しなくてはならないのです。それが「神の子」の歩むべき道だからです。飼葉桶を透かすと十字架が見えます。同じように、「エジプト下り」を透かすと十字架とエジプトの奴隷生活が見えます。その苦難は神の子の道です。苦しむ神だけが苦しむ民を救うことができます。苦しむ神とは、苦しむ民と肩を並べて共に歩む神だからです。その神が、マタイ教会の信じるインマヌエルという名前を持つ、神の子イエス・キリストです。ベツレヘムで生まれ、命からがらエジプトへ逃げ、エジプトで苦難に遭った子どもです。
今日の小さな生き方の提案
マタイ教会に倣いたいと思います。真剣に聖書との取っ組み合いをし、救いの言葉・救い主である神を探し当て、この言葉がわたしの人生で成就したと言いたいと思います。このことは一人ではできないかもしれません。同信の友と一緒に博士たちが「星」を探し当てたように、膨大な聖書の中から探りたいです。説教という営みもその宝探しの一つであると思っています。宝探しの動機はわたしたちの日々の苦労にあります。最近の物価高騰だけでもとんでもない苦労です。救いがどこかに無いかと探るのは、毎日の苦難・重荷があるからです。「どこにも救いは無い」「救われたと感じられない」と思われる方は、少し視野を伸ばしてこの一年を振り返りましょう。出エジプトまで遡ったマタイ教会のように。そうすれば神の子イエスだけは少なくとも自分の苦難を共に担って軽くしてくださったことを受容することができるはずです。