エルサレムを離れず 使徒言行録1章1-5節 2020年8月23日礼拝説教

1 かの第一の言葉を私は、イエスが行いかつ教え始めた全てのことについて作った。おおテオフィロよ。 2 彼が選んだ使徒たちに聖霊を通して戒めた後、彼が挙げられる日までの(全てのことについて作った)。 3 彼らに対しても彼は彼の苦難の後に多くの証拠において彼自身生きていると示した、四十日通して彼らに見られながら、また、神の支配についての事々を言いながら。 4 そして共に泊まりながら、彼は彼らにエルサレムから離れないように、むしろ父の約束を待つようにと指示した。「そのことをあなたたちは私から聞いた。 5 なぜならヨハネは実際水でバプテスマをしたが、あなたたちは聖霊においてバプテスマをされるであろうから、多くの日々の後ではなく」。

 本日から新約聖書の使徒言行録を礼拝説教で取り扱います。ルカ福音書の続編にあたるもので、唯一の最初期キリスト教会の歴史を書き記した文書です。内容に入る前に、少し周辺的なことについて説明をいたします。著者について、また使徒言行録全体について、その他の文書との関係についてなどの情報です。それは説教者自身の立ち位置(解釈の視点)を含みます。

 使徒言行録の著者はギリシャ人ルカです。ルカはパウロの「協力者」「支援者」です(フィレモン24)。フィリピ教会の創立者の一人でもあり、パウロの伝道旅行を物心両面で支え、ローマでのパウロの最後も看取っています。使徒言行録の末尾はパウロの死を曖昧にしていますが、おそらくルカはパウロの死の前後から使徒言行録を書いています。かなり急いで書いた跡があるからです。そうなると紀元後60年ごろに使徒言行録は書かれた可能性があります。

 マルコ福音書が書かれたのが50年代だとすれば(田川建三による)、その次に書かれた文書は使徒言行録かもしれません(コトレル・リック・カーソンによる)。そしてその後にマルコ福音書の礼拝使用に不満を持つルカが、70年代にルカ福音書を書いたのではないかと推測します。マルコはパウロと喧嘩別れし、福音書という文学分野を創始した人物です。パウロの「キリスト教教理(信仰義認等)」重視に対してマルコはイエスの生き様重視を打ち出しました。ルカはパウロに同行しながらも、パウロのように「教理」には興味がなく、自分が当事者でもあるキリスト教の最初期の歩みを知りうる限り書き残そうとしました。ルカは「自分も参与している教会の歴史」に興味があります。それは徹頭徹尾非ユダヤ人の視点の歴史です。ユダヤ人パウロにもない徹底ぶりがギリシャ人ルカにはあります。

 1-2節はルカ福音書を書き上げた後に、二つの書物を繋げるためにルカによって付け加えられた部分だと思います。それはすなわち、「テオフィロ」という人物が実在する人ではなく、文学上の架空の人であるということを意味します。いや、だからと言って意味がないというわけでも、嘘を書いているというわけでもありません。テオフィロはある意味で実在するからです。

 聖書にはテオフィロという人物は、ルカ文書の「献呈の辞」(ルカ1章3節も)にしか出てきません。教会のために作成された福音書や行伝にとって不自然です。この名前は「神」と「愛」が組み合わさっています。ここには暗号があります。著者ルカは、「神を愛する者」あるいは「神に愛されている者」すべてに向かって、ルカ文書二作品を献呈しているのではないでしょうか。つまり使徒言行録は、わたしたちに向かって宛てられています。

 使徒言行録を読むにあたって、宛先人であるわたしたちに必要な心構えは「自分も教会の歴史の当事者である」という意識です。ルカの強みは、何といっても自分自身もパウロの旅に同行し、キリスト教会が苦労しながらも増えていく様子や、パウロが殺されていく様子を見ていることです。歴史とは読むだけではなく、そこに参与し、そこを生きるものです。泉バプテスト教会の歩みや信徒一人ひとりの人生に重ねる時に、使徒言行録は輝き出します。

 以上を前置きとして、具体的に聖句に触れていきましょう。「第一の言葉(logos)」(1節)は、ルカ福音書のことを指します。使徒言行録は「第二の言葉」です。そして第一の言葉という表現は、「第三の言葉」があっても良いと示唆しています。第三の言葉は、現代に生きるわたしたちの教会の歴史です。ルカ福音書は「使徒」という言葉を六回も使っています(マルコ二回、マタイ・ヨハネ各一回)。使徒という鍵語を、ルカ福音書は使徒言行録に影響されつつ、時代錯誤を承知で用います。使徒というギリシャ語apostolosは、「遣わされた者」という意味です。「弟子」という言葉には、「師匠の後ろを歩く者」という含みがありますが、使徒には「師匠から前へと投げられ派遣された者」という含みがあります。すべての信徒は、イエス・キリストに任命され前へと派遣されています。この無名の人々によって第三の言葉が作られていきます。

 使徒言行録はパウロもバルナバも使徒と呼んでいます(14章4節)。男性の十二弟子だけが使徒という身分を得るのではありません。実はペトロを筆頭とするユダヤ人教会形成には、そのような閉鎖的・民族主義的(割礼の強要)・権威主義的傾向がありました。「生前のイエスと生活を共にしたユダヤ人男性(アラム語話者)だけに独特の権威がある」という考え方です。ルカはギリシャ語で最初期教会の歴史を書くことで、この閉鎖性を打ち破ろうとします。

 民族主義・権威主義を打ち破るための鍵語は「聖霊」です(2・5節)。聖霊を通して任命された者はユダヤ人男性でなくても誰でも神から遣わされ、使徒となりえます。聖霊がユダヤ人も非ユダヤ人も、清い動物も汚れた動物も創った普遍的な神の霊、霊なる神だからです。その聖霊はイエスを生まれさせ、イエスを「神の支配」(3節)への招きという活動へと衝き動かしていました。「神の愛が支配する交わりは、今ここに、私たちの只中にあるのだから、どんな人もこの交わりに入ろう」とイエスは呼びかけました。十二弟子がイエスに選ばれ、イエスの教えを聞くことができたことも、実は聖霊を通してなされただけのことです。特定のユダヤ人男性だけが固有の権威を持っているわけではありません。同じ聖霊において、多言語・多文化の老若男女、多くの人々にバプテスマが授けられます(5節。2章参照)。十二弟子でさえも、聖霊におけるバプテスマを施されなければ、神から遣わされないというのです。

 3節の冒頭「彼らに対しても」という冗長な表現は皮肉です。生前のイエスをよく知る者という自負がある者たちにも、いや正にそのような人々に対してこそ、四十日間ずっとイエスは証拠を示しながら自分が生きていることや、「神の支配」とは何かを説明し続けなくてはなりませんでした。「自分を偉くしたい者は、まずみなに仕えなくてはいけない。乳児のようでなければ神の支配に入ることはできない」。こういった戒めを、改めて復活者が教えます。

 「共に泊まりながら」(4節)は議論のある翻訳です。「共に塩をとる」という直訳が意味不明だからです。「集まる」「共に食事する」という翻訳の可能性がありますが、ここは綴り方の間違いという学説をとります(小文字写本による本文批評)。エマオの二人の弟子と泊まろうとしていなくなったイエスが(ルカ24章)、最後の晩餐をしたあの宿屋に弟子たちと共に泊まっていたと考えます。その宿屋で、毎日パン割き(主の晩餐)が四十日間行われていました。

 食卓でイエスは何度も念を押します。私訳は、イエスが弟子たちに言い聞かせた内容の要点を、「エルサレムから離れるな。父の約束を待て」という指示と取っています。そのために5節を「すなわち」としないで「なぜなら」とします。イエスの言葉の強調点は、エルサレムから離れないことにあります。

 おやと思います。このことは弟子たちがガリラヤで復活のイエスを見たという言い伝えと真っ向から矛盾します(マタイ28章、ヨハネ21章)。ガリラヤ重視はマルコ福音書から始まっていました(マルコ16章7節)。マルコがイエスの活動拠点だったガリラヤを重んじるからこそです。ルカ文書の大きな特徴はガリラヤを重んじないことです。ルカ文書でだけ復活者はエマオまでしか行きません。エルサレム周辺にとどまっています。なぜならルカがマルコに批判的だからです。ユダヤ人ではないルカにとって、ガリラヤ地方もしょせんユダヤ内部です。むしろ「混血者」「半ユダヤ人(half)」として、ユダヤ人から差別されていたサマリア地方の方が重要です(8章。ルカ10・17章)。ガリラヤという「中継点」「中途半端な存在」は不要です。エルサレムから、直接非ユダヤ人の世界(エチオピア、ギリシャ)へと教会が広がれば良いのです。使徒言行録の書き出しは、「ガリラヤに行かなければイエスに出会えない」と主張するマルコ福音書を、明白に批判しています。聖書66巻には、このような建設的相互批判という共存の精神が貫かれています。

 ルカのイエスが語る共存思想は次のようなものです。「一番最初の教会がペトロたちによってエルサレムで設立されたのは歴史の事実なのだから、ガリラヤに行って復活者に会う必要も、そこでアラム語で復活者と会話を交わす必要もない。ユダヤ人男性のみになされる通過儀礼の割礼も必要ではない。ヨハネによるヨルダン川でのバプテスマは狭い了見を持たせやすい。その人とその場所が固定されている。そこに権威主義が生まれやすい。もっと広い視野・思想・信仰・生き方を授かるために、エルサレムにとどまり、聖霊を受けよ。なぜなら過越祭から五旬節までの間、さまざまな言語背景をもつユダヤ人たちがヨルダン川・ガリラヤ地方よりももっと広い地域から集まっているからだ。そこで聖霊におけるバプテスマを見ることができる」。

 先取りしていうならば、聖霊におけるバプテスマは異なる文化を異なるままで承認し合うという体験です。ガリラヤ地方のアラム語話者がそのままで、さまざまな地方のギリシャ語・アラム語・ラテン語を使う人々のことを理解することができたという不思議な体験です(2章)。聖霊における共存。これこそが発生の時から今に至るまでキリスト教会の本質です。異なる人を無理やりに一つに枠づけするのではなく、その存在を承認するということ。創造主の神が清いと宣言している被造物お互いが、一つの箱舟に乗ってお互いに清いということを認め合うことです。エルサレムという民族主義と権威主義のかたまりのような場所で、それを反転させ爆発させる出来事を聖霊が起こすというのです。ルカにしか描けない初代教会史です。

 今日の小さな生き方の提案は、わたしたちが教会を離れない理由を考えることです。わたしたちは自分の存在が神に承認されるために礼拝に参加します。わたしたちはお互いの存在を承認するために復活の主イエスを礼拝します。誰か一人の人間をを王として崇拝するためではありません。何か一色に染め上げられるためでもありません。それぞれは異なる人格であり、当然意見も異なり、時に利害も相反します。その人々が聖霊の導く礼拝でだけ共存できるのです。その体験が、月曜日からの日常生活を生きる力となります。そこは激しい同調圧力の風が吹きすさぶ場です。権威主義にひれ伏せという支配欲や、おぞましい民族主義や性差別が当たり前のように行き交う世界です。ルカの姿勢にならいましょう。生前のイエスに出会わなかったけれどもかえってイエスの言動に近づいたルカがわたしたちの先輩です。エルサレムを離れず、聖霊の引き起こす共存を毎週体験し続けましょう。