1 さてアンティオキアにおける現地の教会(a local church)のもとに預言者たちや教師たちが居続けた、すなわちバルナバもニゲルと呼ばれているシメオンもキュレネ人ルキオも四分封領主ヘロデの乳兄弟マナエンもサウロも。 2 さて彼らが主に奉仕をし断食をしている時に、聖霊が言った。「さあ私のためにバルナバとサウロとを私が彼らをそこへと招いた仕事のために取り分けよ」。 3 その時(彼らは)断食をし、また祈り、また彼らに手を置き、彼らは放った。 4 そこで彼らが聖霊によって送り出して、彼らはセレウキアへと下った。そこから彼らはキプロスへと出航した。
いわゆる「第一回伝道旅行」と呼ばれる記事に入ります。紀元後46-48年(ないしは47-49年)にわたってキプロス島から小アジア半島を巡って行く旅です。エルサレムに救援金を届けたバルナバとサウロは、エルサレム教会からヨハネ・マルコを連れてアンティオキア教会に戻ってきました。「現地の教会」(1節)は、「その時点でそこに存在し続けている教会」という興味深い表現です。バプテストの立場に引き寄せて「各個教会」a local churchとも言えます。そこに自治がある教会です。自由にエルサレム教会を支援もするし、自由にそこに参与もできるし、自由にそこから伝道旅行を企画もできます。
この時アンティオキア教会の指導者は5人。全員が男性の名前であることは残念なことです。女性が指導者に含まれる割合は多様性指標の一つだからです。しかし先進的なことに他の多様性指標においてアンティオキア教会は高得点です。バルナバ(ネボの子)は父がキプロス人のダブルです。「ニゲル(黒いという意味のラテン語由来)と呼ばれているシメオン」は、アフリカ系の黒人種と推測できます。「キュレネ人ルキオ」もラテン語名なので、ユダヤ人ではなく生粋のキュレネ人(北アフリカ)でしょう。そこに、離散ユダヤ人で小アジア半島タルソ出身のサウロと、ガリラヤ出身のユダヤ人マナエン(ヘブライ語名メナヘム)が居たというのです。
この多様な顔ぶれは、大都市アンティオキアの縮図です。人口はローマ帝国の三番目、陸路でも交通の要衝にあたり、様々な人が行き交います。25㎞ほどオロンテス川を下れば、地中海の港「セレウキア」(4節)。海路でも交通の要衝です。属州シリアの首都でもあるので政治の中心でもあります。かつてガリラヤの領主だったヘロデの乳兄弟が教会指導者であるということに驚きます。後にガリラヤを中心にイエスの伝記を書いたマルコは、マナエンのイエスについての回想を興味深く聞いていたことでしょう。
各個教会は否が応でも社会の縮図となります。もしインターネットが普及していなければ、わたしたちはオンライン併用礼拝をすることはできなかったことでしょう。子どもの人権についての思想が発展していなければ、子どもたちと共に礼拝を毎週することはなかったと思います。教会に性役割分担が存在することは、教会を取りまく社会の影響と相互作用です。東京五輪の際の森喜朗さんの言動をきっかけに世界標準の多様性指標が日本社会に知られたことと(指導者層の40%は女性)、クオータ制という考え方が連盟加盟教会に行き渡ったことは連動しています。教会だけが進歩的・民主的であることはまずありえないし、教会だけが保守的・権威主義的であることは益々許されません。教会も社会も同時に改善されていくべきものなのです。
この五人が「主に奉仕をし断食をしている時」聖霊が降ります(2節)。奉仕は後に礼拝儀式を行うという意味に発展する動詞ですが、この時点ではもっと広い意味です。教会運営会議という奉仕かもしれません。誰かの発案(預言)がありました。おそらくは「預言者」(1節)バルナバだと思いますが、「外へと出かけていって、神の理を宣べ伝えよう。そのために旅行団を組もう」と言い、そのことについて真剣に論じ合い祈り合ったということなのでしょう。
バルナバは故郷キプロス島に教会を設立したいという夢をずっと持っていたと思います。エルサレム教会を離れた時から、そのために祈っていたと思います。サウロをスカウトする行為も、サウロの将来のためという観点と、自分の夢を一緒に適える人物の発掘という観点があったことでしょう。マルコに対してもそうです。「聖霊の神はわたしとサウロを選んだ」とバルナバは主張します。他の三人は動揺します。まとめ役(五人の筆頭)であり人格者であり名説教者であるバルナバや、旧約聖書の解釈に優れて「キリスト教教理」を文章にできる「教師」(1節)サウロがいなくなったら、教会はどうなるのか、非常に不安です。教会から見ると、バルナバとサウロが放浪の宣教者になるということは、バルナバとサウロの任務を解き放つということになります(3節)。一つの任務を解き放って、別の任務に就かせたのです。
肩書ばかりが増えていくことは教会においては望ましくありません。バルナバは一旦「代表役員」を辞めて、「宣教師」になります。二つを担うことは重すぎるからです。出て行く二人の願いなのか、残る三人の願いなのかは分かりません。彼らはそのように決めました。もしかするとアンティオキア教会に戻らないかもしれない、教会の今後については気にしなくて良いという含みで、二人は解き放たれたのです。
指導者の「株分け」という仕方の外部への宣教活動はアンティオキア教会に特別な行為だったのでしょうか。おそらくそうではないでしょう。使徒言行録に記録されていない、無数の匿名の現地教会が頻繁に行っていたはずです。たまたまパウロが関わっていたことが知られているので「第一回伝道旅行」などと呼びますが、無数の伝道旅行が同時になされていました。そうでなくてはキリスト教会の急速な拡大は説明できません。「第一回the first」ではなく「一つのa certain」伝道旅行と捉える必要があります。キリスト者であれば誰でも担う可能性のある任務と考えていたからこそ、大事な二人を解き放つことができたのです。彼らは手を置いて祝福し放ちます。この行為はバルイエスが手を引かれ何かに縛られる状態と対をなしています(11節)。
5 そして(彼らが)サラミスの中に成った時、彼らはユダヤ人の諸会堂において神の理を語り続けた。さて彼らは従者ヨハネを持ち続けていた。 6 さて全ての島をパフォスまで通り過ぎて、彼らはとある学者の男性、ユダヤ人の偽預言者、その名前をバルイエスという者を見つけた。 7 彼は属州長官セルギオ・パウロ、聡明な男性と共に居続けた。この男性がバルナバとサウロを招き、神の理を聞くことを望んだ。 8 さて学者エルマは彼らに対峙し続けた――というのもこのように彼の名前は翻訳されるからだ――、属州長官を信から逸らすことを求めながら。 9 さてサウロ、つまりパウロは、聖霊に満たされて、彼の中へと凝視した。 10 彼は言った。「ああ、全ての欺瞞と全ての軽挙が満ちた者よ、悪魔の子よ、全ての義の敵よ、主の道を、その真っ直ぐさを歪めることをあなたは止めないのか。 11 そして今見よ、あなたの上に主の手が。そしてあなたは見えなくなるだろう。時機に至るまで太陽を見ないままに」。さてすぐに霧と闇が彼の上に落ちた。そして彼は徘徊して手を引いてくれる者たちを求め続けた。 12 その時属州長官は起こったことを見て、彼は信じた、主の教えについて驚きながら。
キリスト教会の伝道の手法は、ユダヤ人が安息日ごとに礼拝するために集まる会堂を用いるというものです。バルナバの通っていた会堂にも行ったことでしょう。そこでトーラーが朗読され、預言書等が読まれます。その時に、旧約聖書がイエス・キリストについて証言しているということを「神の理」として論じ、信徒(ナザレ派への転向者)を獲得し、その人の家を教会として日曜日の礼拝のために用いるのです。前提として紀元後1世紀までに西アジア・東地中海地域全域にわたってユダヤ人が離散定住していた事実が重要です。そこに会堂が必ず建てられています。このこともキリスト教急速拡大の条件です。キプロス島にはバルナバの縁者がいます。最初はその人たちの自宅が用いられたと思います。「バルナバが語るのだから」と、バルナバの人格を通じてナザレ派に入った人もいたことでしょう。
「サラミス」(5節)は島の東の港町、「パフォス」(6節)は西側にある首都です。そこにセルギオ・パウロというローマ人の代官がいました。属州キプロスの政治行政のトップです。ピラトと同格の官位です。彼は知的好奇心の強い人物だったのでしょう。「学者(マゴス)」はクリスマス物語では「博士」「占星術の学者」と訳されている言葉です。何らかの知見を持っている現地の博学な人物を、ローマから来た属州長官セルギオ・パウロは傍に置くことにしていました。バルイエス/エルマという人物です(6・8節)。統治をする際の彼の知恵であり手法です。長官はバルナバとサウロ/パウロを招きます。ギリシャ・ローマ世界にも通用する「神の理」(7節)を聞くことを欲したのです
バルイエスは嫉妬し競合します。これは「ユダヤ教正統」対「ナザレ派」というだけの対立ではありません。占星術の知見対神の理という、知の対立です。少なくとも長官の興味では。ところが、奇跡的なことが起こります。バルイエスが「見えない」という状態になったのです。サウロのダマスコの出来事と同じです。手を引かれなくてはいけない状況。エルマも今までの生き方が揺さぶられ、このままでは人生を前に進めない状態になりました。彼が信頼していた「科学」が絶対ではないということを、サウロに批判されたからです。サウロはバルイエスの「軽挙」と「真っ直ぐさ」を歪めていることを批判しています(10節)。他人の意思を実現させない方向に、自分の能力を軽々しく用いてはいけません。そのような支配的な態度、つまり権威主義が「義の敵」です。威張って学説を述べていたバルイエスが、まったく威張ることができなくなったのを見て、長官はナザレ派に入信しました(11節)。入信したことに付随して「主の教え」を聞きます。信じてから、教理を学んだのです。本物の真理は、人の生き方から滲み出ます。バルナバやサウロの人格を信じ、その彼らが信じているのだからという理由でイエスをキリストと信じる。聖書や教理の学びはその後で付随してなされても一向構いません。
ピラトは「真理とは何か」とつぶやきながらもイエスを信じることはできませんでした(ヨハネ18章38節)。同じ地位にいたセルギオ・パウロは「神の理」を信じました。鋭い対比は、「聖霊」の働きの重要性を示しています(2・4・9節)。ピラトのように目の前にいる生身のイエスをキリストとは信じきれないけれども、セルギオ・パウロのようにキリスト信徒の内に働く聖霊によって、わたしたちは目の前にいないイエスをキリストと信じることができます。
今日の小さな生き方の提案は、隣人を解き放つことです。隣人を自分の支配下に留めおこうとしてしまうことがあります。それも隣人のためではなく、自分のために。わたしたちは掴んで引き留めるのではなく、手離して手を置いて祝福し、解き放ち、自由にさせましょう。イエス・キリストによって解き放たれたわたしたちは、同じように隣人を解き放ちましょう。