クリスマスは「キリスト」という言葉と「礼拝」という言葉を合わせてできています。キリスト礼拝。これを世界で最初に行った人々は、占星術の学者たちでした。彼らはメソポタミア地方で新しい星を発見し、その動きから「ユダヤ人の王の誕生」を推測したのでした。星に導かれ学者たちはパレスチナに来ます。1000kmほどの距離を歩く、この旅はかなり長期にわたるものでしょう(16節)。「生まれたばかりのユダヤ人の王は、ユダヤ人の王の子どもに違いない」と彼らは考えて、首都エルサレムにあるヘロデ王の宮殿を訪れます。ところが、王宮のベッドにはその赤ん坊はいませんでした。
ヘロデ王は父の代から権謀術数の限りを尽くして、ローマ皇帝に取り入ってやっと「ユダヤ人の王」になれた人物です。王位を奪われることをいつも心配して、実の息子や妻をも粛清してしまう権力者でした。新しい「ユダヤ人の王」の誕生は、ヘロデにとっては嬉しくない情報です。どうにかしてその赤ん坊を殺したいと考え、彼は学者たちを利用しようとします。「聖書によれば、ベツレヘムで赤ん坊は生まれたはずだ。自分も行って拝みたいから、詳しい場所を突き止めたら教えてくれ。」
学者たちはベツレヘムに行き、星が示した場所で赤ん坊に会い、黄金・乳香・没薬を捧げて彼を礼拝します。これがクリスマスの起源です。その夜学者たちは夢を見ます。夢の中で天使は、「ヘロデのもとに戻るな」と告げます。そこで学者たちは別の道を使ってメソポタミア地方に帰っていったのでした。また、ヨセフも夢の中で天使から「エジプトへ逃げよ」と告げられたので、ヨセフ・マリア・イエスの一家はエジプトに移動します。
ここからが今日の物語です。クリスマスをめぐる最大の悲劇であり、謎に満ちた記述です。ヘロデ王の軍隊が、ベツレヘムという小さな村の二歳以下の男の子全員を虐殺したというのです(16節)。しかもそれはイエスがそこで生まれたからです。ヘロデ王はイエスのみを殺したかったのですが、誰が将来の「ユダヤ人の王」なのかが分からなかったので無差別に二歳以下の男の子を殺したのでした。殺された側から見ればまったくのとばっちりです。
しかもその出来事を聖書は、預言の実現であると結論づけます。「こうして預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した」(17節)。もしも聖書がヘロデ王の残虐非道ぶりを批判するだけであるのならば、わたしたちもある程度納得します。加害者が悪いのですから。しかし、被害者の不条理の死があたかも運命づけられていたかのような書き方は、加害者を少し免罪する効果を持ちます。「聖書に書いてあったことを実現させたのだから、二歳以下の男の子を皆殺しにしても良いのだ」と、ヘロデ王がふんぞりかえる可能性があるのです。このような詭弁を許してはいけません。
他にも素朴な疑問は尽きません。なぜ天使は、ベツレヘム中の若い夫婦にエジプトへの移住を勧めなかったのでしょうか。なぜキリストの身代わりに多くの幼い命が奪われなくてはならなかったのでしょうか。同じ赤ん坊として同じ重さを持つ命であるはずなのに、なぜ。
全体としてのクリスマス物語は、安易な答えを拒否する、一つの悲劇です。それによってわたしたちは人生の問いに真正面から向き合うことができます。なぜならわたしたちは今も、「激しく嘆き悲しむ声」(18節)をどこでも聞いているからです。子どもたちが苦しんでいる現実、殺されている現実を見聞きしているからです。子どもの命の重さに変わりがあるでしょうか。わたしの子どもと、たまたま紛争地域で生まれた子どもと、命の重さは同じです。それが人権思想というものです。にもかかわらず、あちらは死に、こちらは生きるという事態は何事でしょうか。不平等ではないですか。
いや日本においても相対的貧困率以下の人は6人に1人です。なぜわたしは苦しんでいるのに、あの人は豊かさを享受できるのか。なぜあの人は死に、わたしは生きているのか、なぜわたしは不幸なのに、あの人は幸せなのか。このような問いは日本においても極めて現実味を帯びています。要するに、もし神がいるのなら、なぜ神は平等にそれぞれを愛さないのかという問いは、あの時のベツレヘムだけではなく、今も全世界中でなされるべき、真剣な問いなのです。クリスマスにおける、人生に関する真っ当な問いだてです。その問いは、全ての人が幸せを求め、幸せになる権利を持っているという考えを前提にしているので真っ当です。わたしだけではなく、わたしたちの幸せ/不幸が問題だからです。
ベツレヘムという町の名前の意味は、「パンの家」です。イエスの先祖であるモアブ人女性ルツは、パンを食べることができない赤貧状態から、落穂を拾って食い繋ぎ、這い上がった難民でした。ベツレヘムという町で、毎日のパン(日用の糧)を食べることができるようになり、再婚をし、オベドという子どもを産みます。そのベツレヘムでルツの子孫としてイエスが生まれたことは、幸せというものの意味を暗示しています。
「平和」の和は、禾偏に口と書きます。禾偏は稲を意味するそうです。つまり、平等に米を口にできる状態が平和です。この意味で平和は戦争の反対語ではありません。もっと積極的な意味を持ちます。戦争がなくても等しくご飯を食べられなければ平和とは言えません。
中村哲医師は幸せを定義して、「親しいものと共に毎日食べたり飲んだりする当たり前の日常生活」というような趣旨を言ったそうです。その通りだと思います。それが、最低限健康で文化的な生活というものでしょう。幸せをひとまず、日常の生活の安定と定義しておきます。何も大金持ちになるとか、権力を持つとか、そんなだいそれたことではありません。当たり前の日常の保障が幸せです。特に子どもたちにそれを提供することが大人の責任です。
クリスマスはわたしの幸せ/不幸を、わたしたちの幸せ/不幸に広げる機会です。ヘロデの悪行に憤るわたしたちは、同じようなことをする人々を批判するでしょう。また、ヘロデと似たような悪行をする者たちを前に沈黙している神に対して、批判を込めながら必死に祈るでしょう。「わたしたちの神よ、わたしたちをどうして見捨てたのか。どうして自分の赤ん坊だけを守り、そのほか多くの赤ん坊を守らないのか。」
「わたし」を「小さな子どもたちを含めたわたしたち」に正しく広げた者たちに対して、二つの暫定的な回答が聖書の他の箇所からなされているように思います。
一つはエレミヤ書を読み直すという回答です。エレミヤ書を引用したマタイの意図に反して、この言葉は希望の約束です。悲劇の根拠にはなりません。エレミヤ書においてラケルの子どもたちは死んでいません。そうではなく、遠くへ連れて行かれたのです(バビロン捕囚)。そしてその息子たちは、後で必ず帰ってくることが約束されています(エレミヤ書31章15-17節)。現実の悲劇を、希望の約束にひっくり返す逆転の発想が、人生を幸せに切り開きます。
ヤコブ物語(創世記25-50章)にある通り、族長ラケルは息子ベニヤミンの誕生と引き換えに死んだ人物です。ベニヤミン部族のエレミヤは、ラケルの直接の子孫です。部族に伝わる伝承をよく知った上で、エレミヤはあえて逆にしています。死んだラケルが生き、生きたベニヤミンがいなくなる、しかし最終的にはベニヤミンも帰ってくる、つまり誰も死んでいないのです。
死んだ人たちは、本当に死んだのでしょうか。仮に幼くして死んだとしても、わたしたちの脳裏に生きています。胸の奥深くに生き続けています。こうして「幸せ」はさらに拡大します。心の中に、より多くの人を住まわせられる人は幸いです。その中には生きている人も死んでいる人も混在しています。
もう一つの回答も似ています。それは、この後のイエスの生き方と死に方を読み直すという回答です。赤ん坊のイエスはこの後、エジプトでの難民生活を経て、ガリラヤ地方のナザレという村で育つことになります。30歳を超えて家業の大工を辞め、家族からの猛反対を斥けて、イエスはガリラヤ地方を巡り歩き「神の国運動」を起こします。別名「食卓運動」です。彼は自分自身の日常生活の安定はかなぐり捨て、家を出たのです。「神の国は近づいた」「自分のもとに戻って来い」「無条件の赦しを受け入れよ」と呼ばわって、仲間を募り、どんな人とも共に食事をする。さまざまな差別を被っていた人々、特に子どもたちを一人の人間と認めてイエスは招きました。
自分の誕生の際に、ベツレヘムの子どもたちが殺されたことをイエスは負い目に思っていたのではないでしょうか。一種の償いに似た感情があったように思います。成人した後、イエスがベツレヘムを訪れたという記録はありません。自分と同年齢から二歳下までの男性がいない村に、イエスは気まずくて行かれません。しかし、行かなくても、ベツレヘムで虐殺された者たちのことを片時も忘れることはなかったことでしょう。「これらの最も小さな者たちにしたことは、すなわち私にしたことだからである」。イエスの心の中にベツレヘムの赤ん坊が常に生き続け、よみがえっています。
イエスは神の広い愛を示して、日常生活を脅かされている人に癒しを与え、食べる相手がいない人と共に食卓を囲み、食べるものがない人に等しくパンを配りました。そのために権力者たちに忌み嫌われ十字架で処刑されました。イエスの弟子たちもみな裏切り処刑に加担します。神はベツレヘムの赤ん坊と同じ体験をなぞった、そのイエスをよみがえらせました。それによってイエスのあだ名がインマヌエル(神、我らと共に)であることが証明されました。
イエスを裏切った弟子たちは、復活のイエスに出会い一方的に罪を赦され、イエスの霊を宿します。弟子たちも死んだ方、否、よみがえらされた方を心のうちに片時も忘れなくなります。キリストの後ろに従う。こうして弟子たちは、食卓運動を引き継ぎ、教会を創設してルツのようなやもめたちにパンを配り、キリスト礼拝の中で食卓を囲みました。主の晩餐です。礼拝の中でパンを分かち合いながら、不正義にぶつかって葛藤している人々、先に死んだ人々を記念し続けます。日常生活の安定と、幸せの拡大(隣人の増大)が、教会を通してなされていきます。
今日の小さな生き方の提案は、この後行われる主の晩餐への参与です。わたしたちは、あの二年間にベツレヘムで生まれ、殺された人々すべてを覚え、イエスの十字架と復活を記念して食事の儀式を行います。今も苦しむ人々や、自分自身の苦しみを覚えながら、共にパンとぶどう酒を分かち合いましょう。
さらに、ベツレヘムの子どもたちと共におられた神が、今もわたしたちと共におられるというキリスト信仰を、「アーメン(その通り)」と受け入れることも心からお勧めいたします。キリストを心にお迎えすること、キリストが生まれること、キリストがよみがえること、霊であるキリストを宿すこと、すべては同じ事柄です。
教会は集まる人の日常生活を圧迫しません。そうではなく日常生活という当り前の幸せを拡大させる隣人を、わたしたちは教会を通して与えられるのです。