コリントの教会 使徒言行録18章9-17節 2023年1月1日礼拝説教

  明けましておめでとうございます。2023年の最初の日となりました。現代においては年月日のみならず時分秒に至るまで歴史記録に記すことができます。しかし古代においては何年の出来事だったかすら特定することは極めて難しいものです。ところが本日の箇所はパウロが裁き台に連行された出来事の年代は、珍しく、かなり特定できます。というのもガリオという人物(12節)が首都コリントでアカイア属州長官であったのは、紀元後51年5月から52年4月の一年間だったからです(「ガリオ碑文」)。新約聖書に記されている出来事の年代づけは51-52年を基点にして推定されます。

ここからパウロがコリントに住んでいた期間は、49年12月から53年10月までの間の18か月だったことが分かります(11節)。佐竹明は50年秋から52年春と推測します。パウロという放浪の伝道者からすれば1年半という期間は、「腰を据え」て教会形成に取り組む「長期」滞在です(11節)。彼の周りには同労者として、プリスキラとアキラ夫妻、家の教会の提供者ティティオ・ユスト、ユダヤ教正統の元会堂長クリスポ一家、そしてシラスとテモテがいます。コリントの町でユダヤ教ナザレ派は大いに栄えました。多くの人がバプテスマを受け続けたのです(1-8節)。

9 さて主は夜において幻を通してパウロに言った。「あなたは恐れるな。むしろあなたは話せ。そしてあなたは沈黙するな。 10 なぜなら私、私こそがあなたと共にいるからだ。そして誰もあなたに対峙しないだろう、あなたを害する者も(いないだろう)。なぜならこの町の中に私にとって民は多いからだ。」 11 さて彼は一年と六か月腰を据えた、彼らの中で神の理を教えながら。 

 パウロを支えたのは夜の幻における主の励ましです。ここまでナザレ派が増えると流石に正統ユダヤ教の反感を買います。会堂長クリスポをナザレ派に転向させていることや、会堂の隣で礼拝し続けることは、挑発的でさえあります。さらにクリスポは、ナザレ派に好意的なソステネという人物を自分の後継者に指名している節があります(17節)。パウロは身の危険を覚悟する日々だったかもしれません。そして指導者としてのパウロは常に孤独を感じていました。そのような恐れの中にあって福音宣教をひるむパウロに、おそらくは夜の夢を通してイエスが働きかけます。「あなたは恐れるな。むしろあなたは話せ。そしてあなたは沈黙するな」。この命令には直後に理由が続いています。「なぜなら私、私こそがあなたと共にいるからだ」(10節)。イエスを証言する際に恐怖しない根拠は、イエスが共にいることにあります。インマヌエルの神です。私たちが沈黙をする理由は、孤独による恐怖からなのでしょう。インマヌエル信仰は、恐れを締め出します。

よく似た構文が続きます。「そして誰もあなたに対峙しないだろう、あなたを害する者も(いないだろう)。なぜならこの町の中に私にとって民は多いからだ」(10節)。パウロに対する不可侵の約束は、直後12節以降の「裁きの台事件」によって実現します。コリントの教会を非合法の組織とみなさせ、首謀者パウロを害そうとする企ては、不思議な導きによって覆され、結局パウロは無傷で済んだからです。不思議な導きというのは、長官ガリオの判断です。彼がユダヤ教徒同士の教理問答(神学議論)と理解してくれたおかげで、パウロは一言も自己弁明しなくても解放されました。ナザレ派の存廃は、ユダヤ人街で決めろというのです。この幻によれば、つまるところローマ人権力者ガリオも「私にとって民は多い」の中に数えられています。

パウロは幻によって励まされ、短期間で移動しないで、ユストの家で「彼らの中で神の理〔ことわり〕を教え」続けます。パウロがユダヤ教会堂に出かけていく方法ではなく、パウロを家の教会の中での聖書解釈に専念させ、それを他の人が宣べ伝えていくのです。人望のあるユストの家に、ローマ人も(ユストやシラス)、ユダヤ人も(アキラ・プリスキラ夫妻やクリスポ)、ギリシャ人も(テモテ)集い続けます。パウロが矢面に立たなくても、パウロの同労者たちがパウロを守っています。「この町の中に私にとって民は多い」のです。

「神だけは私と共にいるから孤独ではない」という信仰は、「実は神だけではなく隣人も共にいる」「第三者すら共にいる」という信仰に発展します。つまり、神は「私たち」と共にいるのです。インマヌエル信仰です。その「私たち」をどれだけ広く構想できるかにインマヌエル信仰の中身が問われています。同信の友や同労者だけではなく、ローマの百人隊長や権力者でさえ「私たち」に含まれる瞬間があることを、聖書は教えています。

12 さてガリオがアカイアの属州長官であり続けている時、ユダヤ人たちが一致してパウロに反対して立った。そして彼らは彼を裁き台の上に連れて行った。 13 曰く、「その法律に逆らって、この男性は神を畏れるように人間たちを説得した。」 14 さてパウロがその口を開きかけようとした時に、ガリオがユダヤ人たちに対して言った。「もしも実際に何か不正あるいは悪質な犯行があり続けたのならば、ああユダヤ人たちよ、理によって私はあなたたちに忍耐するのだが。 15 さてもしも争点があなたたちのもとの理と諸名前と法律を巡ってあるのならば、あなたたちはあなたたち自身を見るがよい。わたしはこれらの事々の裁判官でありたくない。」 16 彼は彼らを裁き台から解散させた。 17 さて全ての者たちは会堂長ソステネを掴まえて彼らは裁き台の前で打ち続けた。そしてそれはガリオにとって何らの関心事ではないままだった。

 アカイアの属州長官ガリオは、著名な哲学者セネカという人物の兄です。ローマの貴族であり、元老院の代表者(コンスル)でもありました。属州長官(プロコンスル)はコンスル経験者でなければ就任できない地位ですから、ガリオは皇帝に次ぐ権力者群の一人です。

 「裁き台」(12・16・17節)は屋外の広場に設置された施設です。背の高さぐらいの直方体の石を積んだ演壇です。演説や裁判や行政処分もそこで行われます。パウロが外出した時でしょうか。正統派ユダヤ教徒たちは、パウロを掴まえて、裁き台のある広場まで連れて行きました。属州長官ガリオが裁き台で勤務している時を見計らって行う計画的な事件です。

 会堂に属するユダヤ教徒はガリオに向かって言い募ります。「その法律に逆らって、この男性は神を畏れるように人間たちを説得した」(13節)。その法律とは何の法律でしょうか。確かにローマの境壁法には、他宗教の礼拝施設をローマ市内に作ってはならないという規定があります。しかし、この法律を違反しているという主張は、かえってユダヤ教正統派に不利になります。ユダヤ教正統の持つ会堂の方が違法な建築物、境壁法違反に当てはまります。ナザレ派は信徒の自宅を礼拝所としているからあてはまりません。となると、これはユダヤ教徒たちの法律、つまりモーセ五書・律法のことでしょう。「キリストがイエスである」(5節)という主張が、申命記6章4-5節等神の唯一性に抵触するということを本音では言いたいのでしょう。会堂に集うユダヤ人たちに対して、イエスをキリストと礼拝するように説得することを、ローマの権力によって差し止めることが彼らの目的です。

 だから、パウロを掴まえたユダヤ教徒たちは、「その法律」という言い方や、「神」「人間たち」という一般的な言い方を用いて、ガリオを混乱させようとしているのでしょう。「ローマの法律のどこかにあるかもしれない、とある条文に違反して、この男性は非ローマ文化の単一神礼拝を宣伝し、コリントの町をかき乱している」というような言い方でしょうか。

 しかしガリオは扇動されません。パウロにも口を挟ませず、彼らを門前払いします。「もしも実際に何か不正あるいは悪質な犯行があり続けたのならば、ああユダヤ人たちよ、理〔ロゴス〕によって私はあなたたちに忍耐するのだが。さてもしも争点があなたたちのもとの理〔ロゴス〕と諸名前と法律を巡ってあるのならば、あなたたちはあなたたち自身を見るがよい。わたしはこれらの事々の裁判官でありたくない」(14-15節)。細かい文法ですが、二つある「もしも・・・ならば」は含みが異なります。一つ目は「実際にはそうではない」という含意です。不正や犯行はないという前提の「もしも」です。二つ目は「実際にそうである」という含意です。ユダヤ教徒の中の諸教派間教理論争が噴き出ていると、ガリオは正しく洞察しています。「実際は、人は神ではないとか、神の名前はイエスではないとか、正典に何が書いてあるかなどが、ユダヤ人の間で問題になっている」。そこで「私の時間を奪うな。さもなくば境壁法に基づいて会堂を破壊しようか」とガリオはユダヤ人たちを、おそらく杖官たちによって、強引に裁き台から追い出し解散させます(16節)。それはユダヤ人街の自治の問題だと言うのです。ガリオがユダヤ社会・法治の事情に詳しいことは驚きです。

 この後ユダヤ教徒たちは自分たちの会堂長ソステネに対して暴行を加えます(17節)。ソステネはコリントの信徒への手紙一1章1節に言及されているソステネと同一人物でしょう。彼は前任者クリスポと同じくナザレ派に好意を持っていたと推測されています。パウロを連れ出すことにも消極的に反対していたと思います。そしてソステネはガリオに対して、「独特の法をもつユダヤ人がパウロというユダヤ人の追放を企んでいる」ということを、予め密告していたかもしれません。だからガリオの反応が早かったのではないでしょうか。

ユダヤ教徒たちはソステネの不審な挙動を咎め報復します。この唐突な暴行事件の理由はソステネがユダヤ社会の裏切り者である時に了解できます。ガリオにとってその先の状況は関心の外です。自分の仕事のペースを守るためには密告者ソステネが有用だったというだけに過ぎません。

この騒動の中パウロだけは無傷です。なぜでしょう。ローマの信徒への手紙16章1-4節にヒントがあります。コリント(≒ケンクレアイ)教会員フェベという女性指導者とプリスカとアキラの三人がパウロの命の恩人・援助者として紹介されています。この人々が「パウロの身代わりになっても良い」とまで啖呵を切って一早く騒動からパウロを助け出したと推測します。そして教会員たちは可哀そうなソステネをティティオ・ユストの家で介抱し日曜日の礼拝に迎え入れます。ソステネもバプテスマを受けてコリント教会員に加わります。

 今日の小さな生き方の提案はコリント教会の歩みをなぞっていくことです。パウロ個人だけではなく教会全体の姿を思い浮かべましょう。コリント教会はパウロに頼る群れではありません。むしろパウロに頼られています。パウロを面に出さない伝道を編みだしたり、パウロが危険な時には助け出したりします。それぞれは自分の頭でものを考え、自分の持っているものを自在に用いて、誰か困っている人を助けます。絶対的権力者属州長官さえ用い、隣家のユダヤ教正統会堂とも共存するのです。自律した互助の精神こそがコリントの教会の強みでしょう。その時どんな人も「私たち」に含めることができます。ソステネはコリント教会員っぽい人です。