4 こういうわけで実際散らされた人々は巡り歩いた、かの言葉を福音として告げながら。 5 さてフィリポはサマリアの町の中へと行って、彼らにキリストを宣教し続けた。 6 さて群衆はフィリポによって語られている事に同じ精神で注意を払い続けた、それらを聞くことにおいてまた彼がなした諸徴を見ることにおいて。 7 というのも汚れた諸霊を持っている多くの人々が、大きな声で叫びながら、彼らは出て来続けていたからである。一方多くの麻痺した者たちや足の不自由な者たちは癒された。 8 さて多くの喜びがその町の中で起こった。
フィリポという人は6章にも登場していました。七人選ばれた教会指導者のうちの一人で、ステファノの次に挙げられています(6章5節)。6章の説教の際にも、このフィリポを十二弟子の一人のフィリポと同一人物と仮定しました。十二弟子の一人であるフィリポは、ヨハネ福音書にしばしば登場する重要な弟子です。ヨハネ福音書は細かい史実について信頼できる福音書です。そのヨハネの描くフィリポ像が使徒言行録のフィリポ像と重なるのならば、同一人物と推定できるわけです。
単純に登場頻度の高さは、フィリポが重要な指導者だったことを反映していると思います。さらに、フィリポはギリシャ語が堪能なようです(ヨハネ12章20-21節)。このことはステファノとフィリポの近さや、ギリシャ語話者と共なる教会づくりに彼が必要とされたことを示唆しています。ベトサイダというの町出身者で、ペトロ・アンデレ兄弟と同郷です(ヨハネ1章44節)。特に彼はアンデレと親しいようです(同12章22節)。アラム語話者の指導者(他の十一人の使徒たち)と、ギリシャ語話者の指導者(ステファノたち)とをつなぐ働きをフィリポは担うことができます。つなぐ働きを担うバイリンガルな指導者という人物像はヨハネ福音書と使徒言行録で合致します。
こういうわけで、フィリポは十二弟子(十二使徒)でもありながら同時に七人の「福音宣教者」(使徒21章8節)でもあるという特異な教会指導者と推測します。
フィリポの親友ステファノが虐殺された日にエルサレムで大迫害が起こりました(8章1節)。この時彼にはいくつかの選択肢がありました。十二使徒の一人としてエルサレムに残る道か、エルサレムを離れる道。ここが大きな分岐点です。ギリシャ語話者や外国人中心の教会づくりをしていた信徒たちと行動を共にするのならば一緒に迫害されながらエルサレムを離れるべきです。さらにエルサレムを離れるとしても、エルサレムより南のユダヤ地方に逃げるか、それともエルサレムよりも北のサマリアに逃げるかです。
フィリポは「使徒」であることを棄てました。それは同郷の親友アンデレ・ペトロの兄弟と袂を分かつ決断です。ユダヤ教ナザレ派の「右派」(使徒たち)ではなく、「左派(ステファノたち)」の立場を採ったのです。つなぐ働きをする人は、板挟みになりやすいものです。しかし時に自分がどこに立つのかを表明しなくてはいけないことがあります。使徒たちは引き留めたかもしれません。しかしフィリポは迫害される道を選び、エルサレムを離れます。
「左派」を選ぶ決断は、彼がユダヤに行くかサマリアに行くかという行く先の選びにも関係します。アラム語話者ばかりが住むユダヤ地方ではなく、また当時のユダヤ教「正統」のヘブライ語正典のみが主流のユダヤ地方ではなく、サマリアの町へとフィリポは行きます。サマリア人の教会員がステファノの家の教会にも、またフィリポの家の教会にもいたことと思います。そこでは『サマリア五書』も礼拝に用いられていたことでしょう。サマリア人信徒と一緒に逃げたかもしれません。
もしもフィリポがサウロたちの迫害を受け半殺しにされた後に逃げたとしたら…。もしもフィリポがエリコという町を通過してサマリアへ向かったとしたら…。もしも歩けないフィリポをろばに乗せてサマリア人信徒がサマリアまで連れていったとしたら…。さまざまに想像の翼が広がります。イエス・キリストが語られた「良いサマリア人の譬え話」(ルカ10章)を、フィリポは思い出したのではないでしょうか。
そしてフィリポはサマリアの町で歓迎されます。フィリポがイエスと同じ働きをしたからです。悪霊祓いや治癒、福音宣教がフィリポのなしたことです。これらは使徒たちもステファノも行っています。サマリアの人々は、フィリポの声をじっと聴き、フィリポの行いをじっと見、「注意を払い続けます」(6節)。まったく同じ表現が10節・11節にあります。すべて主語はサマリアの住民です。フィリポやシモン(後述)のような人物に注意を払い続けるのがサマリア住民の気質のようです。
9 さてシモンという名前の男性が以前からその町の中に居続けた。魔術をしながら、またサマリアの民族を驚かせながら、自身を偉大な何者かであると言いながら。 10 その彼に全ての者は注意を払い続けた。小さい者から大きい者まで。曰く、「この男性は神の力だ、そしてそれ(力)は「偉大な(もの)」と呼ばれている」。 11 さて彼らは彼に注意を払い続けた、長期間諸魔術で彼が彼らを驚かせたことによって。 12 さて彼らが神の支配とイエス・キリストの名前について福音として告げているフィリポを信じた時、彼らはバプテスマを続々と受けた。男性も女性も。 13 さてシモン自身も信じた。そして彼はバプテスマを受けて、フィリポに執着し続けていた。諸徴も偉大な奇跡もなされるのを見て、彼は驚いた。
フィリポよりも先にサマリアに居て、住民の注目を集めていた人物がいました。シモンという人物です。魔術を見せては住民を驚かせていたというのです。なぜサマリア住民は、奇跡や魔術を行う人物を注目するのでしょうか。
サマリア民族/サマリア教団の信仰にも、「メシアが来て自分たちを救う」というメシア待望がありました(ヨハネ4章25・29節)。「タエブ」と呼ばれる人物の到来を心から待ち望んでいたのです。だからイエスがサマリア人女性の人生をずばずばと言い当てた時も、シモンが魔術を見せた時も、フィリポが悪霊祓いや治癒を行った時も、サマリアの住民は「この人がタエブ、来るべき方かもしれないし、そうでないかもしれない」と注意を払い続けたのでしょう。
魔術がどのようなものかはあまりよく分かりませんが、平たく言えば手品の類と推測します。種も仕掛けもある大道芸です。もちろん熟達した人の「芸」は人を楽しませますから否定するものではありません。しかしながらそれが「偉大な(もの)」と呼ばれたり、シモンが「神の力」とまで呼ばれるのは誇張でしょう。シモン自身も自分が「タエブ候補者」と思われることに若干困っていたかもしれません。もう少し実力が足りないことを自覚していた節があります。魔術によって金を儲けて生活することを願ってシモンはサマリアに移住してきたのでしょう。
フィリポがサマリアに来た時、「タエブ候補者」の外国人が二人になりました。サマリア住民はフィリポを採りました。いや、奇跡行者であるフィリポの宣教しているイエス・キリストこそが、来るべき方の名前であると信じました。何がフィリポの福音宣教の説得力だったのでしょうか。なぜ人々は魔術をするシモンではなく、神の支配とイエス・キリストの名前を福音として宣べ伝えるフィリポを採ったのでしょうか。
「男性も女性も」(12節)。ここに鍵があると思います。フィリポは、かつてスカル(ヤコブ)の井戸でサマリア人女性と出会ったイエスのように、女性も教会という神の国の交わりに招きました。初代教会は最初から女性たちが活躍する場です。「やもめたち」が主導し、男性も女性もなく、ユダヤ人もサマリア人もない交わりをつくり、お年寄りから赤ちゃんまでが一緒に礼拝できるのが教会です。少なくともフィリポとステファノたちはそのような礼拝共同体を作ってきました。あの山(エルサレム)でもなく、この山(ゲリジム山)でもなく、信者の家でも、井戸の周りでも、復活の主イエスをキリスト信徒は礼拝できます。
「男性も女性も」(12節)。このさらりとした表現に、イエス、フィリポ、著者ルカが共有している価値が示されています。女性が含まれていることは、その集団が多様性を保っているかどうかの重要な指標です。フィリポが設立していく教会では女性たちが指導者の地位にあったことが推測されます。生まれた場所は不明ですが、フィリポには同居する四人の娘がおり、彼女たちはみな「預言者」です(21章9節)。「預言者」もまた教会の指導者です(1コリント12章28節)。フィリポの家の教会には常に女性指導者がいたのでしょう。そのような教会をエルサレムでもサマリアでも設立していくフィリポ。その彼を信頼してサマリアの住民に福音が受け入れられ、続々とバプテスマを受ける人が与えられます(未完了時制)。
次に起こったことは驚くべきことです。魔術を行うシモンもまたバプテスマを受けてキリスト信徒になったというのです。非常に意外かつユーモラスな展開です。敵対行動に出る方が自然な成り行きで、シモンはあっさりとキリスト者になります。もしかすると魔術の腕を上げるためなのかもしれません。フィリポの行う奇跡に種や仕掛けがあるかもしれないと疑っているのかもしれません。信徒になったシモンはフィリポ個人に執着していきます。ぴったりくっついて離れないのです。純粋なキリストへの信仰からバプテスマを受けたのかはやや疑わしい。彼の心のうちは不明です。
しかし事実として彼はサマリア住民によって構成される教会の一員となっています。フィリポも、またサマリアの教会も、シモンを拒絶せず、あなたにも神の国は開かれているといって招いたということです。教会は意外な人物の入信希望を、これこそ神の力、神のユーモアとして喜びます。それによって後で何が起こるかあまり考えません。それが教会なのではないでしょうか。だからこそ迫害者パウロの回心も受け入れたのだと思います。
今日の小さな生き方の提案は教会を多様な人のいられる場とすることです。多様性の確保の最大の指標は女性が意思決定機関にいるかどうかです。この点が響いて日本という国のジェンダーギャップ指数は世界最低レベルです。女性政治家が少ないからです。しかしわたしたちの間ではそうであってはいけない。「女性牧師」「女性理事」などという呼び方がなくなるぐらい、女性たちが組織の長であることが当たり前の現実になるように、教会も連盟もなっていかなくてはいけないと思います。教会が多様性を保つ集まりとなることそのものが伝道となります。サマリアの町の住民は、そのような神の国を待ち望んでいたのです。だから伝道というものは、イエス・キリストの名前を紹介することではありますが、実は人々がすでに感づいている魂の求めに応じることです。「わたしが居て良い場がほしい」。この求めに応えるキリスト礼拝や、キリストを中心とする交わりを提供することが教会の伝道です。