1 そしてイスラエルの全ての部族がダビデに向かってヘブロンへと来、彼らは言った。曰く「見よ、私たちはあなたの骨、また私たちはあなたの肉。 2 昨日も一昨日もサウルが私たちの上の王となった時、あなたはイスラエルを出させまた入れさせる者となった。そしてヤハウェがあなたのために、『あなたこそが私の民を、イスラエルを牧羊する』と言った。そしてあなたはイスラエルの上の君主となる。」 3 そしてイスラエルの長老の全てはかの王に向かってヘブロンへと来、彼らは彼らのためにかの王ダビデと契約をヘブロンでヤハウェの前で契り、彼らはダビデをイスラエルの上の王のために油注いだ。 4 彼が王となった時ダビデは三十歳。四十年彼は君臨した。 5 ヘブロンで彼はユダの上に七年と六か月君臨した。そしてエルサレムで三十と三年イスラエルとユダの全ての上に君臨した。
統一イスラエル王国の初代王サウル(ベニヤミン部族出身)はすでに死んでいます(サムエル記上31章)。サウルの家臣だったダビデは、ユダ部族の王となりました(同下2章4節)。サウルの息子イシュ・ボシェトが王である北王朝(十部族)イスラエルと、ダビデが王である南王朝ユダが並び立って争い合っている南北朝時代です(3章1節)。逆から言えば、イスラエルにとって統一されている状態の方が不自然なのです。サウル・ダビデ・ソロモンの三代は珍しい時代です。むしろ南北や十二部族に分かれている方がイスラエルの伝統に即しています。南北で文化が異なります。北の十部族は伝統的保守的イスラエルの文化を保持しています。カリスマ指導者が士師のようにくるくると立ちます。それに比べて南のユダだけは異色です。周りの民族に似ています。世襲を好み、「王母」に権力があります。ユダ部族はカナン先住民だったという学説にも一理あります。ユダが非イスラエル的だからです。
歴史は勝者の歴史です。サムエル記・列王記は南王朝ユダを正当化する視点で描かれています。しかしユダの伝統やダビデの振る舞いが、時に「非イスラエル」的であることも考え併せなくてはいけません。たとえばダビデは生き残りのためなら仇敵ペリシテ人の家臣となり、イスラエルに不利益を与えることすらしてしまう人物です。むしろサウル王の方が理想主義者であり、王制導入の過渡期にあって十二部族の自治やイスラエルの伝統を重んじながら(士師サムエルも尊重しながら)、ペリシテ人と対峙していました。それに対してダビデは徹底的な現実主義者の政治家であり軍人です。
七年半の内戦は、北イスラエル十部族の長老全員が南ユダの首都ヘブロンに来て、ダビデに油を注いで北イスラエル十部族の王に任命することで終わります。厳密には、この王国は統一王国ではなく南北連合王国です。南王国と北王国の二つの国の共通の王としてダビデは任命されています。現代の英国のようなものです(同君連合)。ユダ出身のダビデが、ダビデにしかできない強引な仕方で一つにしたのです。具体的には北王国最高司令官アブネルとイシュ・ボシェト王の暗殺です(3-4章)。聖書はダビデが関与していないことを強調していますが、どちらもダビデの関与が疑われる事件です。これによって十部族の長老たちは勝ち馬に乗るべく雪崩を打ってダビデ支持に回ります。
6 そしてかの王と彼の男性たちはエルサレム、エブス人、かの地の住民に向かって来、彼はダビデに言った。曰く「あなたはここに来ない。なぜなら実際目の見えない人や足の不自由な人があなたを追い払うからだ」。曰く「ダビデはここに来ない」。 7 そしてダビデはシオンの砦を捕えた。これがダビデの町。 8 そしてダビデはその日に言った。「エブス人を撃つすべての者よ。そして彼は、ダビデの全存在が憎んだ足の不自由な人と目の見えない人に竪穴の中で触れるように」。それゆえに彼らは言う。「目の見えない人と足の不自由な人はその家に向かって来ない」。9 そしてダビデはその砦の中に住み、彼はそれをダビデの町と呼び、ダビデは基礎からその家へと囲いを建て、 10 ダビデは行き続け、また大きくなり続けた。そしてヤハウェ万軍の神は彼と共に。
ダビデの目は都市国家エブスに注がれます。後のエルサレムです。彼のねらいは南北戦争を今後起こさせないことです。北の首都は当時マハナイムという町でした。南の首都はヘブロン。どちらかを首都にすればどちらかの反発がありえます。そこで、南北の境目にあるエブスに目をつけたのです。そこはエブス人の町でありイスラエル諸部族に属していません。エブスを占領し首都にすることでどちらからも起こりうる反発を防ぐことができます。
ダビデは「彼の男性たち」(6節)と呼ばれる私兵でエブスの山城を攻め落とします。どこの部族にも属さないでダビデにのみ属する兵士たちです(サム上27章2節参照)。ダビデの狙いは、十二部族に文句を言わせないように、全く中立の、自分所有の都市国家を持つことです。彼の望みは「ダビデの町」が首都となることです(7・9節)。エブスを首都に据えれば南北の争いは起きにくくなると考えたのです。
エブス人はダビデの侵略意思を知ってダビデを牽制します。「あなたはここに来ない。なぜなら実際目の見えない人や足の不自由な人があなたを追い払うからだ」「ダビデはここに来ない」。エブス人はダビデをあざ笑ったのでしょうか。確かにそのように読めます。そのあざ笑い方は現代の人権意識からすると問題です。障がい者差別を前提にしているからです。「障がいのある人でさえあなたを追い払えるのだから、ましてや健常者のわたしたちはなおのことだ」という言い方は、障がい者に対する差別発言です。
その一方で、この発言はダビデの侵略を阻止しようという意図をもつものでもあるでしょう。サウル王の直系の孫にメフィボシェトという男性がいました。文脈から浮いたかたちで直前に紹介されています(4章4節)。彼は五歳の時に両足を怪我して歩けなくなった、サウル王朝を継承できる人物です。エブス人は、メフィボシェトが擁立され南北戦争がまた蒸し返されることを言っているのかもしれません。「足の不自由なメフィボシェト率いる北軍が、ダビデの南軍を追い払うので、ダビデはエブスに来ることはできないだろう」という趣旨の言葉かもしれません。この言葉によって少しでもダビデ軍が足止めされればという狙いです。
エブス人の言葉はダビデにぐさりと刺さります。そして彼自身の障がい者差別がむき出しになります。私訳の「ダビデの全存在が憎んだ足の不自由な人」は死海写本の読みです(4QSama)。底本は新共同訳のように「ダビデの全存在を憎んだ足の不自由な人」です。新共同訳の立場の解釈者は、先のエブス人の発言も「障がいのあるエブス人の発言」と採りがちです。「ダビデを憎む者に対する正当な報復をダビデはした」というのです。このようなダビデに対する弁護こそ、元来の本文を変えた写本家の意図にかなうものですから、元来の本文は死海写本のものです。つまりダビデという人は足の不自由な人、目の見えない人を憎む差別者であったということです。
「竪穴」が城外にある泉から城内の住民のために給水する「水くみのトンネル」(新共同訳)であったことは考古学的に証明されています。ただし、多くの翻訳が示すように、ダビデ軍がそのトンネルを通ってシオンの砦を攻め落としたかどうかは本文に明記されていません。ダビデの発言は「占領(7節)後に城外に障がい者を隔離せよ(8節)」というものかもしれません。物語の順番的にはエブスを占領した後の隔離政策を布告したように読めます。その砦の中にダビデが住むことが記されているからです(9節)。
だから「その家」は、ダビデの自宅(王宮)であり神殿ではないでしょう(8節)。同じ「その家」が9節にも登場しています(新共同訳「内部」)。まったく同じ単語がこの近さで連続しているのですからどちらもダビデの王宮(ヘブライ語「王の家」)と理解するのが自然です。この時点で神殿(ヘブライ語「ヤハウェの家」)はなく、ダビデの息子ソロモンが建てるのですから。つまりエブス人の発言があろうがなかろうが、ダビデは障がい者を憎み家に入れない人だったということです。これら一連の流れを受けて、障がいのある人たち(「彼ら」8節)自身が決然と宣言するのです。「目の見えない人と足の不自由な人は、ダビデの家になど決して来ない」。
なおこの箇所でダビデ軍は、エブス人を「聖絶(宗教的に絶滅させる行為)」していません。「砦を捕えた」(7節)という表現は、ダビデ軍が包囲することやそれによりエブス人が降伏したことを示唆します。そしてダビデは損傷のほとんどないシオンの砦の中に自宅を構え、エブス人たちの上にも君臨し、エブス人はユダ部族に吸収されます(ゼカリヤ書9章7節参照)。ダビデはおそらくエブス人であるツァドクを大祭司に登用しています(8章17節)。
都市国家エブスはエルサレムという名前を付けられます。ダビデは、南ユダ王国、北イスラエル王国、そして都市国家エルサレム(ダビデの町)という三つの連合王国の共通の王となります(同君連合)。その首都はエブス人を丸ごと抱えたエルサレムです。ダビデはシオン山麓の基礎部分から、自分の家を建てた上の方にまで城壁を整え、この砦を拠点に隣国への軍事侵略を進めていきます。エブス占領も一つの通過点です。彼は武力によって大きくなり続けることにひた走ります。西のペリシテ、北のアラム、東のアンモンやモアブ、南のエドム、全ては彼の支配下となります(8章)。彼の重臣には地中海のクレタ人の監督官ベナヤもいます(8章18節)。ダビデは「ヤハウェ万軍の神が共に」いることを確信しています(10節)。
現代のわたしたちは聖書の戦争記事を深い解釈によって霊的に読み解かなくてはいけません。軍事英雄のダビデをそのまま模範とすることは許されません。彼の障がい者差別は、戦争に役立たない人への差別でもあるからです。
この批判を踏まえても、なおダビデの生き方に良いものを探りたいと思います。それはイスラエルの伝統を内側から突き破って新しい共同体をつくったことです。南北イスラエル人・先住民・非イスラエル人による連合王国です。モアブ人の曾祖母をもつ国際主義者のダビデ、無割礼のペリシテ人に仕えることもできる現実主義者のダビデだけができることです。現代に至るまでエルサレムがユダヤ民族主義の中心地であることは皮肉なことです。ダビデの町は、最初から先住民・イスラエル人・非イスラエル人連合王国の首都であり多様な人々の集まる共同体です。この意味で教会が誕生するのにふさわしい場所です。このあまり注目されていない事実にわたしたちは目を留めたいものです。
今日の小さな生き方の提案は、ダビデの欠けを批判しつつ、ダビデの町に倣うことです。教会において、もはや日本人も外国人も移民も難民もなく、男もなく女もなく、「男と女」という二分法もなく、誰もが何かしら持ち合わせるさまざまな障がいの有無も、さまざまな職業の違いも、関係ありません。すべての人は等しい命ですし、すべての人はばらばらの個性を持っています。ところが日本は同調圧力の強い社会。ここで教会という、多様性に完全に開かれた礼拝共同体は急進的な存在です。隠れることができない山の上の町です。誰もが来ることができる礼拝を捧げることによって世の光であり続けましょう。