フリ人セイルの子孫 創世記36章20-30節 2019年10月20日礼拝説教

「これらが、かの地に住んでいるフリ人セイルの息子たち。ロタンとショバルとツィブオンとアナとディションとエツェルとディシャン。これらはフリ人の首長たち、エドムの地におけるセイルの息子たち」(20-21節)。

 本日の箇所はエサウの妻の一人オホリバマ(25節。2・14節も)の家系についての説明です。女性の家系図が紹介されることは非常に珍しい現象です。ルカ福音書3章のマリアの系図に匹敵します。オホリバマはフリ人セイルの曾孫にあたります。彼女は「ヒビ人」と呼ばれたり(2節)、「フリ人」(20節)と呼ばれたりもしています。どう見ても同一人物なので、この呼び方の揺れも含めて、古代西アジアにおいてフリ人とは何者なのかをまず確認いたします。

 フリ人は一般の歴史では「フルリ人」と呼ばれます。ヘブライ語で「ホリ人」と書いてあるので、新共同訳聖書は間をとって「フリ人」と表記しています。へブライ文字のレシュ(R音)は、ヴァヴ(V音)と非常によく似ているので、書き間違え・読み間違えから、「ヒヴィ人」という別民族が存在するかのように誤解されたと推測されています。つまり、ヒビ人とフリ人は同じ民族です。そしてヒビ人ではなくフリ人の方を実在する民族として考えるべきです。

 フリ人の歴史は古いものです。紀元前23世紀ぐらいまで遡ることができます。メソポタミア文明の一翼を担う高度な文明を有していました。独自の国家(ミタンニ王国)の滅亡後も、フリ人はさまざまな地域に点在したし、その影響はとどまり続けました。たとえば、フルリ語の名前の王族を持つ国もありました(ヒッタイト王国、ウガリト王国等)。またおびただしい宗教文書がウガリト語・フルリ語の併用碑文として発掘されています。

 アブラハム・サラ家がパレスチナ地域に移住する前に、フリ人は死海南方のセイル地域に住んでいました(14章6節)。つまり「先住民」です。約束の地の内部にもフリ人はいます。シケムのハモル家はヒビ人すなわちフリ人です(34章2節)。この意味でフリ人は、「カナン人の一種」と見られ、約束の地においても「先住民」です。考古学者たちは、ギブオン人(ヨシュア記9章7節・11章19節の「ヒビ人」)や、さらにエルサレムの先住民であるエブス人もフリ人であると推定しています。歴代誌上21章18節のオルナンがフルリ語の「君主」(ewri-ne)を意味するかもしれないからです。

 フリ人の文化や習慣は、同じメソポタミア文明の中にいるアブラハム・サラ家と共有されています。たとえばアブラハムとエリエゼルの養子縁組(15章2-3節)、サラが召使ハガルを夫に側妻として与えたこと(ラケルやレアも同様)、エサウが長子の権利を売ったこと、ヤコブとラバンの交渉、イサクやヤコブら家長の祝福の拘束力など、ほぼ同様の事例が「ヌジ文書」(紀元前15世紀)と呼ばれるフルリ語の古代文献に記載されています。「首長」という言葉の説明で先週紹介した「水平な関係の首長たちによる持ち回りの王政」という仕組みも、フリ人の習慣がエドム王国に継承されたと推定されています。

 まとめて言えば、フリ人はエサウやヤコブにとって、広い意味で同じ「メソポタミア人」であり、狭い意味で自分たちよりも先にカナン地方やセイル地方に移住していた「先住民」です。

旧約聖書の主流は先住民に対して敵対的です(申命記7章1節ほか多数)。ヨシュア記を読むと約束の地におけるすべての先住民が絶滅させられたかのようです。ただしヨシュア記の直後にある士師記1章には、先住民と共存する姿が報告されています。どちらが史実かと言えば、多くの学者は士師記の方が史実に近いと推測しています。しかしその士師記であっても先住民に否定的な叙述です。先住民が肯定的に記述されているという意味で、本日の箇所は極めて珍しい聖句です。そして、現在ようやく先住民の人権について取り組み始めた世界全体の流れから、フリ人の系図は再評価されるべきです。すべての先住民が、天地創造をされた神の祝福の傘に入っているということが分かるからです。

日本バプテスト連盟においても北海道にある教会から、「開拓」という言葉が先住民アイヌ民族の居住地を奪う行為を指すこと、そして「開拓伝道」という言葉を無反省に使うことに対する提起がなされています。アイヌモシリ(穏やかな人々の大地)を北海道と勝手に名付け、「国内」と位置づけた歴史が問われています。

エサウは先住民である二人の女性と結婚をしました(26章34節)。彼女たちはイサクとリベカと争い続けていました(同35節)。このうちの一人がフリ人オホリバマだったと36章2節・25節は語り直しています。だからこそエサウは、妻の出身地であるセイル地方に移住したということでしょう(6-8節)。エサウはアブラハム・サラの孫です。彼は自らの結婚に誠実であろうとして、生まれ故郷と「父の家」を棄てたのです。自分を可愛がってくれた父イサクよりも配偶者が大切だからです。父の全財産を相続することができる「長子の権利」よりも、配偶者を選択したということです。極めて現代的な決断です。そもそもエサウは長子の権利を軽いものとみなしていました(25章34節)。家父長制に馴染まない長男だったのです。

オホリバマはアナの娘です。アナの父親はセイルの三男・首長ツィブオンです(20・29節)。生まれ順と関係なく、みんなが首長になれるところにフリ人の伝統があります。エサウにとってその環境はありがたいものでした。妙にがつがつと自分の権利を奪い取ろうとする弟がいないからです。「男らしくあれ」「長男らしく振舞え」という圧力は、エサウを苦しめていました。双子の弟ヤコブと異なり、彼は勝敗を決する競争や、支配・被支配の関係は苦手です。先住民フリ人の水平の関係がしっくりときます。

「そしてこれらがツィブオンの息子たち。すなわちアヤとアナ。彼の父ツィブオンのロバたちを飼っている時に、荒れ野の中で『かのイェミム』を見つけたのが、このアナ(だった)。そしてこれらがアナの息子たち。ディションとアナの娘オホリバマ」(24-25節)。

オホリバマの親であるアナという人物について、掘り下げて考えてみましょう。アナが男性であるのか、それとも女性であるのか、本文は曖昧です。24節におけるアナは男性のように見えます。ところが、2・14節の本文は直訳すると「ツィブオンの娘のアナの娘オホリバマ」でありアナは女性です。24節との矛盾を避けるために、ギリシャ語訳は「ツィブオンの息子のアナ」と修正をしています。本文に修正を加えないならば新共同訳のように「ツィブオンの孫娘で、アナの娘オホリバマ」という苦しい意訳をしなくてはなりません。

フリ人の間では女性の地位が高かったことや、女性が親の財産を相続することすらあったということなどが前述の「ヌジ文書」から推論されています(民数記27章参照)。アナは女性であったかもしれません。特別な功績のために「男性の首長」と同格にみなされていた「女性の首長」だった可能性があります。特別な功績とは、たとえば「かのイェミム」を見つけたことかもしれません。「かのイェミム」については後でとりあげます。

アナが女性であったという根拠は、24節「ツィブオンの息子たち・・・アヤとアナ」という言い方と、25節「アナの息子たち・・・ディションとオホリバマ」という言い方が重なるところにあります。25節で「息子たち」と言いながら、息子・娘の順番でディションとオホリバマを紹介しているのですから、24節でも「息子たち」と言いながら、息子・娘の順番でアヤとアナを紹介できるはずです。この場合の「息子たち」は、男女を含む表現でしょう。

さらに現代的な解釈も可能です。アナが人生の途中で「自らの性を変えた」、または「心の性に体の性を合致させた」という解釈です。女性として生まれ母親となってディションとオホリバマを産んだアナが、その後、男性として生きたという可能性も無いわけではないでしょう。そのきっかけが、「かのイェミム」を見つけたことなのかもしれません。

では「かのイェミム」とは何なのでしょうか。結論から言えばよく分かりません。「イェム人」(シリア語訳)とか、「ラバ」(ルター訳)とか、「温泉」(ラテン語訳、関根訳)とか、「水/泉」(文字を入れ替える修正をして。新共同訳)とか、今に至るまで意味の確定ができていない単語です。仕方なく音訳しているものもあります(ギリシャ語訳、岩波訳)。少なくとも言えることは、この発見はフリ人の歴史にとって画期的なものだったということです。文化を進展させる大発見でなければ、冠詞を付けて「誰もが知っている、かのイェミム」とは言わないし、その発見者の功績をたたえることはしないはずだからです。フリ人にとって役に立つ、世紀の大発見をアナは成し遂げた人物です。

アナは比較的自由なフリ人社会の中でも枠にはまらない自由人(Queer)なのでしょう。そのアナが、エサウの舅/姑です。わたしたちはここでヤコブとラバンの関係とを思い出すことができます。ヤコブは伯父であり舅でもあるラバンによって、異なる文化(ハランの習慣)をたてに苦しめられました。ラバンは甥ヤコブの足元を見て、ただ働きをさせ、搾取しました。

アナはエサウに対してどうだったのでしょうか。ルーツをアラムに持ちカナン生まれのカナン育ちでありながら、あえてフリ人である娘オホリバマと結婚して、セイルの地まで引っ越してきた婿殿エサウ。父を棄て、長男であることを棄て、家父長制から脱出したエサウ。双子の弟との競争をやめて出世レースから降りて、自分で財産を築いて外国に引っ越してきたエサウ。弟と異なり伯父イシュマエルを頼らないエサウ。先祖代々の墓購入で深い関係にあったヘト人ではなく、未知のフリ人の居住地セイルを選んだエサウ。先住民に対して偏見を持っていないエサウ。

「エサウは面白い人物だ」とアナは評価したように思います。自由な人は自由な人を好むものです。「かのイェミム」というのも、変人アナが勝手に作ったエサウに対するあだ名(イェム人)かもしれません。アラム人ラバンと異なり、アナはエサウを真にフリ人社会に受け容れたと思います。だからエサウはヤコブと異なりアナのもとから逃げ出さないで定住します。フリ人と一つの民となり、エドム人が形成されていくのです。シケムでヤコブ一家がなしえなかったフリ人と一つの民となることを(34章22節)、エサウ一家は成し遂げています。狡猾なラバンとヤコブでは喧嘩別れが起こりましたが、自由なアナとエサウは平和的共存を成し遂げます。

今日の小さな生き方の提案は、アナとエサウに倣う・学ぶということです。それは「先住民」の視点から、自分たちを見直すことです。「日本人」「国民」など、かなり無造作にわたしたちは使っています。他の人々に対する排除や偏見を助長しないでしょうか。「住民」「市民」という言葉の方が正確かもしれません。すべての人は神の国の住民であり地球市民です。

日本社会という同調圧力が強く、比べ合うことや競争が激しい社会で、わたしたちはどうすれば自由を得るのでしょうか。エサウのように競争から降りること、アナのように枠にはまらない生き方を認めることが求められています。「良い意味で変わった人」になりたいものです。