32 さてペトロに以下のことが起こった。すなわち、すべてを通って、リダに住んでいる聖なる者たちに向かってくだるということが。 33 さて彼はそこで名前をアイネアという、とある人間を見つけた。床の上に八年以上。その彼は麻痺し続けていたのだが。 34 そしてペトロは彼に言った。「アイネア、あなたをイエス・キリストが癒す。あなたは立て。そしてあなたはあなたのために伸びよ」。そしてすぐに彼は立った。 35そしてリダとシャロンに住んでいる全ての者たちは彼を見た。その彼らが主に面して向き直ったのだが。
ペトロは突然エルサレムを離れリダの教会を一人で訪れます。その理由は、エルサレム教会の筆頭指導者からの転落でしょう。ペトロは自他ともに認めるイエスの一番弟子です。そのゆえに筆頭指導者でした。しかし、その後「主の兄弟ヤコブ」が十二弟子でもないのに実力を得ます(ガラテヤ1章9節、2章9節)。ヤコブの強みはイエスの実弟であること、そしてユダヤ民族主義者であり神殿貴族と親しいことです。ヨハネもサマリア人嫌いの民族主義者ですから、ヤコブと組みやすいのです(ルカ9章54節)。三頭政治は崩れます。
ペトロは二人の民族主義者たちに主導権を奪われ挫折をし、挫折を通じて悔い改めます。「排他的な人・権威主義的な人とは協力しにくい。もしかするとステファノやフィリポたち国際派キリスト者が採る路線こそが主イエスの御心かもしれない。サウロの説教にはペンテコステの精神が生きていた。」保身のためにステファノやフィリポたちを見捨てたこと、権威を振りかざしてフィリポの居場所をサマリアでも失わせたことをペトロは悔い改めます。「またもやイエスに十字架を負わせる罪を自分は犯したかもしれない。」ペトロという人の良さは、この直情径行、単純で素直なところです。大きく罪を犯す人は振れ幅大きく悔い改めます。その人は恵みの価値をよく知ることができます。
彼は一人でエルサレムを出て西へと向かい、町々にすでに建てられている教会を訪れます。32節「すべてを通って」とは、町々にある家の教会のすべてという意味でしょう。まず目指したのはエマオです(ルカ24章)。クレオパたちが自宅で教会をすでに始めていたことでしょう。エマオの教会で一宿一飯のお世話になりながら、共に主の晩餐を行い、パンを割く時に、ペトロは初心に帰っていきます。「あの時クレオパたちはエルサレムに飛んで帰ってきた。その気持ちがよく分かる。パンを分け合うここに復活のイエスはおられる。そのことを伝えるということが自分の初期の志ではないか。」
さらに西に向かうとどこの町にもユダヤ教ナザレ派の家の教会があります。匿名の信徒たち(「聖なる者たち」「弟子たち」)がすでに教会を始めているのです。自分はなんと狭い世界(シオン山)にのみ閉じこもっていたのかとペトロは悔い改めます。ペトロを歓待してくれた信徒たちは、カイサリアに住むフィリポの系列の信徒たち、国際派キリスト者たちです。フィリポグループの教会のネットワークを通じて、ペトロはリダの町にたどり着きます。これは謝罪の旅です。フィリポグループの信徒たちは謝るペトロを歓待していきます。「ある意味で良かった。あなたがフィリポを追い出したおかげで、自分たちも福音に触れた。その福音が国際的なもので良かった。」この言葉はペトロの心に突き刺さり、さらに悔い改めが重層的に深くなります。
何か自分にできる奉仕が無いかとペトロは探り、リダの町にアイネアという男性が居て、八年間麻痺に苦しんでいるという情報を得ます。家の教会は、町で困っている人を探し祈り助けるネットワークなのです。アイネアという人に仕えるためにペトロはアイネアのもとに訪れます。そして、彼に言います。「アイネア、あなたをイエス・キリストが癒す。あなたは立て。そしてあなたはあなたのために伸びよ」(34節)。
この言葉を3章6節のペトロの言葉と比べると彼の悔い改めが分かります。「銀と金は私にない。さて私が持っているものを、これをあなたに私は与える。ナザレ人のイエス・キリストの名前において、あなたは歩きなさい。」美しい門で歩けない人を癒す時にペトロは、「私は与える」と言い、「イエス・キリストの名前」を手段にして命じています。少し偉そうです。今回、ペトロは「アイネア」と相手の名前を呼んで尊重し、「イエス・キリストが癒す」と言って自分の功績を後ろに下げ、「あなたのために伸びよ」と相手本意に命じています。隣にはヨハネはいません。アイネアに語りつつ、ペトロは自分にも言っています。「自分の人生、自分のために、自分自身で伸び伸びと生きなければ。それがイエス・キリストの癒しなのだから。ヤコブもヨハネも関係ない。私がイエスに従うというその一点に集中すれば良い。シモン、あなたは私を愛するか、私に従って来なさい、という呼びかけに応えることだけが大切なのだから」。
「そしてリダとシャロンに住んでいる全ての者たちは彼を見た。その彼らが主に面して向き直ったのだが」(35節)。この「彼」は誰でしょうか。もちろんアイネアと採るのが自然です。しかしペトロであっても良いように読めます。「彼ら」とはリダとシャロンの住民です。しかしここにペトロが含まれていても良いでしょう。癒されたのはアイネアでもありペトロでもあります。悔い改め回心したのは寄留者ペトロをも含む全住民です。「イエス・キリストがあなたを癒す」という事実に、全ての者が真摯に向き合ったのです。こうしてペトロは誠実な罪責告白を基礎にして、自分の全存在・全人格・今までの人生全てでもってリダ教会に奉仕しました。戦争責任を身に帯びる生き方がここに示されています。挫折したペトロはこうして復活します。これがフィリポグループの信徒たちの間でも評判となります。
36 さてヤッファの中に名前をタビタという――それは翻訳するならば「鹿」と言われる――、とある弟子が居続けた。彼女こそは、彼女がし続けていた良い業と施しの充満であり続けた。 37 さてこれらの日々において(彼女が)弱くなって、彼女が死ぬということが起こった。さて洗って彼らは階上に置いた。 38 さてリダはヤッファにとって近くにあって、弟子たちは、ペトロがその中にいるということを聞いて、彼らは二人の男性を彼に派遣した。「私たちのところまでやって来ることをあなたは遅らせるな」と呼びかけながら。 39 さて立ってペトロは彼らと共に来た。(彼が)到着するとその彼を彼らは階上へと連れていった。そして全てのやもめたちは彼の傍に立った。泣きながら、また、かの「鹿」が彼女たちと共に居る時に彼女が作った下着や上着を見せながら。 40 さて全ての者たちを外へ追い払って、ペトロは、膝を折り曲げながら、彼は祈った。そして遺体に向かって向き直りながら彼は言った。「タビタ。あなたは立て」。さて彼女は彼女の目を開いた。そしてペトロを見て彼女は座った。 41 さて彼女に手を与えて、彼は彼女を立たせた。さて聖なる者たちとやもめたちを呼んで、彼は生きている彼女の傍に立った。
リダから北西に17㎞ほどのところにヤッファという町があります。カイサリアに次ぐ港湾都市、大きな町です。そこにもすでに教会はありました。リダよりも直接的にフィリポが伝道した地域かもしれません。アゾトからカイサリアの間に位置しているからです(8章40節)。ヤッファは当時ローマ帝国に直轄支配されていました。ユダヤ人が比較的多いギリシャ・ローマ風の都市です。タビタが「鹿」と呼ばれているのはギリシャ語話者が多いためでしょう。
タビタ(アラム語名)はユダヤ人女性でありヤッファ教会の指導者でした。彼女は服をつくる技能を持っていました。自宅兼教会を用いて服飾製造業の指導を地域でなしていたのでしょう。このような仕方で教会が地域に仕えていたので初代教会は急速にその数を増やしていったと言われます。反貧困教育の精神です。39節の「全てのやもめたち」は、タビタのおかげで職業を得、生活を立て直すことができた女性たちのことです。国際派教会において、やもめたちは教会指導者です。彼女たちがタビタを「鹿」とギリシャ語で呼んでいることから、やもめたちがギリシャ語話者であることも分かります(39節)。
タビタは自分の稼ぎを貧しい女性たちの技能習得のために施し捧げます(36節)。路上生活者に身をやつした女性たちを(ルツやナオミ)自宅に招き職業を授け自活できるようにします。日曜の夜となれば、そこで実際の食事を伴う礼拝が行われます。その食事にはやもめたちが活躍します。好循環です。誰からも慕われたタビタが惜しまれながら病死してしまいます。教会はやもめたちを中心にタビタの葬儀を行いました(37節)。彼女たちは同じフィリポグループのリダの教会に奇跡行者ペトロがいることを知っています。やもめたちは男性弟子二人を派遣しペトロにタビタの蘇生を頼みます。フィリポはイエスが少女をよみがえらせた奇跡を紹介しています。同じことをペトロもできるはずです。一日で往復できる距離です。驚くペトロを急かして、二人は会堂長ヤイロのようにペトロをタビタの自宅に連れていきます(ルカ8章40節以下)。
ペトロは到着後生前のイエスの振る舞いを真似します。そしてペトロは他の人を追い払って(40節)、「タビタ、クム(あなたは起きよ)」と言うのです(マルコ5章37・41節)。ペトロが初心に帰っていることが分かります。死人の蘇生奇跡はしたことがありません。ただイエスの後ろに従い真似をすることだけで良いと考えているのです。そしてペトロはタビタの傍らに立ちます(41節)。同じ行為をやもめたちがペトロに対してすでにしていました(39節)。
6章からの広い文脈を見渡すと意義深い出来事です。やもめたちを重んじたのが国際派キリスト者たちであり(6章)、その人々を、ペトロを筆頭とするエルサレム教会指導者層は見棄てました(7・8章)。やもめたちがエルサレム教会の筆頭ではなくなったペトロの傍らに立ちます。またペトロもタビタとやもめたちの傍らに立ちます。その背後にあるフィリポの傍らに立つ準備をペトロはしています。「自分は国際派の側に立つ。それがナザレのイエスに従う道だ。」
42 さてそれがヤッファの全体に知られて、そして多くの人々が主について信じた。 43 さて多くの日々を彼がヤッファの中に留まるということが起こった。とあるシモン、皮なめし職人の傍らで。
皮なめしという職業は獣の死体を扱う固有の匂いから忌み嫌われていたと言われます。日本の部落差別と似ています。天幕づくりにもそのことは当てはまります。職業差別です。徴税人ザアカイの友となったイエスにならうペトロは、ヤッファ教会員シモンの家に居候します。ガリラヤの風とヤッファの海風は似ています。主に立ち帰るならば似てくるのです。
今日の小さな生き方の提案は挫折の後を大切にしようということです。戦争に負けた、パンデミックに打ち負かされた、その後。人生の壁にぶつかった、思うように行かない、その後が大切です。ペトロは一人になりました。いや、見知らぬ教会員のお世話になりました。そこで変えられていくのです。有名人たる自分が組織の長として先頭をきって伝道するという力みが、さまざまな家の教会での知らない人々、しかし信頼できる人々との交わりによって砕かれます。ペトロはその人々にイエスの姿を見ました。踏み込まれない交わりを持っていることは幸いです。挫折がそこで癒されます。挫折は直接主と向き合う機会です。そして主が間接的に優しく私たちを復活させることを知る機会です。