世を救うために ヨハネによる福音書12章44-50節 2014年4月27日礼拝説教

キリスト教という信仰は、「ナザレのイエスをこの世界全体の救い主である」と信じる教えです。イエスをキリスト/神の子/救い主と信じると良いことが自分の身に起こる・世界全体に起こると信じ込む観念が、キリスト教信仰です。どのような良いことかは個人個人で異なります。あるいは、良いことが起こったことを振り返って、「この出来事は復活のイエスがなさったことかもしれない」と信じるということも、よくあるパターンです。信じると良いことが起こる/良いことがあったので信じる、この両者は交代可能です。

自分の身に起こる良いことを「救い/救済」と言います。ヨハネ福音書で救いを経験した人は何人も紹介されてきました。イエスと一宿一飯を共にしたアンデレと匿名の弟子(1章)、カナという町でぶどう酒を寄付された結婚式の裏方や客たち(2章)、イエスと夜に対談をした最高法院議員ニコデモ(3章)、真昼に対談したサマリア人女性(4章)、カファルナウムという町に住む役人一家(4章)、ベトザタの池の病人(5章)、ガリラヤ湖畔の1万人以上の飢えた群衆(6章)、陰謀により殺されそうになった女性(8章)、生まれつきの盲人(9章)、一度死んだラザロ(11章)、エルサレム神殿に参拝をしていたギリシア人(12章)、この人々はイエスに出会って「救い」を経験しました。

イエスは話し合うことで相手の人格を尊重しました。ガリラヤ人もサマリア人もギリシア人も子どもも女性も、みな対等に対話すべき相手なのです。イエスは教えを説くことで慰めと励ましを与えました。病気もしょうがいも、決して神からの呪い(宗教的因果律)の結果ではないと断言しました。イエスは権力を悪用して社会的弱者を困らせる人々を批判し、食い物にされている人の側に立つ弁護士でした。権力者は自分たちの利益のために裁判官の地位に立って多くの「罪人」を製造していました。それに対してイエスは「罪人」とされた人たちをかばい、自ら「罪人」の一人となったわけです。イエスは実際に困っている人の困難を取り除けました。飢えている人に食べ物を与え、病気から快復したいと願う人を治癒し、殺されかけた人を生かし、死者をよみがえらせました。イエスは面と向かって大切に扱い、後ろ盾となって励まし、矢面となって助けました。だから、自分の身に良いことが起こった人々は、イエスに感謝しイエスを救い主と信じたのです。

「わたしを信じる/見る者は、わたしを信じる/見るのではなくて、わたしを遣わされた方を信じる/見るのである」(44-45節)とあります。「わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである」(50節)ともあります。キリスト教の教理上、「三位一体論」と言います。イエスのアッバ(お父ちゃん)と、イエスと、イエスの霊が一体の神だという教えです。イエスの霊(聖霊)については14章15節で取り上げるので今日はこれ以上申し上げないとして、神と神の子の一体だけを説明します。簡単に言えば、もし神が地上に来るならばナザレのイエスのように愛を教え・愛を行うであろうという信仰です。イエスにおいて神が啓示されたという言い方もします。あるいは、神が自分の分身である神の子を派遣したとも言います。この三位一体論に基づけば、人間イエスに信頼を寄せることは神を信じるということと同じです。

これによって神を信じる人が増えることを神は望んでいます。見えない神を信じるよりも、見えるイエスを信じることのほうが簡単だからです。少なくともイエスの活動期間中、パレスチナに住む人々は神を直接見ること・神の声を聞くこと・神に触れることができたのです。現在のわたしたちにとっても似たような簡便さはあります。聖書という本があるからです。新約聖書に登場するイエスの姿を思い浮かべることは、神を見る行為です。それは見えない神を信じるよりも簡単です。しかも旧約聖書に登場する「見えざる神」を信じるよりも、人となった神を信じるほうが簡単です。

三位一体論は気前の良い教えです。霊である神はつかみどころがありません。分かったと思ったらそれは誤解でもあります。神を捉えきれるはずがないからです。人間ごときに把握できる神は真の神ではありえないからです。そこで、「神は人間イエスを派遣し、この人間を信じれば、霊である神を信じたことと同じとみなす」というのです。こうして生のイエスやイエスの言行を記す福音書に出会った多くの人々は、神を信じました。イエスを通して、神を信じました。このようにして、寛容さ・気前の良さを全面に出すことで、神は神を信じる人を増やすことに成功しました。ここにユダヤ教やイスラム教との違いがあります。人間イエスを信じれば神を信じたとみなすという柔軟さがキリスト教の味噌です。このあたりの実際主義が、たとえば聖書を翻訳しても構わないというキリスト教の姿勢=「聖なる言語(ヘブライ語)」の否定とも関わりがあるように思えます。初代キリスト教徒の多数派はギリシア語訳旧約聖書を用いたのです。寛容・柔軟・型破りは、この際似たような概念です。

イエス・キリストが示した愛の神は、寛容な神です。三位一体論が寛容であるのと同じように、イエスの教えは寛容です。それは非寛容な世界に生きていた人々にとって良い知らせでした。先ほど挙げた人々も、大まとめに言えば、イエスの寛容さに感動しその出会いを良いこと=自らの救いと考えたのです。

たとえば、今日の聖書にもイエスの寛容が示されています。47-48節の言葉です。イエスを信じて、イエスの言葉を喜んで聞いたけれども、それを守らない(「覚えていない」が原意)者がいても、イエスは決して咎め立てをしない/裁かないというのです。イエスに敵対し、イエスを拒み、イエスの言葉を受け入れない者がいても、放っておくというのです。世界の終わりの時まで咎め立てをしないというのです。前者は、信者の中のうっかり者のことです。後者は、信者ではない者の中の無関心層です。どちらもイエスは大らかかつ無条件にその存在を赦しているのです。前者について言えば、「細かい失敗はいいじゃないか」ということでしょう。後者について言えば、「良い麦と毒麦の違いは神のみぞ知るのだから、世の終わりまで判断を待ってもいいじゃないか」ということでしょう。

なぜかと言えばイエスは神の愛・神の寛容を教え行うためにこの世界に来たからです(47節)。この寛容こそ一人一人に、また世界に必要な救いなのです。世界は非寛容さを増しています。暗闇の闇が深まっている様子に似ています。非寛容な世界は暗闇に喩えられます。それに対してイエスの教える寛容は光に喩えられます(46節)。「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように」と言っているのですから、キリスト信者でさえも非寛容になりうることをイエスは見抜いています。

イエスの寛容さに打たれてわたしたちはイエスを救い主と信じました。十字架はわたしたちの罪を教えます。人間というものは根源的に逆立ちして生きているところがあります。自分を神にしてしまい、隣人を踏みつけにし、貶めることがあります。倒錯したかたちの支配欲があり名誉欲があります。これが罪です。その意味で今も無数のイエスを十字架につけて殺し続けているのがわたしたちの現実です。もちろん個々人には良いところが必ずあります。それでも突き詰めて考えれば日本人男性大人として存在しているだけで、アジア・アフリカの飢えているこどもたちを踏みつけにしている、この現実を直視しなくてはいけません。たとえば、あんなにひどい原子力災害を起こしてしまったにもかかわらず、トルコやベトナムに新たな原子力発電所を売ろうとしている政府を止められないのですから、やっぱり金儲けのために踏みつけにしているのです。わたしたちは根源的なところで逆立ちをして生きています。

そのわたしに対してさえ、イエスは復活の永遠の命を無条件に気前よく配るわけです。ヨハネ福音書は裏切った弟子たちにガリラヤ湖畔で朝食をふるまう復活のイエスを描きます(21章)。ここで割かれた魚とパンは6章で割かれた「二匹の魚と五つのパン」と同じものです。それは「命のパン」であるイエスのいのちの象徴です(6:35)。十字架・復活を経た後にはっきりとわかることですが、魚とパンは復活のいのち・無条件の赦しの象徴です。殺されたイエス自身のいのちを殺した弟子たちに配ること、これが寛容というものです。そしてこのような寛容さから悔い改めが生まれ、生き方の方向転換がなされるものです。少しでも踏みつけにしない、異なる他者に対して大らかに接するように、神の創られた世界の中で調和を保って生きるように、寛容に生きるように悔い改めが起こるものです。

三位一体論は実に機能的です。先ほどは入口の入りやすさを取り上げました。さらに人間イエスの行いを真似するようにという、分かりやすい出口も示されているので、機能的です。寛容であったイエスに倣い、「あなたも行って同じようにしなさい=寛容なサマリア人にたとえられるイエスを模範として生きなさい」(ルカ10:37)と促されるからです。そうすれば寛容という光を放つ灯を常に手に持って、闇夜を歩くことができます。イエスの命令は、神の命令と同じであり、それ自体「永遠の命」です(50節)。人は寛容であるときに永遠に生きているのです。

しかし、悲しいかな、その恵みをさっさと忘れてしまうことがよくあります。外観は形式的にキリスト者であっても、寛容さを失ったならばわたしたちは実質的には暗闇の中にとどまっているのです(46節)。灯を枡の下に隠すこと、塩が塩気を失うことが、キリスト者にはありえます。毎週の礼拝というものも本当に機能的です。七日ぐらい経つと寛容さが抜けてしまったり、「寛容であれ」というイエスの言葉を忘れてしまったりします。日曜日の礼拝で、「うっかり忘れているあなたも赦されている/裁かれない」と寛容に言われて、やっとねじが巻き直されるわけです。こうして少しでも寛容な日常を送ろうとする意思が一人一人に生まれます。非寛容な世界は、そのような良心的な寛容精神を持った少数者の祈りと行動によって、やっと保たれていると言えます。

今日の小さな生き方の提案は寛容に生きるということです。この生き方自体が良いことだからです。言い方を換えると、互いに多様性を認め合うということです。米国から日本に帰国して感じたことは、「変な人」の少なさです。米国の方が「普通の人」の範囲が広いと思います。かなり変わった人も「普通」の枠の中に入っています。多様性diversityを認めている社会です。米国には多くの課題・問題がありますが(「世界の警察」)、一つ評価してよいことは多様性を認め合おうと努力・葛藤しているというところです。それが寛容ということがらの具体的現れです。なぜ目の色や毛の色が違う人がいるのか、米国の教会では「神さまが多様な色を楽しんで創られたから」と答え伝えていました。

日本社会は画一化や同調性を強要する力が強い「村社会」です。島国根性とも呼びます。非寛容がその特徴です。その中で教会の使命は寛容という文化を提示することです。非寛容な社会でくたびれた人を温かく迎え入れることです。そして一人ずつ寛容な人を育てていくことです。そうして排他的主張を黙認し、寛容な主張を排除する闇の世に小さな光を増やしていくのです。こうして自分の身にもこの世界にも「良いこと」が起こるのです。それが救いです。