今日の箇所は子ども時代のイエスについて書かれている唯一の聖句です(ただし外典を除く)。ルカだけが正典の著者たちの中で、この物語を記録しました。この物語を、イエスの十字架から読み解くべきだと考えます。つまり、「十字架にかけられる数日前にイエスが神殿で商人たちを追い出した出来事(宮清め)」(19章45-48節)との関係付けです。
マリア・ヨセフ夫妻は、毎年子どもたちを連れてナザレからエルサレムまで過越祭に参加するために巡礼の旅をしていたそうです(41節)。この毎年の巡礼という情報も、読者の視点を十字架へと向けさせる効果を持っています。なぜならイエスの十字架は過越祭の季節の出来事だったからです。十字架を頭の隅に置いて、物語の中へと入ってみましょう。
イエスが十二歳の時には(42節)、弟や妹が生まれていたと推測できます(8章19節)。イエスには名前の知られている四人の弟がおり(ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン)、少なくとも二人以上の妹がいました(マルコ福音書6章3節)。12年間で七人の子どもを産むことは可能ですから、おそらく両親はイエス以下六人(ないしはそれ以上)の子どもたちを引き連れて、その年の過越祭に参加して、祭り初日の食事をエルサレムでとったのでしょう。
ルカのこの記載は、大人になってからもイエスが毎年過越祭をエルサレムで「家族たち」と持っていたことを推測させます。十字架前夜の「最後の晩餐」は、毎年恒例の食事を弟子たちという「新しい家族」ととったということになりましょう。そしてイエスは旅慣れていた、特にエルサレムへの道に熟達していたということにもなります。マルコ福音書を読むと、イエスは生涯に一度だけしかエルサレムに行っていない印象を持ちますから、毎年恒例の巡礼というルカの記載はかなり挑戦的です。
一家にとって無事に祭りの期間は終了しました。それは八日間ですが、準備の日まで含めると十二日間を必要とします(出エジプト記12章)。ナザレからエルサレムまで、サマリアを避けて迂回する道のりで150km以上はあると思います。小さい子連れですから4-5日は旅だけでかかったのではないでしょうか。旅支度なども含め、ほぼ一ヶ月がこの巡礼の旅に費やされます。マリア・ヨセフ夫婦にとってはとても大切な過越祭巡礼です。
いつものように祭りを終えて、大満足の一家は他の親戚と一緒にナザレへと帰ります。両親はそこで「イエスが道連れの中にいるものと思い」(44節)、一日分の旅を終えます。この場面、古代の大家族のことですから、現代の尺度で両親を咎めるのも酷な気がします。おそらく、ヨセフもマリアも小さな子どもたちの世話で手一杯だったのでしょう。十二歳ともなれば大人ですから、イエスのことまでいちいち管理する習慣もなかったのでしょう。一日の間には食事の機会も何回かあったけれども、「親戚と一緒に食べているのだろう」と思い込んで一日の道のりを歩き、寝るときにも「親戚と一緒に寝ているのだろう」と思い込んで朝を迎えました。
次の日に、両親はイエスがいないことに気づきます。映画の『ホームアローン』に少し似た場面設定です。ヨセフ・マリア夫妻は慌てて、他の子どもたちを親戚に預け、いなくなった息子を捜しながら三日かけてエルサレムに戻ります(43-45節)。そして、エルサレム神殿で我が子を見つけるのです(46節)。
両親の気持ちは、おそらく放蕩息子と再び会うことを喜ぶ親のような感覚ではなかったかと推測します(15章20-24節)。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と大喜びする父親の姿に、両親の喜びが重なります。迷子の子どもを見つけたときに、素直に親は「よみがえった」と思うものです。なぜかといえば、「最悪の場合、子どもは誘拐されたり死んでいたりするかもしれない」と、親は思うからです。
両親は最悪の場合でなかったことを確認して喜びましたが、その一方でイエスの態度に驚きました。マリアとヨセフが期待していた、イエスの反応は「お父さん・お母さん、わたしは罪を犯しました。もうあなたたちの子どもと呼ばれる資格はありません。ごめんなさい」という謝罪でした。ところが、十二歳のイエスはまったく悪びれません。およそ「従順」(51節「仕えてお暮らしになった」の直訳)とは言えない態度で、「自分は悪くない。自分の仕事を誠実にしているだけ」と考えています。両親をちらりと見ながらも、無視して律法学者たちとの論争をイエスは続けます。
母親のマリアは、躾の一環として叱ります。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していていたのです」(48節)。まずは一言謝りなさいという気持ちがよく出ています。マリアの言うのももっともです。
この言葉に対するイエスの返答も、両親にとってはさっぱり意味がわからない言葉でした。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(49節)。ヘブライ語で神殿のことを「主の家(ベート・ヤハウェ)」と言います。だから、「自分の父の家にいる」ということは、神を自分の父親とみなしているということです。この言葉は、ヨセフの心を傷つける内容でもあります。「イエスの本当の父親は、ヨセフではなく神である」ともとれる内容だからです。
しかしより重要なのは、この言葉が、神と自分を同一視しているというところにあります。「自分の父は神」ということは「自分は神の子である」という意味です。イエスが死刑判決を受けた裁判で、判事役の祭司たち・律法学者たちはみな「では、お前は神の子なのか」と問い詰めました。その尋問に対してイエスは否定しませんでした。すると死刑が確定しました。神への冒涜と考えられたからです。ルカは、イエスの処刑理由を予告しています。
イエスは神殿という「自分の父の家」は、「祈りの家」と呼ばれるべきだと考えています。にもかかわらず、神殿の境内は商売の場所となっていました。公正な商売ならばまだしも、貧しい人をさらに苦しめる宗教的な理由付けによる搾取が横行していました。たとえば両替商です。「ローマの通貨をそのまま献金してはならない、宗教的に汚れているのでユダヤの通貨に替えてからでなくては献金できない」というルールを律法学者がつくりました。その手数料が商売になるわけです。神殿は利権がうごめく場所でした。権力をもつ祭司長たち神殿貴族が、都合の良い法解釈をする律法学者たちとともに、商売する者たちへの場所代をとることでも潤っていました。
イエスは神殿の境内の商売を強制的に止めさせた後(宮清め)、その場所で毎日論争をしました。公開討論会の論争相手は主にサドカイ派の祭司たちとファリサイ派、律法学者たちです。民衆は喜んでイエスの言葉を聞き、祭司長・律法学者たちはイエスを殺そうと考えます(19章45-48節)。イエスの活動の中心には、神の義を教えることがあります。この世界の不正をあばき、力を濫用している者たちを批判するという仕事です。それは主にエルサレム神殿の境内で行われました。イエスの自意識は、「自分の言動は神のもとにある」というものです。49節の原文は、「自分の父の事柄のうちにいる」です。「家」という単語はありません。場所的な意味だけでなく、神から与えられた使命のもとにいるという意味です。その結果として、権力者たちに「神殿冒涜罪」という罪をかぶせられ殺されたのです(ヨハネ2章19節・マルコ14章58節)。
今日の箇所でイエスが、学者たちと対話をしていること、また聞いている人々がイエスを評価していることは、十字架で殺される数日前の「宮清め」とそれに引き続く論争の予告です。だから少年イエスの質問の内容は利権の構造や、支配/被支配の仕組みにメスを入れるものであったかもしれません(46節)。
ガリラヤのナザレから一家は歩いてきます。宗教的に劣っているとみなされていたサマリア人居住地を避けて、大回りしてエルサレムに行きます。両親がサマリア人を軽蔑している態度を日常的にイエスは見ています。大回りをするものだから余計に数多くの関所(収税所)で、通行税が取り立てられます。ヨセフが自分たちの持っているローマ帝国の貨幣で支払っているのを、イエスは毎年見ています。その際にヨセフが嫌そうな顔で徴税人に支払っているのも見ています。「ローマ人と接触する徴税人と触れると宗教的に汚れる」という律法解釈が流布されているので、宗教的な理由に生真面目に従うヨセフは、徴税人差別を露骨に見せながらなるべく徴税人に触れないように通行税を支払うのです。神殿に来るとそのローマ貨幣をユダヤ貨幣に両替しなくてはなりません。真面目なヨセフは宗教的な理由がついているものに無批判で従いますから、手数料がどんなに高額でも上機嫌で支払います。この態度もイエスは見ています。ローマの貨幣をめぐってユダヤ人同士が対立し、ローマの貨幣を用いてユダヤ人の中で金持ちが得をしています。貧しいユダヤ人がサマリア人に優越感を持ち、日常の苦労の憂さ晴らしをしています。敬虔で真面目な父親は、真面目に人を職業で差別し、喜んで搾取されています。
「律法にはローマの貨幣について何が書いてあるのか。エルサレムの律法学者たちはそれをどう読むのか」と、少年イエスが疑問に思うこともあったでしょう。ローマの貨幣には皇帝の横顔が浮き彫りされています。「皇帝について律法には何が書いてあるのか、神は皇帝をも創り・所有しているのか」「サマリア人や徴税人は劣った/汚れた人間か」などの問いもありえます。古代人の十二歳はほとんど大人です。ちなみに現代のユダヤ人は十三歳で律法朗読奉仕者に組み入れられますから、十三歳が「宗教的な意味での成年年齢」です。だから、イエスが律法についてこの時点で詳しくても、そんなに驚くことではありません。周りの大人たちが驚いたのは、イエスの質問や意見の内容でありましょう(47節)。宗教を悪用した金儲けの仕組みに対する批判、神の創ったいのちの平等思想、つまり「知恵」(52節)こそ、イエスを死刑においやったものです。
ルカによれば、イエスの知恵は毎年の巡礼で年齢と一緒に備わっていったようです(52節。直訳「神と人のもとにある恵みによって、イエスは知恵と年齢が進んだ)。十二歳までに蓄積された知恵が「迷子」事件で開花し、二十代後半までに蓄積された知恵が、神の国運動として実を結んだのでしょう。ルカの描く1-2章のガリラヤ地方・ユダヤ地方往復の旅は、「神の知恵である十字架の言葉」(Ⅰコリント1章24節)を身に付ける方法を教えています。神の知恵とは力の濫用を批判する言葉です。そして、力を奪われている人に「生きる力」を注ぐ言葉です。一人でも多くの人が、知恵の言葉を身につければ、世界はもっとすばらしくなると信じます。この世は、権力におもねる言葉や弱い人を叩く言葉に満ちています。それらが戦争や差別を下支えするのです。
今日の小さな生き方の提案は、「積み重ねの効果を信じる」ということです。イエスでさえ年々知恵が磨かれたのです。イエスのように人生の旅をする中で疑問を大事にし、聖書に疑問をぶつけましょう。そして力ある者には批判、力奪われている者には優しさを積み重ねていきましょう。