主は先立って進み 出エジプト記13章11-22節 2015年8月2日礼拝説教

いよいよエジプトからの脱出の場面です。出エジプトという救いはイエス・キリストの十字架と復活による救いの原型です。前半部分(11-16節)を十字架と重ね合わせ、後半部分(17-22節)を復活と重ね合わせて考えます。

救いというのは何か。「ただでいのちをいただいた」ということを知ることです。友人にDavid Whitakerというアメリカ人が居ます。彼は生まれつき心臓が弱く、赤ん坊の時に手術をしました。その甲斐あって奇跡的に生きながらえることができました。現在の彼はレスリングで鍛えたムキムキマッチョです。

デイビドさんはとても良い人です。他人への親切を爽やかにやってのけます。常日頃、「与えられたいのちだから、神さまに感謝して精一杯より良く生きたい。だから親切は苦ではない」と言っています。彼は自分の命が自分の努力以外のところから与えられていることをよく知っています。

同じ状況でも生きる人と死ぬ人がいます。震災の時にも爆撃の時にも、「あの人ではなくなぜわたしが生きているのか」が深刻な問いです。ミリアム・アロン・モーセのきょうだいにとっても同じです。すべてのヘブライ人にとっても同じです。生き延びた人々はある種の負い目を持ちながら、「与えられたいのちを精一杯生きよう」と思うものです。

イエス・キリストの十字架への道のりもそうではないでしょうか。誕生の時にベツレヘムの二歳以下の男子は皆殺しに遭いました(マタイ2章)。そのことを負い目に思いながら、与えられたいのちを精一杯神に感謝して、神に従おうとして十字架へと向かったのだと思います。

わたしたちから見てキリストの十字架は2000年前の過去の出来事です。ナザレのイエスが処刑され命を奪われたことを、信者は世界中の命の身代金・贖い代・代価と考えます。すでに行われたのでわたしたちには何の努力も要りません。ただ、その代価によって自分は死ななくて良いのだ、そのまま生きて良いのだということを知るだけのことです。すべての人は無条件に赦されています。

エジプトを出る時、主はエジプト中の初子を殺しました。しかし、イスラエルの初子だけは過ぎ越しました(15節)。本当は死ななくてはいけない命が活かされた時、感謝して精一杯より良く生きたいと願うものです。イスラエル人は、自分たちや家畜に初子が生まれる時、おびただしい犠牲があって救われたということに感謝をし、それを記念して贖います。ろばや人間の初子の代わりに小羊を殺します(13節)。キリスト者はただ一度神の子・神の小羊が支払った犠牲に感謝をします。それを記念して礼拝を捧げます。

ただしどうでしょうか。神が神の子をこの世界に送って見殺しにして犠牲とするということは、あまりにも残酷ではないでしょうか。贖罪はキリスト教の信仰の中心です。しかし素朴な問いを生む教えです。「子殺しをする神をどうして信じられるのか」という疑念です。アブラハムのイサク殺しを思いとどまらせた神が、なぜ我が子を殺すのでしょうか(創世記22章)。

有名なMartin Luther King Jr.牧師の父親も牧師でした(Ebenezer教会)。息子の暗殺後、葬式の弔問客に向かって、父キング牧師は言ったそうです。「ここにわたしのイサクが居る」。これはさきほどの素朴な問いに対する一つの答えです。父キング牧師は決して息子の死を望んではいませんでした。しかし彼は「非暴力抵抗運動やベトナム反戦運動をすれば息子は殺されるかもしれない」ということは知っていました。知っていたけれども、息子を止めることはしませんでした。父親も人種差別反対を説教で語っていたのです。

十字架の贖罪には初子であるイエスの意思も深く関わっています。死を覚悟してエルサレムに向かい正義を実現したのは、イエスの志によるものです。それを止めないという意味で、神は初子を贖いの小羊として世界に捧げました。わたしたちは十字架の贖罪を神が初子を殺したとだけ見るのではなく、神の子の正義・愛の頂点と見る必要があります。だから、十字架で捧げられ与えられた命に感謝する者は、「あのイエスのように生きよう」という応答に導かれるのです。罪を取り去る方の前で、罪を単純に肯定することができなくなります。こうして、わたしたちはイエス・キリストへの負い目を負いながら、感謝をしつつ悔い改めて、イエスにならう、神に応える生き方に押し出されます。

神に応える生き方とは「奴隷の家」から出る生き方です(14節)。支配することと支配されることという、歪んだ関係性から脱出することです。「貴族あれば賎族あり」。奴隷のあるところにファラオがいます。人を思いのままにしたいという罪、自分の身を守るために支配されたがる罪/支配されることを認める罪、それがエジプトのピラミッド型社会です。そうではなく、神を中心においてその周りに等距離で座る交わりこそ、イエス・キリストのつくられた神の国です(マルコ3章31-35節)。

後半部分(17-22節)にはイスラエルの人々が雲の柱・火の柱に導かれながらエジプトを出て行く様子が描かれています。ここには復活のイエスに導かれる教会の姿、信者ひとりひとりの小さな生き方が示されています。

十字架で殺された方は三日目に神によってよみがえらされた方でもあります。そして茫然自失とした弟子たちよりも先にガリラヤに向かった方です(マルコ16章7節、ヨハネ21章)。十字架だけではいのちは与えられません。復活された方が、無条件に罪を赦しいのちを配ることができます(ヨハネ20章22節)。そして、過去の十字架だけを見上げても立ち上がり未来に向かう力は与えられません。わたしたちよりも先に未来に向かう方を、前方に見ることによって教会は前に進むことができます。

十字架と復活の出来事と同じことが出エジプトでも起こっています。過ぎ越し(十字架)だけでは足りません。実際にエジプトを出なくてはいけないし(復活)、どの方向に出て行くのかが示されなくてはいけません(信者の日常・教会の歩み)。a過ぎ越し⇒b出エジプト⇒ c荒野の40年のイスラエルの歩み⇒d入パレスチナは、それぞれa’十字架⇒b’復活⇒c’聖霊降臨から始まる教会の歩み⇒d’世の終わりの贖いの完成に重なります。

神はイスラエルの民が「戦争を見ること」を回避させます(17節)。エジプト軍を見たら人々は「奴隷の家に戻ったほうがましだ」と考えるからです。人は武力による威嚇に弱いものです。この「迂回」(18節)は興味深い導きです。「軍隊が攻めてきたらどうするのか」という問いに対する聖書的答えは「逃げろ」です。個別的自衛権も使わず・暴力的抵抗もせずに、戦闘の現場から逃げること、威嚇も含む武力を使う国家(他国であれ自国であれ)にはさっさと降伏することです。しかし前へと迂回して逃げるのです。暴力的な国家には非暴力抵抗運動を国際的な連帯の輪の中で行えば良いということです。神は迂回路を示されます。その迂回は軍隊に頼る国家を国際的に包囲します。

「モーセはヨセフの骨を携えていた」(19節。創世記50章24節参照)。このことも示唆に富んでいます。未来へと歩み出す群れは、過去のことも忘れないで覚え続ける群れです。ヨセフはイスラエルの先祖であり、イスラエルがエジプトに滞在する理由をつくった人物です(創世記37-50章)。ヨセフは政治家として最大に権力を利用して多くの人々と自分の家族を救いました。その彼でさえも奴隷の家であるエジプト社会に対して違和感や批判精神を持っていました。「骨をパレスチナに携えそこに埋骨せよ」というヨセフの遺言の真意は彼の持つ違和感や批判精神にあるのでしょう。モーセとイスラエルの人々は誠実に遺言を守ります(ヨシュア記24章32節参照)。

これは荒野の40年間、イスラエルの民がヨセフの骨と移動していたことを意味します。ヨセフの生き様と死に様を記念して、彼ら彼女らは神を礼拝しながら移動していました。国家の仕事は権力を用いて多くの民を救うことです。しかしその国家は悪魔的に権力を濫用し、自国と他国を破滅に導くことがありえます。教会は歴史を直視する群れです。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目(ヴァイツゼッカー西独首相)」だからです。大日本帝国が侵略戦争を仕掛ける時に、必ず「隣国の脅威」が煽られ「愛国心」が強要されました。教会もその侵略戦争に協力しました。どんなに人気が高い総理大臣にもわたしたちは違和感や批判精神を持たなくてはいけません。それが歴史の教訓です。

昼間は雲の柱、夜は火の柱がイスラエルの人々を導いたとあります。火の柱というのは、おそらく密雲の中に光があるような状態でしょう(19章16節)。この表現は、「見えざる神がそこにおられる」ということを表しています(同9節)。昼も夜もおられるということは、寝ずの番をしてずっと共にいるということです。さらに、「先立って進み」(13章21節)・「先頭」(22節)とある言葉は「前に」という前置詞です。つまり、かなり近い感じです。神と面と向かう時にも使う前置詞だからです。少しだけ前を共に歩き続ける神の姿。これが復活のイエス・キリストの姿です。

エマオ途上で弟子たちに現れた復活の主は、「あ、イエスだ」とわかった時に見えなくなりました(ルカ24章31節)。見えないのだけれども、わたしたちの少しだけ前を歩いている方がわたしたちを導きます。その関係は羊と羊飼いに喩えられます(ヨハネ9章7-21節)。何とも牧歌的なのんびりとした喩えです。そこに価値があります。教会の中でも戦争を見てはいけないのです。外から見ると牧歌的、羊からするとのんびりできるのですが、羊飼いは羊のために寝ずの番をし、外敵からも守り、迷った羊のために捜索し助け出し、羊の世話のためならば何でもします。利他的な生き方の喩えです。

ガリラヤで弟子たちと朝食をとった復活の主は、三度も自分を否定したペトロの罪を赦し、同じく三度「わたしの羊を世話しなさい/飼いなさい」と命じました(ヨハネ21章15-19節)。三度を対応させたことで分かるように、罪の赦しは新しい生き方と結びつきます。「あなたはそのままで良い」というだけでは、人は新しい歩みを始めることはできません。「わたしの後ろをわたしの真似をして隣人を世話するようにしなさい」と言われた時に、支配と支配されることという関係から解き放たれます。強制的な奴隷労働ではなく、自ら他人の足を洗い、食卓の給仕をし、倒れている人の隣人となることができます。それは羊飼いのような利他的な生き方です。

雲の柱・火の柱はこの後、荒野へとイスラエルの民を導きます。エジプトよりも過酷な環境です。「安全保障環境」は劇的に変化します。エジプト軍という当時の世界最強の軍隊は守ってくれません。復活のイエスもまた弟子たちに安全な道を示しませんでした。教会は、ガリラヤからサマリア、ローマ帝国圏内へ、さらにエチオピア、シリア、インド、中国まで、つまりユダヤ教の素養すらも無い人々と福音を分かち合っていったのです。ローマ帝国と軍隊からの迫害もありましたが、その度に「前へ迂回」していったわけです。

救われるとは復活のイエスを少し前において共に歩くこと、利他的に生きる毎日です。そして様々な困難を「前へ迂回し克服」する明るい暮らしです。