哀歌は「エレミヤ哀歌」とも呼ばれます。ギリシャ語訳以来、エレミヤ書の後ろに置かれる伝統が定着しているのも、哀歌の著者がエレミヤであるという推測に基づくものです。著者についてはっきりとしたことを言うことはできません。おそらく個人ではなく集団で作成された詩集でしょう。アルファベット詩という技巧が凝らされているからです。エレミヤと同時代の人々であること、そしてエレミヤと同じく首都エルサレム包囲戦を経験した人物であることは確実です。前587年の破局、「バビロン捕囚」という出来事です。この出来事をどのように考えるかということについて、哀歌は重要な貢献をしました。もしも哀歌がなければ、後の旧約聖書や正典宗教、つまり「神の言葉を中心にする神の民」は生まれなかったことでしょう。哀歌は重要な気づきを与え、その重要性はキリスト教会においても古びていません。
その気づきとは、神が信徒の「敵」(5節)のようになることがあるという事実です。神が神の民を滅ぼした。遡って預言者エレミヤの警告が正しかったと民は理解します。エレミヤは神がバビロンを用いてダビデ王朝を滅ぼすと主張していました。エレミヤ書とその同系列の預言書群(ホセア、ミカ、イザヤ、エゼキエル)が権威を持ち聖書に加わっていきます。本日の箇所は哀歌の中核・最古の部分であり、神の民再興の第一歩です。
1 ああ何と、彼は彼の怒りにおいてシオンの娘を曇らせる。私の主人はイスラエルの輝き(を)天より地(へ)投げた。そして彼は彼の両足の足台(を)思い出さなかった、彼の怒りの日に。 2 私の主人は呑み込んだ。彼はヤコブの居住地の全てを憐れまなかった。彼は彼の激怒でもってユダの娘の砦を投げ落とした。彼はその地に触れた。彼は王国とその君主たちを汚した。
「ああ何と」(へブライ語「エーカー」)は、哀歌1章1節にもあり、書名ともなっています。最初の単語を書名とする伝統があるからです(例えば創世記も)。だからこの書は「哀しい歌」というよりも「嘆きの歌」と言えます。そして嘆きは信仰において否定的なものではありません。詩編の半分は嘆きです。嘆きは信仰の重要な要素です。敬虔な信徒ほど嘆くものです。なぜならば敬虔な信徒は、神が常に共にいることを信じているからです。また敬虔な信徒は、神がすべての不幸の原因であることを信仰によって知っているからです。神は信徒を輝かせることができます。人生の曇り空は神が輝きを投げ捨てたことにあります(1節)。そこで信徒は神に嘆くのです。「ああ何と」。
神は怒りのあまり、神の足台と称えられる「地」(1節。マタイ5章25節)、すなわち現実世界のことを忘れ、そこに住むわたしたち一人ひとりのことを忘れます。神は少々感情的に過ぎるのではないでしょうか。一体何故・誰に・何について怒っているのでしょうか。もっぱら神はイスラエルに向かって怒ります。何度警告してもたった一つの約束も守り切れない「シオンの娘」に向かって神は激怒します。善悪の知識の実を食べ、神のようになることを目指すこと。つまり思い上がることだけはしてはいけません。神に向き合う存在として、謙遜にイスラエルは歩むべき、つまり預言者たちの警告に謙虚に耳を傾けるべきでした。しかし、王も民も節目で岐路の選択を間違え、自己肥大の道を選びました。武力への過信、軍事同盟への過信、隣人への搾取。その結果が武力によって滅ぼされることになります。繰り返される「火」「灼熱」「火炎」は、戦闘によって焼かれた首都エルサレムの状況を描いています。この火が神の怒りと呼応しています。
神は顔を真っ赤にして、鼻(「怒り」アフの直訳は「鼻」)を鳴らして怒ります。「あなたはどこにいるのか」「あなたは何をしたのか」。今日の箇所には身体的な表現があふれています。神の鼻、足、右手、目、手も出てきます。神は呑み込んだり、投げたり、触れたりします。それは信徒が神と面と向き合う存在であることを示しています。
3 彼は怒りの灼熱でイスラエルの角の全てを切り倒した。彼は彼の右手を敵の面前から後ろに戻した。そして彼は火のようにヤコブの中で燃えた。火炎は周囲をなめた。 4 彼の弓は敵のように曲がった。彼の右手は仇のように立ち続けている。そして彼は両目の中で喜ぶ者の全てを殺した。シオンの娘の天幕の中へ彼は彼の憤怒(を)火のように注いだ。 5 私の主人は敵のようになった。彼はイスラエルを呑み込んだ。彼女の王宮をみな彼は呑み込んだ。彼は彼女の砦を砕いた。そして彼はユダの娘の中で呻きと嘆きを増やした。
ヤコブ/イスラエルの四男ユダの子孫、ダビデが創始した王朝は、ダビデの血統の続く限り永遠であるという約束がありました(サムエル記下7章16節。「シオン契約」)。旧約聖書の二大契約の一つです。神はこの契約を破棄します。それほどにイスラエルの約束違反がはなはだしかったからです。神の民、神の民の王は、常に神の意思を尋ねて柔和に腰をかがめて歩むべきでした。しかし民も代々の王たちも神の意思を離れ、神と共に歩まず、自ら隣人にならず、自分たちのしたいことしか考えなかったのです。
「彼〔神〕は王国とその君主たちを汚し」(2節)、「イスラエル/王宮を呑み込んだ」(5節)のです。「角」(3節)は権力powerの象徴ですから王権を切り落としたということを意味します。神の怒りの源は、神の性質にも関係します。神はまっすぐで正しい正義の神です。「右手」(3・4節。「ヤミン」)には「まっすぐ」という意味があります。Right(右)はRight(正義/権利)です。つまり神の怒りは、正確に言えば神の「憤り」「義憤」です。
およそ正義のないところに憤りは存在しません。癇癪をもつ子どもは、何らかの自分が持っている正義に基づいて怒っているものです。もちろんその怒りの表現が、隣人を傷つけるものであったり、感情的過ぎたり、暴力的である場合には肯定しづらいものです。正にこの場面の神の怒りは、現代のわたしたちの目から見ると、肯定しづらいものです。しかし古代のイスラエルの人々にとっては分かりやすいものでした。
神は怒る方。なぜなら神は正義の方だから。イスラエルはこの真理を、自分たちに向けました。ここに健全な気づきがあります。正義の神を味方につけてイスラエルの敵や仇に向かって正義の戦争をするのではなく、不正義である自分たちを滅ぼす正義の神がいるということに、バビロン捕囚を経てイスラエルは初めて心底気づいたのです。神は「敵のように」(4・5節)なることができる方、信徒が畏れるべき方、信徒に侮られない方です。
詩人は「ヤハウェ」(6節。聖書朗読の際には「アドナイ」と読む)という神の固有名をできるだけ避けています。7節の「ヤハウェの家〔神殿〕」を除くと、6節に一回だけです。代わりに「私の主人」(アドナイ)という単語を多用しています(1・2・5・7節)。ここに健全な距離感をみて取ることができます。「ヤハウェ」という名前をみだりに唱えてはいけない理由は、神が「私の主人」であることを忘れないためです。この主従関係を忘れる時に、神は速やかにわたしたちを批判し警告します。
神の民の真ん中にヤハウェは宿る方です。ヤハウェはおのれの民の神です。イスラエルはヤハウェ神の民です。では民と水平の関係で神は居るのでしょうか。個々人の信仰においては神と肩を組んだり(イエス・キリスト)、神を内に迎えたり(聖霊)という考え方は、良い感覚だと思います。しかし民としてはどうでしょう。教会の交わりにおいては注意が必要です。人は神ではないから人を崇めるべきではありません。また自分たちの内だけに神がいるという驕りも避けるべきです。距離感、主従関係を間違えてはいけないのです。
「賛美の上にヤハウェが座す」という考え方が重要です。信仰共同体が会衆賛美をする時に、賛美という座布団が敷かれ、ワンクッション置いた上に神が居られます。「私の主人」「イエスは主(キュリオス)なり」という賛美と告白こそが、インマヌエル(われらと共なる神)の信仰を育てます。
6 そして彼はその園のように彼の仮庵に暴力を加えた。彼は彼の会見の幕屋を砕いた。ヤハウェはシオンにおいて祝祭と安息日を忘れさせた。そして彼は彼の怒りの憤りにおいて王と祭司を斥けた。 7 私の主人は彼の祭壇を拒否した。彼は彼の聖所を棄てた。彼は敵の手の中に渡した、彼女の王宮の壁(を)。彼らは声をヤハウェの家〔神殿〕の中に与えた、祝祭の日のように。
6・7節は、バビロニア軍が「ヤハウェの家」と呼ばれるエルサレム神殿に侵入し、歓声の声を上げてその場所を蹂躙した情景を描いています。6節「その園のように」は意味が採りにくいのでギリシャ語訳にならって「ぶどうの木のように」とする翻訳が多いものです。しかし、「その園」をエデンの園と理解すればどうでしょうか。神と信徒が出会う場所である「(エデンの)園」「仮庵」「会見の幕屋」(以上6節)や、「祭壇」「聖所」「神殿」(以上7節)を、神が取り壊したという主張に採るのです。つまり礼拝施設です。神が破壊したのは、王・王権(「王宮」7節)だけではなく、祭司・祭儀・安息日・祝祭日も含まれます。
6・7節だけに「ヤハウェ」という固有名があえて使われているのですから、宗教施設・宗教制度・宗教的暦の廃棄に詩の力点があることは確実です。この主張は、古代西アジア世界の常識をひっくり返すものでした。当時は戦勝国の神が、敗戦国の神を殺したと考えられていたからです。戦利品として、敗戦国の神の像が戦勝国の王宮に飾られたりしていたのです。バビロニアの民族神マルドゥクがイスラエルの民族神ヤハウェを殺したと、哀歌を編纂した人々は考えませんでした。そのような不信仰な嘆きではないのです。
ヤハウェは生きています(列王記上17章1節)。生けるヤハウェが正義に基づいて、罪深い民を懲らしめただけです。おのれの民を滅ぼしたのではなく、約束の地(その園)から追い出し、世襲の王と祭司を斥け、祭儀のための場所を破壊し、祭儀のための暦を作り直すのです。それがバビロン捕囚という出来事の意味です。神殿がなくても祭司がいなくても犠牲獣が調達できなくても霊なる神を礼拝する信仰共同体としてイスラエルはバビロンの地で再興します。会堂で五書と預言書を朗読する礼拝です。
今日の小さな生き方の提案は、嘆きと賛美の上に主イエス・キリストが座っておられるということを信じることです。嘆きはわたしたちの小ささ・悪さを認めるという意味において賛美の類義語です。賛美が神の大きさ・正しさを認める行為だからです。信仰は、神に嘆き神をほめたたえることにおいて深まり高まります。「私の主よ、罪びとのわたしをお赦しください」「主よ、いつまでなのでしょうか」という嘆きと、「まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方」というほめたたえは、表裏一体です。
自己肥大をやめ、謙虚に神と共に歩きましょう。謙遜とは自分に絶望したり卑下したりすることではありません。神に希望を置き、どんな時も等身大の自分を着実に生き抜くことです。実に深く嘆く人にのみ、また高く賛美する人にのみ、そのような生き方が恵みとして与えられます。