女性の誓願 民数記30章2-17節 2025年11月16日礼拝説教

【はじめに】

創世記2章18-25節は、結婚における平等を謳っています。男性/夫(イシュ)と女性/妻(イシャー)は互いに向き合う存在であるべきです。本日の箇所もどこに救いがあるのか見つけにくい聖句ですが、ヨハネ福音書8章の「姦淫の現場を取り押さえられた女性」の物語にも助けを借りて福音を聞き取っていきたいと思います。

 

2 そしてモーセはイスラエルの息子たちに属する諸部族の頭たちに向かって語った。曰く、これはヤハウェが命じたその言葉。 3 男性〔イシュ。以下同じ〕が、仮にヤハウェに誓願を誓願した場合、あるいは彼の全存在に関した拘束を拘束するために誓約を誓約した場合、彼は彼の言葉を汚すべきではない。彼の口から出て行った全てのように彼は行なう。 4 そして女性〔イシャー。以下同じ〕が、仮に彼女の若いうちに彼女の父の家において、ヤハウェに誓願を誓願し、彼女が拘束を拘束した場合、 5 また、彼女の父は彼女の誓願と、彼女の全存在に関して彼女が拘束した彼女の拘束を聞いたならば、かつ、彼女の父が彼女に黙ったならば、彼女の誓願の全ては立ったのだ。そして彼女が彼女の全存在に関して拘束した拘束は立つ。 6 そしてもしも彼女の父が彼の聞いた日において彼女を妨げたならば、彼女の諸誓願の全てと、彼女の全存在に関して彼女が拘束した、彼女の諸拘束は立たない。しかしヤハウェは彼女を赦す。なぜなら彼女の父が彼女を妨げたからである。

 

【父の家】

イシュの誓願・誓約(自らする行為)・拘束(自らしない行為)はそのまま成立します。彼は単純に自分の言葉通りに行えば良いとされます(3節)。他方、イシャーの誓願・誓約・拘束については異なります。父や夫といったイシュの干渉がありえるのです。4-6節は、女性が結婚する前に「父の家」(4節。17節も)の中にいる時期についての定めです。この時期の女性を、「彼女の父」(5-6節。4回)というイシュが支配しています。既婚者ではない娘は、父の黙認がなければしたい行為としたくない行為を決めることができません。父が妨げる場合、彼女と神との誓約は成立しないのです(5-6節)。著しい不平等です。

 

7 そしてもしも彼女が男性/夫に属しに属することとなったならば、彼女に関する彼女の諸誓願、あるいは彼女の全存在に関して彼女が拘束した、彼女の両唇の軽口(も) 8 彼女の男性/夫は聞いたならば、かつ、彼の聞いた日において彼が彼女に黙ったならば、彼女の諸誓願は立ったのだ。そして彼女の全存在に関して拘束した彼女の諸拘束は立つ。 9 そしてもしも聞いた日において彼女の男性/夫が彼女を妨げるならば、彼女に関する彼女の誓願を、また、彼女の全存在に関して彼女が拘束した、彼女の両唇の軽口を、彼は取り消しうる。しかしヤハウェは彼女を赦す。 

 

【女性が結婚前に行った誓約が結婚後にどのようになるのか】

女性が結婚することを「男性/夫に属しに属すること」(7節)と強く表現しています。結婚は女性の「所有者」の変更と考えられていたのです。父というイシュから、夫というイシュへの変更です。イシュという言葉に「夫」という意味もあるし、イシャーという言葉に「妻」という意味もあります。父の黙認によって成立した娘の誓約は、夫となったイシュがそれを聞いて黙認・追認しなければ成立しません(9節)。彼女が「彼の女性/妻」(17節)だからです。家父長制と言います。妻は夫に所有されているので、自らの意思を夫に取り消されうる存在です。逆の取り消しが無いので不公平です。

両唇の軽口」(7・9節)は、「口先で口走った言葉」「肚から出ていない言葉」という意味合いでしょう。この表現には女性蔑視が含まれています。妻の意思表示というものはしばしば不十分で、女性というものは軽口ばかりを叩いているのだという偏見です。この偏見は、男性の女性支配を強化します。

 

10 そして寡婦および離縁されている女性の誓願、彼女の全存在に関して拘束したことの全ては、彼女に関して立つ。 11 そしてもしも彼女の男性/夫の家(で)彼女が誓願した場合、あるいは誓約において彼女の全存在に関する拘束を彼女が拘束した(ならば)、 12 かつ、彼女の男性/夫が聞いたならば、かつ、彼が彼女に黙ったならば、かつ、彼が彼女を妨げなかったならば、彼女の諸誓願の全ては立つのだ。そして彼女の全存在に関して彼女が拘束した拘束の全ては立つ。 13 そしてもしも彼女の男性/夫が、彼の聞いた日において、それらを取り消しに取り消すのならば、彼女の諸誓願に属する彼女の両唇の由来の全て、および彼女の全存在の拘束に属する(全ては)立たない。彼女の男性/夫はそれらを取り消したのだ。しかしヤハウェは彼女を赦す。 

 

【対等・自由な存在】

これらの女性に対する不平等・不自由な定めの中で、10節は異彩を放っています。「そして寡婦および離縁されている女性の誓願、彼女の全存在に関して拘束したことの全ては、彼女に関して立つ」(10節)。既婚者である女性が配偶者を失う場合に初めて、女性は男性と同じ地位に立ちます。もちろん二つの点で課題があります。女性は結婚しなければ一人前にならないという考え方が一つの課題(結婚という要件は不要ではないか)。そしてもう一つの課題は、離縁を決める権限が男性にのみあることです(クリスマス物語のヨセフの離縁という決断は、彼ひとりで決めることができた)。

課題があるとはいえ、この一文はとても貴重な内容を含んでいます。古代にあって、時代に一歩先んじているからです。寡婦はただの保護の対象というだけではありません。対等の人間です。離縁の理由など問う必要がありません。人間は自由なのです。聖書を丁寧に読み、差別性の闇の中に細い一条の光(先見性)を見出す作業が必要です。

 

【しかしヤハウェは彼女を赦す】

11-13節は、結婚後に「夫の家」(11節)で妻が新たに何らかの誓願・誓約・拘束をする場合の定めです。4-6節とほぼ同じです。父というイシュが「彼女の男性/夫」(11-13節)というイシュに替わっただけのことです。

さて、今までの区切り方は「しかしヤハウェは彼女を赦す」(6・9・13節)という一文を目印にしておりました。三つの区切りの締めくくりに当たると考えられるからです。ここにも闇の中の一条の光を見ます。それは神の眼差しです。自分の意思を否定されたり捻じ曲げられたり取り消されたりする人々に対して、神は無条件の赦しをのべておられます。神は存在を小さくされている人の神です。「あなたは悪くない」と、人生の節目に当たって必ず語りかける方に気づくことがわたしたちに求められています。

イエスという名前は「ヤハウェは救う」という意味を持ちます。ヤハウェの救いはイエス・キリストにおいて示されました。旧新約聖書一貫した救いです。それは、わたしたちの自己卑下や被差別経験にかかわらず、神が無条件にわたしたちの全存在を肯定し承認しているという福音を受け容れることです。

 

14 誓願の全て、および全存在を苦しめるための拘束の誓約の全て(は)、彼女の男性/夫がそれを立たせる。そして彼女の男性/夫はそれを取り消す。 15 そしてもしも彼女の男性/夫が彼女に日から日に向かって黙りに黙ったならば、彼は彼女の諸誓願の全てを立たせたのだ。あるいは彼女に関する彼女の諸拘束の全てを(立たせたのだ)。彼はそれらを立たせた。なぜなら彼の聞いた日において彼が彼女に黙ったからだ。 16 そしてもしも彼の聞いた後に彼がそれらを取り消しに取り消したならば、彼は彼女の罪/罰を担うべきだ。 17 これらはヤハウェがモーセに命じた諸々の掟。男性/夫と彼の女性/妻との間の(諸々の掟)、彼女の父の家(での)彼女の若いうちにおける父と彼の娘との間の(諸々の掟)。

 

【聞いた日の後の取り消し】

今までは家父長による「女性の誓願を聞いた日における黙認もしくは妨害」が取り上げられていました(5-6節、8-9節、12-13節)。15節も同じです。しかし16節だけは、「夫が妻の誓願を知った後に取り消した場合」が記されています。黙認した日の後、後日夫の考えが変わったという事例です。この場合、「彼は彼女の罪/罰を担うべきだ」(16節)。「彼女の罪/罰」をサマリア五書やギリシャ語訳等は、「彼の罪/罰」としています。こちらの方が原文だった可能性があります。黙認後の取り消しという夫の行為が罪であり処罰の対象であるとする方がすっきりします。いったん認められた行為を勝手に認められなくなった妻に罪は無い、それだから当然に罰も無いのです。黙認後の取り消しを厳罰に処すということで、律法(「ヤハウェがモーセに命じた諸々の掟」17節)はある種の均衡を保とうとしています。気まぐれな夫の横暴までは認めない、これ以上の不平等を許さないという姿勢です。ここにも一条の光があります。それは神が正義を愛する神であるという救いです。神は公正・平等という正義を求める神です。

婚姻関係の外にいる女性に自由と平等がより強く保証されていること、小さくされている女性の全存在が承認されていること、男性の罪と罰も定められ均衡が図られていること、これらの光を「わたしへの福音」「わたしたちの社会への改善勧告」と受け止めたいと願います。

 

【今日の小さな生き方の提案】

イエスは「姦淫の現場」を取り押さえられ石打ちで私刑にされかかった女性を救い(罪の無い者が石を投げよ)、「わたしもあなたを罰さない」と彼女の全存在を承認しました(ヨハネ福音書8章)。「しかしヤハウェは彼女を赦す」を土台にした発言です。彼女は既婚者なのか否か、また既婚であっても配偶者がいたのか否か、あるいは非婚や同性婚を選んだ女性だったのか不明です。ただしイエスを殺そうという支配欲を持つ男性たちによって、彼女が(相手の男性は問われていない)利用され貶められ陥れられていたことは確実です。「力を濫用する者たちによる評価にかかわらず、あなたは悪くない」という福音を語るイエスが傍にいる、これが救いです。キリストだけは、小さなわたしの自由な意思と行動を黙認しています。無条件の赦しを信じましょう。