本日の箇所は農業と祭りの結びつきを示しています。ちょっと意外な気がします。イスラエルの礼拝は動物の犠牲が中心にあり、穀物などの耕作との結びつきは薄いように思えるからです。特にイスラエルは荒野を旅している最中なので、余計にイメージしにくいものです。
ただしイスラエルの礼拝の伝統は、羊の群れと移動する遊牧生活からだけでは説明ができないのも事実です。確かに羊は礼拝の際に犠牲獣となりました。この意味では、イスラエルの礼拝は遊牧生活と関係しています。しかし、「牛やろば」(12節)、特にろばは耕作のための家畜です。出エジプト記23章時点でイスラエルは荒野を旅していますが、「約束の地(カナン)」(現在のパレスチナ地域)においては定住して農業を営む生活が主流となります。今日の箇所は、約束の地での農業を中心とした生活を前提にし、そこでの祭の仕方を定めています。
わたしたち自身が農業と身近に接していないので、農業と礼拝との結びつきについて想像しにくいのですが、想像力を駆使して古代イスラエルの人々の喜び祝う姿を思い描きたいと思います。つまり収穫感謝祭としての礼拝というイメージです。日本の秋のお祭りと似ています。
考えるきっかけとなるのは、「他の神々の名を唱えてはならない」(13節後半)と、「あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」(19節後半)という不思議な定めです。ここには約束の地・カナンで行われていた土着の信仰との葛藤と受容が表れています。いわゆる「カナン宗教」と呼ばれるものです。
カナン宗教についての研究は20世紀初頭から本格化しました。1929年から始まるウガリト文書の発掘によって、この分野は急速に発展しました。聖書に描かれたカナン宗教(バアル、アシュトレトなどの神々。士師記2章11節以下など)は、主なる神を信じている「論敵」からの証言です。それに対してウガリト文書は、カナン宗教を信じている者たち自身の証言です。カナン宗教は五穀豊穣を祝い祈る礼拝儀式を基本にしています。一年の周期を、嵐(命をもたらす)の神バアルと、死の神モート(死の意)との争いによって区切っていきます。作物が実らない季節はバアルがモートに打ち負かされて死んでいる時期であり、収穫の季節はバアルが復活して命をもたらす時期と考えられます。
ウガリト文書の一文に、「子山羊をその母の乳で煮なさい」という言葉があります。19節後半と正反対の定めです。だから19節後半は、カナン宗教の儀式に対する抵抗としてあえて記されたのだということが推測されます。それとの関係で、13節後半にも「他の神々の名を思い出させてはならない(直訳)」と書き込まれたのでしょう。聖書の中には「モート」という神の名前は記されていません。完全に忘却・滅却させられたからでしょう。
今日の箇所は土着のカナン宗教との接触を表す証言です。その中で、受け容れなかった要素は、すでに申し上げた、いわゆる「親子丼」のような犠牲祭儀と神々への信仰です。そして、いけにえの血と酵母を入れたパンを同時にささげないことです(18節)。血が純粋なものの象徴、酵母が腐敗(発酵)を促す混じり物の象徴と考えられたからでしょう。しかし、受け容れなかった部分よりも、はるかに重要なものをイスラエルが受け容れていることにこそ、より一層の注意が必要です。
イスラエルには三大祭と言われるものがあります。「除酵祭」(15節)・「刈り入れの祭」(16節)・「取り入れの祭」(16節)です。もっと有名な名前で呼ぶと、「過越祭」「七週の祭(五旬節)」「仮庵祭」です。この三つの祭りを今でもユダヤ人は大切に守っています。キリスト教徒も、過越祭をイースターとして、七週の祭をペンテコステ(聖霊降臨日)として継承しました。過越祭は出エジプトの出来事の記念(15節。なお12-13章参照)、七週の祭はシナイ山で律法が与えられたことの記念、仮庵祭は荒野の苦しい旅の記念と、後に意味づけられました。全部出エジプト記に書いてあることがらです。
しかし、今日の箇所は、「この三つの祭がすべて収穫感謝を趣旨とする」と語ります。除酵祭は大麦の収穫の時期に酵母を入れないパンを食べるという祭です(3-4月)。刈り入れの祭は小麦の収穫の時期に、収穫の最上の初物を神に捧げるという祭です(5-6月)。取り入れの祭はぶどうやオリーブの収穫の時期に、収穫の最上の初物を神に捧げるという祭です(10月)。
五穀豊穣を祝い祈るという趣旨で徹底しています。つまり、イスラエルはカナン宗教の本質的な部分である、農業を土台とした収穫感謝祭というものを丸ごと受け容れているのです。それは収穫の時期で一年を区切るという周期を受け容れていることでもあります。ここに「信仰の土着化」と呼ばれるものの実態があります。
「収穫感謝という視点を礼拝に加えることは、自分たちの礼拝を豊かなものにする」という柔軟さがイスラエルの民にありました。なぜなら神はすべての命の創り主だからです(創世記1章)。また創り主は人間に農業を最初の仕事として与えておられるからです(同2章15節)。バアルとモートの争いという神話に基づくのではなく、唯一の神がすべての命の創り主であるという信仰に基づいて、イスラエルは収穫を与えてくださりわたしたちの命を保ってくださる神に感謝を捧げます。
土地から生み出される産物を祝うことは、動物祭儀よりも明るい要素を礼拝に入れることとなりました。動物犠牲の方が、植物の供物よりも湿っぽくなります。引け目が強くなり、内省を促す内容になりがちです。植物の収穫は天候に大きく左右されます。その分、天気を司る神への感謝が素直に言いやすくなります。収穫感謝の要素を含むことで礼拝の雰囲気が明るく開放的になります。
ここからイエスの食前の祈りが理解されます。成人男性だけで5000人の群衆にパンと魚を配る時も(マルコ6章41節)、除酵祭初日の晩餐の時も(同14章22節)、イエスは天を仰ぎ、神を賛美する祈りを捧げています。食べ物を与えてくださる命の創り主(アッバ)に対して、神の子イエスはあっけらかんと信頼しています。明るく開放的な態度を教えられます。
20世紀に全教会的に広がった「礼拝刷新運動」Liturgical Movementというものがあります。その中で、主の晩餐に収穫感謝の意味も含めるべきだという提案や、礼拝に喜びの祝祭という雰囲気を醸すべきだという提案がなされました。わたしたちの主の晩餐に収穫感謝の意味を含めている理由は、この全教会史的な大きな流れにあります。イエスに倣う態度でもあり、収穫感謝を積極的に採り入れたイスラエルに倣う態度でもあります。
天地創造の神への信仰が、さらなる展開を導きます。イスラエルもまた神話的な語りで、神が七日間かけて世界全体を創ったと記します。その記述に基づいて、「神が七日目に休んだことで天地創造が完成したように、自分たちも毎週七日目に農業を休むことが必要だ」とイスラエルの民は新たな伝統を創出します(12節。なお「第四戒」20章8-11節も参照)。カナン人たちは驚いたと思います。一年を収穫期ごとの祭で刻むことをイスラエルはカナン人から学びました。その一方で七日に一度休むという周期を史上初めて導入したのはイスラエルの民です。これを踏襲したのは後のキリスト教徒・イスラム教徒です。
安息日は人のために設けられました。労働条件を良くするための措置でした(12節)。神にならって牛・ろば・女奴隷の子・寄留者にも週休一日制。それによって、「元気を回復する」というのです。「元気を回復する」の別訳は「一息つく」(岩波訳)です。n-ph-shという綴りの動詞ですが、名詞ネフェシュは「いのち」「全存在」という意味です。天地創造が休みを含む七日で完成したように、人間や家畜のいのちも休みを含んだかたちで完全に維持されます。農業従事者に週休一日を確保することは、古代世界にあっては非常に珍しい仕組みです。一日休んだほうが、かえって次の週に良い仕事をするだろうという期待もあったことでしょう。
さらにイスラエルの民は七年に一度の「安息年」という伝統まで、農業の世界に持ち込みます。「七」という数字からの連想でしょう。土地も休んだ方が良いのではないか。なぜかといえば、土地自体が生き物を産み出すという労働に従事していると考えられていたからです(創世記1章24節)。
安息日と同じように土地にも安息年が必要です。七年目の休みを含む七年間で、土地は十全な働きをなすものです。休閑地をあえて設ける休耕農業は、土地の地力・地味を回復させることを旨としています。農業従事者だけでもなく、土地にも休みが必要とは、イスラエルという民はいったいどれだけ休みが好きな人々なのでしょうか。
そしてこの安息年の休閑地という仕組みは、労働すらできない「乏しい者」への福祉にもなり(11節。なお6節も参照)、野生の生物たちへの配慮にもなります。休閑地に自然に生えでた果物や穀物を、乏しい人も野生の動物たちも食べることが許可されていたからです。土地に対する安息年は、人に優しく環境にも優しい制度です。現代でもこのような仕組みが社会にあったら、ほのぼのと温かいだろうにと思います。
聖書信仰は真空パックで保存され伝えられたものではありません。歴史の中で形づくられたものです。異なる文化と絶えず接触しながら、その刺激を受けて受け容れたり拒絶したり、対話をしていく過程で作られているのです。この意味で「文明の衝突」などということはありえません。地球上の文明やさまざまな文化は同時代のものとして常に互いに刺激し合っているだけのことです。特に情報革命によって地球が狭くなっている今日、衝突を是認し煽るような言い方は慎むべきでしょう。それなりの葛藤を経て、適切な対話を通して、わたしたちはより良い解決を一つの地球上で目指していくべきです。
イスラエルはカナンから収穫感謝の喜びを受け容れ、自分たちの礼拝の中に喜びの要素を含めました。カナンはイスラエルから安息日・安息年という社会の仕組みを知りました。カナンはその時受け容れませんでしたが、週休一日制は徐々に広まり、今や週休二日制にまで発展しています。ユダヤ人たちが頑固に安息日を取ることによって、労働者全体の権利が拡大していったということです。
日本でキリスト教信仰を持つということはどういうことなのかを今日の箇所は示唆しています。過去の植民地主義キリスト教のように日本の文化と対立的になる必要はありません。教会の暦にも七五三が影響するのは当たり前です。キリスト者になったら仏式の葬儀でどうすれば良いのでしょうか。自分の良心が痛まない程度に周りに合わせれば良いでしょう。また仏教であれ良い要素があれば礼拝に取り込んでも構いません。うじうじと悩まないことが大切です。
その一方で日曜日にはあっけらかんと命の創り主に感謝をし、明るい雰囲気の礼拝を共にしましょう。じめっと内省的になるのではなく、他者と共に天を仰いで、パンとぶどう酒を感謝して受け取る、真の休みをここでとりましょう。