安息日はユダヤ人が会堂で礼拝をする日です。そしてルカ福音書・使徒言行録は、安息日に起こった出来事と、安息日の会堂礼拝は重視されています(4章16・31・38節、6章1・6節、13章13節。使徒言行録13章5・14・44節、14章1節、16章13節、17章1・10・17節、18章4・19・26節、19章8節)。ルカはイエスの活動と、初代教会の活動を重ね合わせています。そしてキリスト教がユダヤ教から生まれたことを明示しています。安息日(金曜の日没から土曜の日没まで)は日曜日にずれましたが、キリスト教は週に一度集まって礼拝をするという習慣を受け継いだのです。
もう一つルカ福音書が重視していることはファリサイ派との交流です。イエスに共感するファリサイ派の人々が一部いたことをルカは積極的に紹介します(7章36節、11章37節、13章31節、17章20節)。先週申し上げた通りです。この現象は、ルカの友人であるパウロが元々ファリサイ派だったことに原因があるように思います(フィリピ3章5節)。イエスの論敵であるファリサイ派の中にも心ある人々がいたと、ルカは言いたいわけです。
そしてファリサイ派との交流には、共に食事をする場面が多いという特徴があります。この現象は、教会が礼拝の中で食事をしていたということと関係があると思います(Ⅰコリント11章17-34節)。ユダヤ教の会堂礼拝の中では食事の儀式はありません。むしろ礼拝後にみなでご飯を食べるのです。本日の場面は正にそれです。ここには、ユダヤ教から別れて独自路線を始めたキリスト教の礼拝形式が関係します。来週・再来週の箇所は「主の晩餐」についての教えです。この文脈も大事です。1節の「食事のために」の直訳は「パンを食べるために」です。主の晩餐はパンを食べる儀式ですから、ファリサイ派の自宅の食卓に主の晩餐が透けて見えます。安息日礼拝後の自宅での食事という要素が、キリスト教会においては日曜日礼拝での食事に取り込まれていくことを示唆しています。最初期のキリスト教会は教会員の自宅を用いて礼拝をしていたことが、移行の橋渡しをしていたと考えられます。
ユダヤ人であるイエスが安息日に礼拝後にファリサイ派と共に食事をしていたということと、わたしたち教会が日曜日に礼拝の中で誰と共に食事をするのかということと関係します。
本日の箇所はルカ福音書にしか無い、独自の物語です。「安息日の出来事」・「理解のあるファリサイ派との食事」、ルカの傾向性を示すどちらの特徴も兼ね備えています。いかにもルカ福音書らしい物語です。細かい話ですが、ギリシャ語の語彙の点でも、この物語にはルカやパウロしか使わない単語が何個も出てきます。ギリシャ語が第一言語だったルカらしい物語と言えます。
そして、本日の箇所は「安息日礼拝後シモンの姑の自宅で食事を食べる物語」(4章38-41節)と、「安息日礼拝中会堂で手が麻痺している人を癒す物語」(6章6-11節)と似ています。両者を足して二で割ったような話です。この箇所も横目で意識しながら、読み解いていきたいと考えます。
ユダヤ人にとって安息日は、年間行事(過越祭、七週の祭、仮庵祭等)よりも、ある意味で重要です。なぜなら毎週あるからです。十戒の第四戒に基づいて、金曜日の日没から土曜日の日没までは労働をしてはいけないとされます。許されるのは礼拝だけです。歩く距離まで定められていたので、礼拝場所である会堂は街にどの家からも400-500メートル以内にありました。また、調理という家事労働も禁止されていたので、安息日が始まる前までに二日分の料理を作り置きしていました(出エジプト記16章23-30節)。
この事情は、安息日をユダヤ人たちが心から楽しむ伝統を作りました。今でも豪勢な料理を作りおいて、安息日礼拝が終わった後に親しい人々でご飯を共にしているそうです。正月のおせち料理と似たような発想です。作り置きは料理という労働の休みを保障します。だから、4章39節は「もてなした」と訳してはいけません。日が暮れる前なので(4章40節)、まだ安息日です。シモンの姑は料理をしてはいけません。「仕える/弟子となる」と訳すべきです。
14章1節の「ファリサイ派のある議員(指導者の意)」は、13章31節の「ファリサイ派の人々」と関係がありそうです。ヘロデ派の手からイエスを匿おうとしていたファリサイ派の人の仲間なのではないかと思います。ペレア地方のファリサイ派の指導者が、近所のファリサイ派の人々やファリサイ派の法学者たち(3節)を、いつものように自宅に招いて食事をする場面です。イエスが匿われていた家かもしれません。ほかの人々が招待されている一方で(7節)、イエスはごく普通にパンを食べるためにこの家に入っているからです(1節)。
つまりイエスに好意的であり(15節)、かつ、イエスの教えをそこまで詳しく知らない人々の食事です(7節)。この人々は、イエスが派手な悪霊祓いや奇跡的治癒を行うことを控えてほしいと願っています。それによってヘロデ派からイエスが逮捕されることを避けたいからです(13章31-32節参照)。そういうわけで、食卓を囲んでいる人々は「イエスの様子をうかがっていた」のです。直訳は、「イエスを(近くで)まじまじと見る」です。
だから、「水腫を患っている男性」は、別にイエスを罠に陥れようとして連れてこられたのではないと推測します(6章7節と異なる)。単にファリサイ派の指導者の友人だったのでしょう。イエスをじっと見つめる人々は、奇跡的治癒をしてほしかったけれども、今でなくても良いと思っていました。目立つ行動がイエスの命取りにならないようにとも考えたからです。
その一方でファリサイ派として一人一人の心の中で論争がありました。実はファリサイ派は、安息日の規定に対してエッセネ派より厳しくない教派でした。だから議論がありうるのです。労働をしないということで楽しんでいる安息日の秩序を壊して良いものか。仮にもし治癒労働ができるとすれば、旧約聖書の根拠は何になるのだろうか。彼らは自分たちが打ち破れない壁を知っていました。十戒の文言・モーセの権威・ユダヤ人の伝統が壁となって聳えていました。だからこそ、イエスの新しい聖書の解釈を知りたいと願っていました。
水腫を患っている男性は彼らの友人です。しばしば安息日礼拝後の食卓を囲んでいたことでしょう。テーブルを挟んでイエスは、水腫の男性の正面に座りました。おそらくイエスは上座から移動して、たまたま彼の真ん前に座ることとなったのでしょう(7節)。この偶発的な状況に、ファリサイ派の人々・ファリサイ派の法学者は固唾を飲みます。本日の場面で、イエス以外の人々が一言も話さないことが印象的です。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」(3節)。正にそれこそ、ファリサイ派の人々、特に法学者がイエスから聞きたい主題です。「彼らは黙っていた」(4節)。なぜなら、イエスの言葉を聞くためです。「安息日を覚えよ/守れ。安息日には働くな」という十戒の第四戒を、どのように解釈するのかを、人々は聞こうとします。この瞬間彼らは友人が癒されることよりも、イエスの教えを聞こうとして黙りました。
この場面でイエスは意表を突く行動に出ます。食卓から立ち上がり、テーブルを回って、水腫を患っている男性を掴み、そのまま外に連れて行き、帰してしまったのです。その間に病気は癒されました。「手を取り」は、お上品に過ぎる翻訳です(4節)。英語訳の多くが「take」と翻訳している通り、イエスはかなり乱暴に連れて行ったのです。「そして掴みながら彼は彼を癒した。そして彼は行かせた」が直訳です。一体何が何だかわからないどさくさで、「目立つ存在の元病人」は自宅に帰されました。
このような形の奇跡治癒は珍しいものです。その理由は三つ考えられます。一つは、イエスは言葉よりも行動、聖書の解釈よりも解釈を生きることを優先したということです。癒し論争ではなく、癒しが重要です。ファリサイ派の人々の要望よりも、水腫を患っている人の願望を叶える方が優先されるべきです。偶発と瞬間の出会い、即興の共感が重要です。
二つ目の理由も癒された人のためです。安息日の喜びの食事を、癒された人はまず家で家族と共にする方が良いという判断です。他人の家で喜びを分かち合わなくて良い。まして、そこでは自分自身が題材となって、聖書解釈がたたかわれます。論争のまな板の上に晒されるのはあまり楽しくないでしょう。
三つ目の理由はファリサイ派のためです。好意的に自分の身を心配し匿おうとしている人々にイエスは気を使いました。癒された人が残ってずっと食事を共にするならば目立つことになりイエスが逮捕されるかもしれません。そうなれば、匿ってくれているファリサイ派指導者に迷惑をかけてしまうでしょう。
彼をその場から退場させた後にイエスはファリサイ派の人々が欲していた聖書の解釈を述べます。「自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げない者がいるだろうか」(5節)。この言葉に似ているのは出エジプト記23章4節と申命記22章4節です。簡単に言うと出エジプト記は「敵のろばか牛を助けよ」、申命記は「同胞のろばか牛を助けよ」という規定です。どちらも安息日と関係ありません。だからこの条文のままではどちらの行為も安息日にはしてはいけない労働にあたります。敵の家畜も同胞の家畜も、安息日には助けられないのです。
イエスは、敵でも同胞でもなく「自分の」とします。そして、ろばではなく「息子」とします。そうして、この条件のもと、息子や牛を助けることを安息日にして良い行為とします。安息日を理由にして他人の家畜を助けないのは偽善です。自分の家畜や、さらに自分の息子ならば、安息日であっても助けるはずです。安息日にすべきかすべきでないかが問題ではなく、困っている家畜・困っている人のことを「自分の事柄」と捉えきれるかどうかが問題です。どちらも大切な命です。イエスは、ここでも独自の新しい解釈を打ち出しています。その際に、書かれた律法の解釈というレベルを超えて、旧約聖書と律法を書き換えて新たに法律を創っています。律法を立法しています。
「さて彼らは答えなかった」(6節。西方写本による異読)。「反論したかったけれどもできなかった」のではなく、「深く満足して納得し黙った」と解します(15節参照)。この食卓のファリサイ派の人々がイエスに好意的であり、イエスも彼らに好意的であると考えるからです(13章15節)。
今日の小さな生き方の提案は、先入観を取り払うことです。ファリサイ派にも良い人はいます。ファリサイ派の人が主催する食卓も「主の晩餐」となりうるのです。誰とでも食べることが主の晩餐のルールです。また、今までの読み方という先入観を超えた聖書解釈に挑戦してみましょう。ファリサイ派の人もイエスも、その点では同労者です。イエスの新しさは、聖書を「自分ごと」にしたことです。縁遠い命令・定めも、もし自分のことだったらと読み替え、その解釈を生きる。机上の解釈に責任を負い、実際にそれを生きましょう。