弟子となる ルカによる福音書4章38-44節 2016年8月14日 礼拝説教

カファルナウムの町の会堂で安息日礼拝をしたイエスは、同じ礼拝の会衆の一人だったシモンという男性の家に行きます(38節)。後に「ペトロ」というあだ名を付けられるイエスの弟子です(5章8節)。イエスはシモンの家に一泊し、次の朝には別の場所へ出かけます(42節)。前の段落で始まったこの「安息日とその次の日」のカファルナウムでの出来事は、わたしたちに礼拝と教会の本質を伝えています。

シモンはベトサイダという町の出身です(ヨハネ1章44節)。カファルナウムとベトサイダは川を挟んでいますが、同じガリラヤ湖畔北岸の隣町です。おそらくシモンはカファルナウム出身の女性と結婚して、妻の実家に同居していたのでしょう。マスオさん状態です。ルカが参考にしたマルコ福音書では、シモンの家に、弟アンドレも同居しています。またヤコブとヨハネという漁師仲間もこの日に一緒にシモンの家に来たことになっています(マルコ1章29節以下)。マルコの文脈では「人々」(38節)、「一同」(39節)という翻訳も当たっていますが、ルカでは訳しすぎです。原文は「彼ら」でしかありません。具体的には、シモンとその妻という二人だけしかいません。ルカ4章において、イエスはただ一人で行動しているからです。

男性たちが安息日礼拝をしている間、シモンの妻と、彼女の母親は家で留守番をしていました。彼女たちは会衆となる資格を持っていませんでした。女性たちの礼拝する自由は権利として保障されていなかったのです。そして妻は熱で苦しむ母親の看病をしながら夫シモンの帰りを待っていました。

40節の時点で日が暮れていることを考えると、この安息日礼拝は午前中に行われているようです。現在のユダヤ教安息日礼拝は、安息日が始まる金曜日の日没後と(一時間程度)、土曜日の午前中(二・三時間)と二回行っています。ユダヤ教徒は日没後から次の日没までを一日と数えます。創世記1章で「夕があり、朝があった」という順番の通りです。

38-39節は土曜日の午後であり、安息日の期間中の出来事です。だからこそ40節の日没後に安息日の期間が終了した後に人々が大挙して押し寄せたのでしょう。つまり、距離を気にせず歩けるようになった人々が病人たちをかつぎ込んで、イエスに治療という労働を頼んだのでしょう。安息日には歩く距離も制限され、治療という医者の労働行為も禁止されていたからです。

ということは、イエスは安息日に禁じられている治療という労働を、シモンの姑に対してしたということになります。イエスにとっては午前中の礼拝で悪霊祓いという労働もしているのですから、あまり抵抗はなかったと思います。それを知っているからシモン夫妻もイエスに治療を頼んだのでしょう(38節)。安息日は人の救いのために立てられたものなので、人が安息日のためにあるわけではありません。安息日禁止規定破りの癒しとして二つは繋がっています。

イエスは悪霊祓いと同じことをします。「熱を叱りつける」(39節)ことは、35節の「黙れ。この人から出て行け」という悪霊に対する叱りつけや、41節の悪霊にものを言わせないように「戒める」行為(「叱りつける」と同じ単語エピティマオー)と同じです。古代人は、人体の外から悪魔的なものが入り込んで、病気やしょうがいを引き起こすと考えていたのです。この意味で熱もまた叱りつけられ追い出される対象となります。

シモンの姑の熱は追い出され、彼女は正気になります。そして「彼女はすぐに起き上がって、一同をもてなした」(39節)と翻訳されています。先に述べたように「一同」は訳し過ぎという問題を持っています。さらに大きな翻訳の問題は、「もてなす」という動詞です。この動詞ディアコネオーの意味は「仕える」「奉仕する」です。調理や給仕するという意味もありますが、この文脈では難しいでしょう。なぜなら安息日には調理が禁止されているからです。今でもユダヤ人たちは安息日の開始前に二日分の調理を済ませておきます。

この翻訳には翻訳者のジェンダー意識が入り込んでいます。「女性というものは癒された後にはお礼として調理でもてなすものなのだ」という観念が刷り込まれているので、「もてなした」と訳してしまったのでしょう。「仕える」は、男性が主語の場合には「弟子となる」という意味で翻訳されることが多いのに、なぜか女性が主語の場合にはこのように「もてなす」と訳されがちです。このような男性視点中心の偏った翻訳は良くありません。礼拝の会衆からも締め出され、数にも数えられなかった女性たちの苦難の歴史を踏まえていないからです。女性がイエスの弟子となることを、翻訳の段階でさらに締め出して排除しているように思えます。

直前の物語で一人の男性会衆が会堂礼拝の仲間に含まれたことと同じ奇跡がシモンの家で起こったのではないでしょうか。会堂礼拝からも締め出されていた女性がキリストの弟子となり、新しい礼拝共同体を創ったのです。シモンの姑は復活を経験し、キリストに仕え、娘夫婦に仕え始めました。娘は母を看病してすでに仕えていました。婿はキリストを姑に引き合わせました。夫婦はキリストに頭を下げて隣人の癒しを頼みました。それぞれなりにキリストに仕え、彼女に仕えました。キリストの癒しを経験した者、それを証言する者たちが、キリストを中心に仕え合う。もはや「男と女」はない。キリスト・イエスにおいて一つの礼拝共同体を形作れるからです(ガラテヤ3章28節)。これが教会の本質的特徴です。

実際何人かの学者は、カファルナウムのキリスト教会がシモンの姑の家から始まったと想定しています。彼女は、放浪するイエス一行の旅の中継地点・拠点として自宅を提供していたのでしょう。シモンらはイエスの放浪の旅に同行し、彼女はベタニヤ村の三弟妹や、エリコのザアカイのように定住の支援者だったのでしょう。この人々はイエスの十字架刑死の後も、イエスの復活を見ずに信じました。そして定住の支援者の自宅が、「家の教会」というものになっていったと推測されます。なぜなら会堂礼拝は、女性も非ユダヤ人も締め出していたからです。教会は最初期から女性指導者を立てていたので、会堂での礼拝に決して満足はしていませんでした。

もしかすると最初の福音書を書いたマルコが取材のためにカファルナウムを訪れた時に、シモン・ペトロの姑は生きていたかもしれません。そしてマルコにイエスの思い出を生き生きと語り聞かせたかもしれません。後の教会の伝説によればマルコはペトロの通訳者でした。ペトロの姑は喜んでマルコを歓迎したことでしょう。マルコの記事をルカも大切に継承し踏襲しました。そして彼女を最初の弟子となった人物にまで押し上げました。

さて安息日が明けると、人々は病気に苦しむ友人・知人・親戚をシモンの姑の家に連れてきました。その中には、悪霊祓いをされたあの男性と同じ症状の人も多くいたようです(41節。31-37節参照)。「お前は神の子だ」という悪態は、「お前は神の聖者だ」(34節)と同じ攻撃性を持つ言葉です。カファルナウムの町の人々が、積極的に社会で生きにくい人々を自分たちで抱えていこうとしている様子が分かります。「悪霊は多くの人びとから出て行った」とある通りです。安息日の礼拝で起こった悔い改めが、彼らの次の日からの一週間を変えたのです。カファルナウムの町に悪霊祓いの連鎖が起こっています。これは良い循環です。

礼拝者が作り変えられ、その刺激によって町が作り変えられます。排他的であった会衆が包含的な礼拝をつくり、それによって町の人々も排他的でなくなり、病気に苦しむ者、それによって排除されていた者たちを抱える人になったのです。安息日礼拝が社会に衝撃を与えています。これもまた礼拝の本質的特徴です。目指して出来るかどうかは分かりませんが、イエス・キリストの言葉と行いが忠実に再現されるならば、わたしたちの礼拝は世の中を動かす力を持っているはずです。

「週の初めの日」(使徒言行録20章7節他)とも呼ばれる安息日の次の日に、キリスト教会は礼拝を毎週行いました。日曜礼拝ないしは主日礼拝です。キリスト教の特権として、安息日の次の日の出来事にもわたしたちは礼拝の特徴を読み込んで良いでしょう。礼拝はイエスの言葉による悪霊祓いでもありますが、同じ礼拝はイエスがひとりひとりに手を置いて癒すという場でもあります(40節)。日本語でも「手当て」は治療を意味します(本多哲郎訳も参照)。

攻撃的な言葉を黙らせるイエスは、その一方で静かに病気の人に手を当てます。おそらく黙って手を置くだけです。しかしここに奇跡があります。誰からも触られなかった病人もそこには居たことでしょう。道に打ち捨てられていた人も居たことでしょう。病気であるということだけで人間扱いされなくなることもあったのです。イエスは全ての個人に黙って手を当てて、その人を個人として尊重しました。病気の種類も問わずに、です。その愛によって、病気が癒されます。

聖書の理解では、全ての人はある種の病を持つ病人です。傷を負っている怪我人、癒しを必要とする者たちです。自分は健康ですと威張れる人はいません。礼拝において、イエスはその一人一人を同時に手当てなさいます。礼拝に集って個人として尊重されることによって癒しが起こるのです。

42節の次の朝まで「週の初めの日」は続いています。ここでイエスは癒された人々、今や包含的な民となった人々を振り切って、次の場所へと向かいます(42-44節)。「ユダヤ」というのは誇張で、おそらく「ガリラヤ」の諸会堂で同じ言葉と行いをするために、つまり「宣教する」ためにカファルナウムから一人で旅立ちます。神の国という福音を告げ知らせ、神の国を実現するために神から派遣されたからです。ここにも礼拝の本質的特徴があります。

それは一人で放り出されるということです。わたしたちが集まるのは、逆説的な言い方ですが、散らされるためです。集まる一人一人には、その人だけが抱えている日常生活があり、仕事があります。イエスの場合はガリラヤの諸会堂での宣教です。そのイエスの態度を見て、カファルナウムの人々も日常生活へと戻っていくのです。日常に根を張ることが重要です。

わたしたちには、今日の昼ご飯や晩ご飯を含めて家族の予定があり、さらに次の日の仕事があります。教会の礼拝はわたしたちが居心地のよいぬるま湯に留まるための場ではなく、癒され続けるための自己満足の場ではなく、辛い日常へと派遣する場です。「今日ここでわたしは尊重された、だから、明日尊重されない場合があっても生きるぞ」という力を、礼拝はわたしたちに与え、孤独な闘いへとわたしたちを押し出すのです。

今日の小さな生き方の提案は日常生活を誠実に生き生きと過ごすことです。キリストに手当された経験を基にして、包含的な交わりに生き方のヒントを得て、自分の現場に元気に戻ることです。キリストの弟子になることは難しいことではありません。孤独な日常を生きるために、礼拝という交わりに加わる、ただそれだけのことです。