律法の教師ガマリエル 使徒言行録5章33-42節 2021年2月7日 礼拝説教

33 さて聞いた者たちは苛立ち続けた。そして彼らは彼らを取り去ることを求め続けた。 34 さてとある人が最高法院の中で立って――ガマリエルという名前のファリサイ派の人、全ての民に敬われている律法教師――、彼はしばらくの間その人間たちを外にするように命じた。 

 使徒たちの言葉を聞いた最高法院の議員たちは苛立ちました。原意では鋸で挽かれるような心の痛みです。聞くに堪えないという感情で揺さぶられたのです。ただ厳密にはサドカイ派とファリサイ派には温度差があったと思います。死者の復活というものを決して信じないサドカイ派が、最も怒っていたことでしょう。「聞いた者たち」という言い方は、聞いた全員ではないことを暗示しています。ガマリエルという議員が正に苛立っていない人の一人でした。

 ガマリエルはファリサイ派の一人でした。ファリサイ派も一枚岩ではありません。大きく分けると律法に対する態度で非常に厳しいグループと、比較的穏健なグループに分かれます。その間に様々なグループがいたとも推測されます。イエスと激しく対立したのは律法に対して厳格なグループでしょう。それに対してガマリエルは穏健派の中心人物です。紀元後30-70年ごろのファリサイ派に四人の偉大な指導者がいたと言われます。ガマリエルはその一人です。「ラバン(我らの師)」という称号で呼ばれます。「ラビ(私の師)」よりも格上です。おそらく「律法教師」(34節)という珍しい単語はラバンを訳したものです。単なる律法学者とは違う人物と言いたいのでしょう。なおガマリエルに孫がおり、こちらも後の正統ユダヤ教の指導者となります。区別するために祖父の方を「老ガマリエル」とも呼びます。

 老ガマリエルは「異邦人の使徒パウロ」の師匠でもあります(22章3節)。パウロ(ヘブライ語名サウル)は小アジア半島のキリキア州タルソス出身のユダヤ人です。彼はベニヤミン族出身の生まれながらのユダヤ人であり、「律法に関してはファリサイ派の一員」(フィリピ3章5節)と自己紹介しています。若い時に故郷を離れて首都エルサレムに上京し、ラバン・ガマリエルのもとで律法を学んだことが伺えます。そしておそらく師匠の穏健な律法解釈や、ナザレ派に対する共感姿勢に嫌気を差して師匠と袂を分かち、教会の迫害者となったのだと思います。使徒言行録全体の主人公は著者ルカの友人パウロですから、この意味でもガマリエルは非常に重要な人物です。

 ガマリエルは全ての民(ラオス)から尊敬されていました。民は教会の周りを取り囲み、教会に好意的な人々です。そこから教会員になる人々が生まれていました。多分にガマリエルはイエスの律法解釈に親近感を持っていたのでしょう。イエスは非常に寛容な律法の読み方をし、人々を解放していきました。イエスほど急進的ではないにしても、ガマリエルは律法に対する寛容な態度でイエスに近いものがあります。そういうわけで教会に共感的です。だから民(ラオス)もガマリエルを尊敬しています。

ファリサイ派は最高法院の議席の三分の一を占めていました。その指導者であるガマリエルは議会の中で「野党第一党」のような力を持っているので、議長裁量を仰がずに使徒たちを最高法院から一時外に出させます。

35 それから彼は彼らに向かって言った。「イスラエルの男たちよ、これらの人間たちについては自身留意せよ、あなたたちが遂行しようとしていることについて。 36 というのもこれらの日々の前にテウダが立ったからだ、自分自身を何者かであると言いながら。その彼に合流した男の数は約四百人。その彼は取り去られ、そして彼に説得された全ての者たちは散らされ、そして無いものへと成った。 37 この男性の後にガリラヤ人ユダが住民登録の日々に立った。そして彼は彼の後ろに民を引き連れた。そして彼は滅んだ。そして彼に説得された全ての者たちはちりぢりにされた。 38 だから今わたしはあなたたちに言う。あなたたちはこの人間たちから離れよ。そしてあなたたちは彼らを放置せよ。なぜならもしも人間からであるならばこの計画やこの働きは滅びるだろう。 39 もしも神からであるならばあなたたちは彼らを滅ぼすことができない。決してあなたたちが神と争う者として見出されることのないように」。さて彼らは彼に説得された。 

 本日の中心は35-39節にある「ガマリエルの提案」です。ここに律法教師の知恵が詰まっています。ガマリエルは歴史を教訓として読み解いています。彼は、「テウダの乱」(36節)と「ユダの乱」(37節)という二つの歴史的出来事を挙げています。聖書以外の同時代資料(ヨセフスという歴史家が著した『ユダヤ古代誌』)によってほぼ同定できる事件です。ユダの乱は、紀元後6年に起こりました。シリア州総督キリニウスが行った人口調査は税金を搾り取るための政策です。それに対してユダはファリサイ派のサドクという人物と組んで反乱を起こしました。ヨセフスによれば、この反乱が「熱心党(ゼロタイ)」という一派を生むきっかけとなったとされています。

 テウダの乱もヨセフスは記しています。36節と似たような事件が紀元後44-46年に起こっています。ただし時間の順序が逆になります(37節「この男性の後に」)。ユダの乱がテウダの乱よりも50年以上も前の出来事なのです。別人のテウダがユダよりも前にいたか、それとも、テウダの乱についてはルカが元来の伝承に脚色して付け加えたかどちらかでしょう。いずれにせよガリラヤ人ユダの乱だけでも、ガマリエルの言いたいことは伝わります。ナザレ人イエスはガリラヤ出身であること、イエスの弟子の中に熱心党のシモンもいたということが、ガマリエルの言葉の行間ににじみ出ています。ユダの乱にファリサイ派の一部も同調したということも、ファリサイ派議員は苦々しく思い出したことでしょう。

ガマリエルの言いたいことは、「歴史に学べ」ということです。一字一句の律法の解釈によって論争をするのではなく(たとえば申命記21章23節の解釈)、もっと大きな神の導きを見渡せというのです。

 ガマリエルはイエスの裁判にも同席していました。「自分が神の子である」と示唆して神を冒涜したイエスは、ガリラヤ人ユダに倣って殺されるべきと彼も考えました。ガマリエルはイエスの殺害に賛成しました。律法を解釈する教師としてのイエスは、自らを神に並ぶ者と考え、律法授与者と同じ地位に就いた、つまり一線を越えたと感じました。しかしガマリエルには謙虚さがありました。「もしかすると神の前に自分は間違えているかもしれない。この事件は冤罪かもしれない」という一抹の疑念です。信仰とは結局のところ、神の前の謙遜です。歴史を導く絶対者の前で、自己絶対化を防ぐ構えです。

ガマリエルは自分の信念によって犯すかもしれない自分の罪に向き合っていました。そのような謙虚な視点から彼は、イエスの弟子たちが数か月前から始めた「初代教会」という運動を、見つめていました。「もしも人間の支配欲からイエスが運動を起こしたのならば、ユダに倣って初代教会は雲散霧消するに違いない。しかしもし初代教会が増え続けるならば、わたしたち最高法院が下した死刑判決の方が間違えていたかもしれない」。長い目で見なければ分かりません。三十年以上前のガリラヤ人ユダの乱と同じように、少なくとも三十年後に初めて歴史的評価が確立されるのです。

だからガマリエルは歴史を導く神に委ねよと勧めます。神は神に従順な者たちを増やすはずだし、神に敵対し争う者を滅ぼすはずです。まだナザレ派の評価を下すのは早すぎるのです。決して知らず知らずのうちに神に争うようなことがあってはならない。29節の「神に従順か、人間に従順か」という使徒たちの問い立てを引き受けて、ガマリエルは「神からの働きか、人間からの働きか」を見分けるように勧め、それによって神に従順であるようにと勧めています。

 この知恵に満ちた言葉に、ファリサイ派のニコデモや、アリマタヤ出身のヨセフは大きく頷きました。「主の天使」(19節)として二人の議員は大声で「賛成」と言います。そこからファリサイ派議員たちや地方出身の議員たちも賛成し、さらにはエルサレム在住のサドカイ派たちも賛成意見に雪崩を打ちます。ガマリエルは大祭司も神殿長も説得しました。民主政とは納得の調達です。互いの説得力を磨き合って政策や判決が形成されることがその理想です。最高法院が民主的な議会として、また裁判所として機能しています。

40 そして使徒たちを呼び入れて、鞭打って、彼らはイエスの名前に基づいて話さないように命じた。そして彼らは釈放した。 41 こういうわけで彼らは喜びながら最高法院の面前から出て行った、なぜなら彼らがその名前のために苦しむに値する者となったから。 42 そこで全ての日、神殿の中でまた家々の下で、彼らはキリスト・イエスを教えることと福音宣教することとを止めなかった。

 最高法院は再び使徒たちを呼び入れました。使徒たちは死刑判決も覚悟していたと思いますが、意外にもまたもや釈放されます。イエスの名前に基づいて話さないという条件付きの釈放という点は4章の裁判と同じです。4章の裁判と異なる点は鞭打ち刑が付け加わったことです。おそらくはガマリエルの提案です。ガマリエルは「十字架刑ではなく鞭打ち刑のみでイエスを釈放しよう」というピラトの妥協案を、あの時それを拒んだ大祭司たちに遂行させています(ルカ23章16節)。ちなみにルカ福音書においてイエスは鞭打たれていません(マルコ15章15節に反して)。ルカ文書で鞭打たれるのは使徒たちだけです。ルカ文書において鞭で打たれる苦しみは、十字架で殺される苦しみよりも一段低い苦しみという位置づけなのです。それだから鞭打ち刑を恐れずに、使徒たちは福音宣教を続けていくのです(16章23節)。

 5章の終わりは、使徒言行録の一つの締めくくりです。5章42節は28章30-31節と類似しています。エルサレムでもローマでも、最高法院による裁判やローマ帝国による裁判に引き立てられて被告席に座らせられたとしても、「家の教会」は毎日キリスト・イエスを教え続け福音宣教を自由に行い続けたのでした。ガマリエルの提案の三十年後、ガマリエルの弟子サウル/パウロは歴史を導く神のみ業を振り返ったはずです。「イエスの神の国運動と初代教会運動は、人間からのものではなく神からのものだった。福音の種は三十倍、六十倍、百倍に増えている。ラバン・ガマリエルは正しかった」。フィリピでパウロの鞭打たれた傷を治療したルカは、見事にイエスの裁判と使徒たちの裁判とパウロの裁判とを一つながりの「神の歴史」にしたのでした。

 本日の小さな生き方の提案は、ガマリエルに倣うということです。歴史を導く神の前で謙虚になること、知ったかぶりを止めることです。そうすれば隣人に対する苛立ちから解放されます。信念を持つことは良いことです。しかし、自らの信念がもしかすると間違えているかもしれないと考える謙虚さは、さらに良いことです。しばらくしてから過去の決断をふりかえることも良いことです。わたしたちは正解のない中で右往左往しています。神から出た出来事のみが続くことを信じて大胆に間違えを繰り返していきましょう。