時は夜だった ヨハネによる福音書13章21-30節 2014年5月18日礼拝説教

ヨハネ福音書の著者が誰なのかは、他の福音書と同様に議論が分かれるところです。すべての福音書の名前は、古代教会内に流布されていた伝説に基づいて、後から付けられたことが確実だからです。福音書の内部にも、著者を明示している箇所はありません。ヨハネによる福音書の場合は、元ガリラヤの漁師である「ゼベダイの子ヨハネ」が著者とみなされ、書名が「ヨハネによる福音書」と付けられました。そして同時に、著者ヨハネと「イエスの愛しておられた弟子」(23節)とは同一人物であるとされました。21:20-24に、「書いたのは、この弟子」と書いてあるからです。さらに、1:35-40に登場する「アンデレと共にいた匿名の弟子(一番弟子)」と、著者とを同一視するという説も提示されるようになりました。

歴史的批評的学者は、ゼベダイの子ヨハネが著者であるという立場に立ちません。以前はわたしもそのような学説の立場を重んじてきました。しかし最近、それで良いのかなと思うようになりました。なぜかというと、古代教会の伝説がすべて虚構ではないと思うからです。現に、マルコ福音書の著者が、使徒言行録に登場するヨハネ・マルコであるとする学説が、最近になって極めてリベラルな学者(田川建三)から改めて主張されています。また、歴史的に証明されなければ分からないという態度そのものがロマンを失わせてしまうことにもなります。匿名の弟子も不明・イエスの愛した弟子も不明・著者も不明、これでは読者としてつまらないでしょう。そして、「ゼベダイの子であるヤコブとヨハネ兄弟という重要な弟子が、ヨハネ福音書になぜ登場しないのか」ということが永遠に不問に付されてしまいます。これは学問的でもありません。

一年前から読み進めて初めて「イエスの愛しておられた弟子」が登場したこの日、ヨハネによる福音書の著者が誰なのかについて考えてみたいと思います。結論から言えば、「ゼベダイの子ヨハネ」=著者=イエスの愛弟子=匿名の一番弟子としても良いというのがわたしの意見です。理由は、ヨハネ福音書のギリシャ語が下手であること、著者がペトロを筆頭にした十二弟子という枠組みを外しつつ、それを批判していること、細かい事情に詳しいことなどにあります。

共観福音書と使徒言行録においては、ペトロ・ヤコブ・ヨハネは十二弟子および初代教会の三大人物です(マコ1:16-20、5:37、9:2、10:35、13:3、14:33、使徒4章)。ところがヨハネは使徒8:25以降、ぷっつりと登場しなくなります。それはヨハネがペトロと共に、フィリポによるサマリア人伝道を視察した時のことです。この後、エルサレム教会では、ヨハネの兄ヤコブが殉教し(使12章)、同じ名前の「主の兄弟ヤコブ(イエスの実弟)」が主導権を握ります(使12:17、15章。なおガラテヤ2:9も参照)。ヨハネは、この主の兄弟ヤコブとペトロの二大巨頭体制に嫌気がさしたのではないかと推測します(ヨハ7:1-9、13:6-9)。そして、サマリア人伝道に打ち込むフィリポや、一番弟子なのに控えめなアンデレに親近感を持っていったのではないかと推測します(ヨハ6:1-9、12:20-26)。殉教した兄ヤコブが妙に神格化され祭り上げられていることも嫌だったかもしれません。古代教会の伝説の中で十二弟子のうちヨハネだけは殉教しないのです。

そのような中で、パウロと対立しているマルコの書いた福音書を読み、自分も福音書を書こうと思い立ったのではないでしょうか。一番弟子でありながら生前のイエスを見たことを振りかざさないことを旨にし、ペトロや主の兄弟ヤコブを批判し、自分の兄ヤコブも黙殺し、「イエスの愛した弟子」というかたちで匿名の著者となったのではないでしょうか。見ないで信じる方が幸いだということを、身に染みて言えるのはゼベダイの子ヨハネならではと思えるのです。

長々と著者問題に触れたのは、わたしたちがヨハネの心情を理解してこの箇所を読むためです。特にイスカリオテのユダに対する憤り(正しい怒り)を理解するためです。その義憤がわたしたちに罪とは何かを教えてくれます。

さて、今日の箇所は、13章の夕食が「最後の晩餐」であることを明らかにしています。マルコ福音書14:18-20と類似並行している箇所だからです。イエスは弟子のユダに引き渡され逮捕されることを予告し、引き渡す者が同じ鉢にパンを浸している者であることを告げるけれども、その他の弟子たちは何/誰のことを言っているのか理解しないという大筋が、マルコもヨハネも同じです。マルコは又聞きによる伝聞でこの場面を書いています。しかしヨハネは、その場に居た者の臨場感をもってこの場面を掘り下げています。

まずその食事の場面には十二人の男性弟子に限らず大勢がいてひしめき合っていたのです。重なり合うように食べていたので、「胸もとに寄りかかったまま」ということが起こりえます(25節)。そしてヨハネはイエスに愛されていたので、すぐ隣に居ました(23節)。だから、イエスの息使いを覚えていたのです。21節「心を騒がせ」は、直訳「霊にて混乱し」であり、11:33・38と同じ言い方です。呼吸を乱したという意味合いでしょう。

またヨハネは隣に居たので、イエスの一挙手一投足を覚えていました。イエスは、パンを一切れ味付けソースの入った鉢に浸して、ユダにだけ渡して、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言ったということを、ヨハネはユダに対する批判を込めて記します。ただ単に同じ鉢にパンを浸しているだけではなかったと、細かい情報を書き入れています。このような細かい情報についてヨハネ福音書は史実に忠実です。たとえばユダが会計係だったとか、父親の名前がシモンだったとかという事実もこの類の細かい情報です(29節)。

ユダがパンを受け取った時に、サタンはユダの中に入ったと言われます(27節)。厳密には、2節の時点で「すでに悪魔はユダに裏切る考えを抱かせていた」のですから、これはくどい描写です。実際、ヨハネ福音書はユダに対しての怒りを随所に最も露骨に記している福音書です(たとえば12:6)。それはヨハネがイエスから愛されていたという自意識を持っていたからでもあります。

このくどい言い方によって、罪とはどのようなものであるかがよく表されてもいるということが重要です。つまり罪とは自分の中にある規範(ルール)を、長時間かけてあえて破ることなのです。他の誰にも分からない、良心の葛藤と言っても良いでしょう。

すべての人の心には規範があります。小さい時から長い時間をかけて培ってきた良心です。悪魔やサタンという神話的な言い方は、自分の心の中の誘惑を指します。その規範を乗り越えたら気持ちが良くなるのではないかという誘惑です。誘惑は不意に一度だけ訪れて衝動的に規範のたがが外れることもあるでしょう。しかし多くの場合は、時間をかけて少しずつ何回も誘惑は訪れ、長い時間の葛藤の末に決意が芽生え、あえて規範を乗り越えてしまうというものではないでしょうか。イエス自身、荒野で40日間何回も悪魔からの誘惑を受けたと言われるのは、罪を犯すということが何であるかを教えています。2節以前にもユダは誘惑と闘っていたのでしょう。26-27節でユダは一つの山を越えました。そしてイエスの一言が、規範を乗り越える後押しをしたのです。人は規範に直面し、誘惑に負けて規範を乗り越え、罪を犯します。心に規範の無い者は、この意味の罪を犯すことはありません。

少年兵・少女兵はなぜいけないのか。もちろん子どもには教育を授けるべきであり、殺人を生業とさせてはいけないのですから、大人がいけないということが前提です。もう一つ別の悲惨もあります。彼ら彼女らは、規範意識が育つ前に兵士として訓練されるために、本当に残酷に殺し過ぎるのだそうです。その意味で兵士として強いわけです。おもちゃの銃だと思って弟や妹を銃殺する事故が、アメリカで後を絶たないことにも、似たような悲惨を感じます。

ユダはなぜイエスをユダヤ人権力者に引き渡したのでしょうか。少年兵とは異なり彼は長期間かけて悩みぬいた上で規範を乗り越えています。そこまでして、ユダが自分の師を官憲に引き渡す理由は何だったのでしょうか。イスカリオテという地名にヒントがあるかもしれません。未だにイスカリオテという地名はどこなのか分かりません。しかし、ヨハネ福音書のおかげで、イスカリオテが父親の名前ではなく(あだ名の可能性はある)、地名である学説も有力となりました。イシュ・カリオテと分解すれば、「カリオテ(=キルヤト)の人」という意味です。キルヤトは、ユダヤ地方の南部です(ヨシュア記15章のいくつかの地名)。ユダはガリラヤ地方の人ではなく、弟子の中では珍しくもユダヤ地方の人ということになります。

以前にも申し上げたとおり、ユダヤ地方の人はガリラヤ地方の人を差別していました。同じユダヤ人とみなしていませんでした。もちろんサマリア人に対してはもっと強い軽蔑感を持っていました。さらにギリシャ人やローマ人に対してもっと激しい差別をしていました。

ユダの葛藤は差別意識ではなかったかと推測します。おそらく彼は弟子たちの中で能力の高かった人です。それだから会計担当者に選ばれていたのでしょう。およそ克服するのに最も厄介な差別は、能力による差別、できる人ができない人に持つ優越感であると思います。

ユダはイエスに出会って、イエスの弟子となって、新しい規範を与えられました。民族差別はいけない・権威主義はいけないという規範です。ユダの内心は、この新しい規範に対して、かつてのように人を差別したいという誘惑・挑戦がいつもありました。サマリア人やギリシャ人とも仲間になり、寝食を共にすることは、民族主義者のユダにとっては葛藤の源なのです。

イエスがペトロのようなおっちょこちょいや、子どもたち・弱さを抱えていた人たちの足を洗ったことは、ユダにとって承服できない行為でした。能力的に優れた者がいばって何が悪いのか、ユダは心の奥底で常に考えていたからです。能力主義はしょうがい者差別を内に含みます。イエスがユダの足を洗ったとき、もしかするとユダは納得したかもしれません。ユダから見れば、「イエスよりもユダの方が優れているとイエス自身がみなした」とも取れる行為だからです。そして、ガリラヤ出身であるイエスを、ユダは完全に見下したのかもしれません。その時、ユダの中の葛藤が終わり、規範が乗り越えられ、イエスをユダヤ人権力者たちに引き渡すという決断がなされたのでしょう。

著者ヨハネは「時は夜だった」(口語訳)と記します。夜だということは夕食なのですから当たり前です。あえて書くことによって、ヨハネはユダへの憤りを示し、人間の罪が夜にたとえられることを語っています。イエスと同じガリラヤ出身のヨハネは、民族差別という罪を決して放置しません。そして隣人を差別し亡き者にする者を、光なしに闇夜を歩く者にたとえるのです。

今日の小さな生き方の提案は、自分の心の中にある闇夜を見つめることです。差別という罪・能力主義という罪が、現にわたしたちの中にあって、いつも規範を乗り越えさせようと誘惑していることに気づくことです。ユダと同類のわたしたちにイエスは今日も晩餐のパンをひと切れ渡します。パンを取るたびにわたしたちは規範に直面します。晩餐から出て行かずに、誰をも差別しない生き方に踏みとどまることが求められています。