石を投げつけられたこと 使徒言行録14章14-20節 2022年4月24日礼拝説教

 リストラの町における伝道活動の続きです。リカオニア語を話すリストラ住民と、ギリシャ語を話すユダヤ人バルナバとパウロの異文化体験が続きます。両者の認識のずれは深刻です。前回13節までは、リストラの町の祭司を含めた大勢の人々がバルナバとパウロを神と崇めて牛を捧げようとする場面でした。リストラ住民には独特の二神信仰があります。人間の姿をとったゼウス神・ヘルメス神を接待することが善い行いであり、自分たちの幸せにつながるという民話も行き渡っています。人々は我先に使徒たちを自分たちの家に招こうとします。

14 さて使徒たち(である)バルナバとパウロとは聞いて、(彼らは)彼らの服を裂いて、彼らは群衆の中へと飛び込んだ、叫びつつ 

リカオニア語を知らずに布教活動をしているバルナバとパウロは、自分たちが騒動に巻き込まれていることに当初気づきません。拝まれたり、牛が引いてこられるのを見たりして、ユダヤ人である二人は慌てます。神ではない人間が礼拝の対象となることは良くないことです。しかも自分が礼拝されるということは自分が「荒らす憎むべき者」となり下がることです。二人はユダヤ人の所作丸出しで、自分の着ている服を裂きます。感情が高ぶる時、嘆く時、悔い改める時に、ユダヤ人たちは服を裂きます。リストラの人々はこの所作にびっくりしたことでしょう。ただし、抗議の意思をこめた必死さは伝わったと思います。身振り手振りで感情を伝えることはできます。

15 また言いつつ。「男性たちよ。あなたたちはなぜこれらのことをするのか。わたしたちもあなたたちに類似の人間だ。あなたたちに福音を告げ知らせている(人間)、無益なこれらのことから生きている神に面して向きを変えるために。その彼が天と地と海とそれらの中の全てのものたちを作ったのだが。 16 その彼が過去の世代においてすべての民族に彼らの道を行くことに任せた。 17 彼は彼自身を証明しないままではない。(彼は)善を行いつつ、あなたたちに天から雨や、食べ物を満たす実りの季節や、あなたたちの心に喜びを与える(という善を行いつつ)。」18 そしてこれらのことを(彼らは)言いながら、彼らは群衆が彼らに犠牲を捧げることをようやく止めさせた。

 15節以下の「説教」は、バルナバとパウロの二人が語った言葉です。14節からの複数形の主語が続いているからです。彼らは大勢のリストラ人を前にして同時に説得を試みています。ここにも必死さが伝わります。人々は二人の手を引っ張って「自分の家に来てください」と言ったり、足元にひれ伏して「捧げ物を受けてください」と言ったりしています。リカオニア語なのでよく分かりませんが、雰囲気は伝わります。その行為に対して、ギリシャ語で「やめてください、やめてください」と叫ぶわけです。

 説教の内容はギリシャ語話者に対するものとしてよく工夫されています。後にパウロはアテネという都市国家で説教をします(17章22節以下)。その内容とよく似ていますから、ギリシャ語圏での定番伝道説教だったのでしょう。イエスというユダヤ人名を持ち出さないで、天地海を創造した、生きて働く神を語り、その神が季節を与え、実りを与えてくださる「良い方」であることを語り、聴衆の関心を引き付けるのです。いわゆる「話の掴み」です。この考え方はギリシャ哲学の中の「ストア学派」に共通していると言われます。バルナバとパウロは、ギリシャ語圏での伝道にストア学派の考え方を採り入れることが有効であることを今までの経験で学んでいたのでしょう。

 しかしここはリストラです。どんなにギリシャ人にとって分かりやすいギリシャ語での説教であっても、リカオニア語でないならば理解されません。二人は17章のように死者の復活のくだりまで語ることができませんでした。リストラの人々は、執拗に嫌がる二人の様子を見て、拝むこと・招くことを徐々に諦めただけです。バルナバとパウロは「やっと分かってくれたか」と安心します。これも誤解含みの安心です。福音を理解し不毛な偶像崇拝を止め、二人が人間であると理解したからやめたのではなく、二人の必死の拒絶を見て、リストラ住民は「ゼウス神・ヘルメス神ではない」としぶしぶ認めていったのでしょう。人々は三々五々自宅に帰ろうとします。

19 さてユダヤ人たちはアンティオキアとイコニオンから来た。そして(彼らは)群衆を説得して、そしてパウロを石打にして、彼らは町の外へ引きずり出し続けた、彼が死んでいると思い込んで。 20 さて彼をその弟子たちが囲んで、(彼は)起きて、彼は町の中へと入った。そして次の日に彼はバルナバと共にデルベへと出て行った。

 突然物語は急展開を見せます。「ユダヤ人たち」の登場です。ピシディア・アンティオキアに二人は数週間滞在していました(13章13-50節)。そしてさらに長い期間イコニオンにもいました(13章51節-14章7節)。この二つの町は比較的大きかったのでユダヤ人が多く住んでいました。ユダヤ人街の真ん中にユダヤ人会堂があり、その会堂をバルナバとパウロは伝道活動の足掛かりにしていたのです。二つの町では「弟子たち」(13章52節)が生まれ、ナザレ派の「家の教会」が設立されています。定住の信徒たちの家が放浪の使徒たちの定宿となります。逆から言えば泊まらせてくれる人々がいなければ伝道はできないとも言えます。リストラの町ではそのような定住の信徒である「弟子たち」は生まれていません。ともかく会堂を用いる伝道手法は、正統ユダヤ教徒たちに当然嫌がられました。二つの町からバルナバとパウロは追い出され逃げ出したのでした。

 二人が町からいなくなっただけではユダヤ人たちの気持ちは済みません。根本的な解決ではないからです。少なからぬユダヤ人が正統からナザレ派に転向したのです。「善意で安息日礼拝での説教をバルナバとパウロに委ねたのにもかかわらず、信徒を引き連れるとは。初めから騙すつもりだったのか。この手法で会堂を荒らされ続けることは避けなければ」。このように考えても不思議ではありません。ピシディア・アンティオキアとイコニオンの町のそれぞれの会堂には連絡・連携があったようです。バプテスト教会の地方連合Associationのようなものです。共通の課題に対してどのように対処すべきかを協議したのでしょう。ナザレ派の教勢拡大を阻止するためにバルナバとパウロを暗殺することを解決策として「会堂連絡協議会」は決議します。

 二人がリストラに向かったことを確認して、会堂の指導者たちはリカオニア語を話すことができる信徒たちをリストラに派遣します。尾行していたのかもしれません。この騒動の機会をとらえてリストラ住民を「説得」(19節)にかかっていくのです。リストラの町にユダヤ人はバルナバとパウロしかいなかったのではないでしょうか。そこへ別のユダヤ人たちが来て、バルナバとパウロがどのような人物であるのかをリカオニア語で説明します。「この二人はゼウス神・ヘルメス神ではない。わたしたちと同じユダヤ人だ。実は二人はイコニオンの町を真っ二つにする騒動を引き起こした。内乱罪で死刑判決を受けた死刑囚だったけれども脱獄したのだ(5節)。自分たちは執行すべき死刑を完遂するために、リストラまで来た。ユダヤ人の処刑方式は石打なので共にそれをしてほしい」などと説明したのでしょう。

 ユダヤ人たちとリストラ住民の有志がパウロを捕えます。バルナバは難を避けて逃げ出します。おそらく二人は逮捕されそうになったら二手に分かれて逃げることを予め決めていたと思います。そして後で落ち合う場所を予め決めていたのでしょう。この時はパウロだけが捕まりました。そして人々はパウロを取り囲み、石を投げつけ半殺しにしました。意識を失うほどの重傷です。後にパウロは福音宣教のために自分が受けてきた苦難を振り返って、「石を投げつけられたことが一度」と言っています。リストラでの苦難を指しています(コリントの信徒への手紙二11章25節)。忘れられない強烈な体験だということが分かります。

石打の私刑に遭い、薄れゆく意識の中でパウロは、ステファノのことを思い出したと思います(7章58節)。パウロ自身もステファノに向かって石を投げる輪の方にいて、投げつける人々の脱いだ上着の番をしていた、あの場面です。今や立場は逆になりました。「ああ、バルナバが石で打たれなくて良かった」と思ったかもしれません。「自分はキリスト者を(つまりキリストご自身を)迫害し殺していたのだから、このような目に遭っても誰をも恨まず耐えなくてはいけない」。このように考えていたのかもしれません。

リストラの住民は町の外にパウロの「死体」を引きずり出して放置します。ユダヤ人たちはバルナバの身を追います。そこへ「その弟子たち」(20節)が登場します。定冠詞が付いているので、以前に出てきた弟子たち(信徒たち)と特定されえます。13章52節のピシディア・アンティオキア教会の「弟子たち」(信徒たち)と解します。二人を追って来た正統ユダヤ人たちを追って来たナザレ派の信徒です。信徒たちは夕方リストラの町に辿り着いた時に、町の外でパウロの「死体」と遭遇します。彼らはパウロを葬ろうとして囲みます。すると、彼の意識が戻り、信徒たちの前で復活したというのです。パウロは「良いサマリア人の譬え話」(ルカ10章)を思い出し、信徒たちは「放蕩息子の譬え話」(ルカ15章)を思い出したことでしょう。生きていて良かったと実感し、日暮れ時リストラの町の外、共に神に感謝を捧げます。

頭がふらふらしているパウロと、アンティオキア教会の信徒たちは、はなはだ危険ですが夜陰に乗じてリストラの町に再び入ります。バルナバと落ち合うためです。予め決めていた潜伏場所・集合場所にバルナバは待っているはずです。恐怖に震えながら身をひそめるバルナバと無事に落ち合い、翌朝一行はリストラを出て、東へ100kmほど離れたデルベという町に向かいます。今イコニオンに戻ることはできません。そこから来たユダヤ人たちによって殺されかけたからです。ほとぼりが冷めるまで前へと逃げるしかありません。怪我人パウロの両脇を抱えながら、バルナバ一行はデルベへと向かいます。道々、リカオニア語が決定的に重要だったということを総括したと思います。そこから得た結論は、「ギリシャ語が通じないような小さい町で伝道しない」ということだったと推測します。この考え方はパウロ系列の教会の特徴となります。それは日本バプテスト連盟が過去に採った政策、「県庁所在地を中心にした一県一教会政策」と似ています。

今日の小さな生き方の提案は匿名の弟子たちの愛に倣うということです。バルナバとパウロはリストラ住民を軽蔑していました。パウロを石打にした正統ユダヤ人たちはナザレ派を「異端」として軽蔑していました。「使徒」は「弟子たち」を軽んじていたかもしれません。本日の箇所において模範となるのは、アンティオキア教会の無名の信徒たちだけです。二人の身を案じて長旅をし、二人を救い出しているからです。伝道は雄弁な有名人・使徒のものではありません。無名の信徒たちのものです。福音をうまく説明できなくても、愛を実践する信徒たちが人々の心を動かし、家の教会を作っていったのです。