現代は「神なき時代」です。数百年前にすでに、神の存在を論理的に証明することは不可能とされています。また、科学がここまで発達した今、目に見えない神を信じるということは、愚かな行為に思えます。「神は死んだ。われわれが殺したのだ」(ニーチェ)。
神なき時代は「祈りなき時代」です。祈りは、神に向けて発せられる言葉だからです。祈りなどというものは神がいないのだから、独り言であり時間の無駄でしょう。しかしそれで良いのでしょうか。祈りなき時代の特徴は、「絶望しやすい時代」であるからです。人生に絶望がありうる限り、祈りなき時代は批判され続けます。イエスがどのように祈っていたのかを考えます。
イエス・キリストがエルサレムに入城した時に、彼は真っ先に神殿に行きました。神殿のことを、ヘブライ語では「ヤハウェの家(ベト・ヤハウェ)」と書きます。ヤハウェは神の固有名です。ユダヤ人たちは「神の名をみだりに唱えてはならない」という戒律を厳密に守るために、YHWHという文字を「アドナイ(わが主)」や「ハ・シェム(み名)」などと読み替えていました。そのうちに読み方が忘却されます。また、「主」という単語に翻訳することが定着します。ギリシャ語新約聖書は、もはや跡形もなく別単語一語で「神殿」と記します。ここで気をつけたいのは、あくまでもイエス自身は「神殿」ではなく「ヤハウェの家」に来たという意識を持っていることです。
ヤハウェという神を、イエスは「アッバ(お父ちゃん)」と呼んでお祈りをしていました。アドナイとも呼ばず、日常単語であるお父ちゃんと親しげに呼びかけていました。アッバはアラム語です。「聖なる言語」であるヘブライ語ではありません。子どもが親を呼ぶための喃語でもあります。
イエスは神殿という自宅に帰ってきたのです。ここでルカ福音書の2章41-52節を振り返ってみましょう。マリアとヨセフは、イエスの誕生後12年間毎年エルサレム神殿に巡礼をしていました。イエスが12歳の時に迷子になります。帰り道に彼だけはおらず神殿に残っていたというのです。両親が咎めると彼は言いました。「わたしが、わたしの父(アッバ)のところに居るべきであると、あなたたちは知らなかったのか」(2章49節、直訳)。
13歳以後、イエスがエルサレム巡礼を続けていたかは分かりません。もし、その時点からエルサレム神殿に参拝していないのなら、20年もご無沙汰していることになります。わたしたちはここで、放蕩息子の帰宅の場面を思い起こすことができます(15章11節以下)。子ろばに乗ってよろよろとエルサレム神殿に来ようとしている息子を、彼のアッバである神は遠くにいる時から認めて、走り寄って抱擁して、自宅に迎え入れるのです。もちろん放蕩息子は自分の都合で家を飛び出し父親の財産をなくしてしまいましたから、イエスの放浪の旅とは異なります。しかし、イエス自身の心持ちは似ています。やっと自宅に帰り着いたという意識において両者は重なります。
イエスは自宅で何をしたかったのでしょうか。アッバである神と語り合うこと、つまり祈りです。ガリラヤで始めた神の国運動の報告を、積もる話としてアッバに言わなくてはいけません。どのような人に出会い、どのような人が仲間に加わったのか。あるいは、どのような人と論争になったのか、エルサレムに着くまでの苦労を語るのです。そして、神に感謝の言葉を発し、神からの新たな使命を受けます。黙祷の時に、神が語りかけます。
祈りは自分の語りかけばかりで構成されているわけではありません。神とのおしゃべりである限り、自分が黙る時間も必要です。その時、神が語りかけるからです。その神の語りかけを霊で感じる時間が必要です。ヤハウェの家=アッバの家は、そのような「祈りの家」であるべきです(46節)。祈りは単純素朴な信頼の確認です。自宅での雑談とは信頼を深める行いでしょう。
ところがイエスが境内で見た光景は、祈りの家と呼べるようなものではありませんでした。そこで物を売る人、両替をする人が、商売をしていたからです(45節)。この光景は、イエスが12歳までに毎年見ていたものと全く同じでした。イエスが生まれた時にマリアとヨセフは、あまり裕福ではなかったので、エルサレム神殿で鳩を買って、それを犠牲獣として献納しています(2章22-24節。レビ記5章7節、12章8節参照)。ユダヤ人たちは鳩の購入のために、先にローマ帝国の日常使われている貨幣を、古い日常使っていないユダヤの貨幣に両替します。ローマの貨幣には皇帝の肖像が浮き彫りされていました。それが神殿の中で用いられることを、偶像崇拝を嫌うユダヤ人たちは敬遠していました。そこで、「聖なる貨幣」を神殿では用いていたのです。
ここには二つの商売が神の名を借りて行われています。一つは両替の際に手数料を取る行為であり、もう一つは犠牲獣としての動物を売る行為です。「これこそ神の名をみだりに唱えることではないのか」という問題意識を、イエスは持っています。それは、神の名ヤハウェを失い、どんどん神が遠ざかっていったことと関連します。宗教的な神聖さを追求すればするほど、このような両替が神聖な場所でまかり通ります。鳩という廉価な犠牲獣も値段を不当に釣り上げることができます。若夫婦が子どもを出産し、なけなしのお金をはたいて神殿の境内で鳩を買う姿に、イエスは自分の両親の姿を重ね合わせます。さらに貧しい者たちは神殿に入れず祈りの場から締め出されています。
憤りをこめてイエスは、商いをしている人々を境内から追い出します。ルカ版のイエスは、売る者たちだけを追い出しています。マルコ版イエスは買う者も追い出している一方で。ルカ福音書には買う者たちへの同情・共感がにじみ出ています。買う者の責任は軽いはずです。買わざるを得ない仕組みにこそ問題があります。
この仕組みこそ「強盗の巣」(46節)という状況です。商売そのものが批判されているのではありません。人間の社会は売り買いによって成り立っています。問題となっているのは、商売に利用されている宗教です。または神の名前を悪用する商売です。「祭司長」(47節)を代表者とするサドカイ派の神殿貴族たちだけが私腹を肥やす仕組みが問題です。直接の献金も、献納物の一部も、両替による収入も、すべては神殿貴族の利益になっていました。イエスがこの神殿をめぐる利権の仕組みを問題として取り上げ、神殿の境内を占拠して教えを広めた時に、彼の処刑は決定づけられました。「祭司長、律法学者、民の指導者たちはイエスを殺そうと謀った」(48節)。
イエスにとって祈りはもっと単純素朴なことがらです。神と自分の間に、商売や権力を挟まなくても良いものです。なぜ放蕩息子の帰宅がエルサレム神殿で実現しないのか、どうすれば実現できるのかを探る必要があります。イエスの弟子たちはいかにして、「新しい祈りの家」を創造し、神殿礼拝を乗り越えていったのでしょうか。
イエスは、ここでイザヤ書56章7節を引用しながら、「ヤハウェの家は、祈りの家だ」と主張しました。この旧約聖書の箇所について説明をし、イエスが引用した意図について考えてみましょう。また、それがルカの教会にとってどのような広がりをもっているのかについても確認していきましょう。
イザヤ書56章は、礼拝する者たちの広がり、祭儀を担う人々の広がりを預言しています。非ユダヤ人や宦官のような性的少数者たちも、エルサレム神殿で祈ることができるようになると語っています。その祈りはそれぞれの日常言語でなされるべきです。ヤハウェの家は、そのような種々雑多な人々が宿りうる、枝ぶりの良い大きな木であるべきです。
ところがイエス時代の神殿においては、非ユダヤ人の入ることができる場所や、ユダヤ人女性たちの入ることができる場所が、区分けされていました。最も神聖な場所にはユダヤ人・成人・男性・健常者しか入ることが許されませんでした。そこでなされる祈りはヘブライ語のみです。エルサレム神殿は、非ユダヤ人・子ども・非男性・しょうがい者、さらにはヘブライ語を話さない人にとって、祈りの家ではなかったのです。さらに実態として、経済的に貧しい人も祈りの家に入ることはできませんでした。
イエスはイザヤ書56章の実現を目指した人でした。まず経済的な障壁を取り除こうとしました。そして、十字架で殺されることによって、ユダヤ人であるかないか、男性であるかないか、大人であるかないか、しょうがいを持っているかいないかという垣根を取り壊しました。十字架は全ての人を愛する行為なので、対立構造そのものが解消されるのです。「アッバ、彼らを赦してください」(23章34節)とイエスは十字架で祈りました。全世界はこの無条件の赦しのもとにあります。小さな「隔ての中垣」を作ってはいけません。また、イエスは自ら日常言語のアラム語で「アッバ」と祈ることによって、「真の祈りの家では、すべての人が自分の言葉で祈ることができる」と主張したのです。自宅で外国語や、よそ行きの言葉を使う人はいません。
来週の20日は教会暦においてはペンテコステと呼ばれる祝祭日です。キリストがよみがえらされたイースターから七週目の日曜日に、キリスト教会が誕生したということを記念する日です。
教会の誕生したペンテコステに、ユダヤ人の老若男女でヘブライ語を話さない人々が、教会をつくります。使徒ペトロ・ヨハネはエルサレム神殿で肢体不自由の人を歩かせ、祈りの家に招きます。サマリア人と共に教会を形成した使徒フィリポは、非ユダヤ人のエチオピア人宦官にバプテスマを施します(最初の非ユダヤ人キリスト者はアフリカ系)。使徒パウロは、非ユダヤ人と共に教会を形成し、各地の「家の教会」を支援しました。そして彼はエルサレム神殿に非ユダヤ人を連れ込んだという罪で逮捕され裁判を受け処刑されます。
紀元後70年、ユダヤ戦争によってエルサレム神殿は廃墟と化します。キリスト教会は(ユダヤ教正統も)、神殿崩壊と共には滅びませんでした。神殿を批判する理屈を常に持ち、「新しい祈りの家」をすでにつくりあげていたからです。キリスト者一人ひとりが、聖霊(アッバの霊)を宿す神殿であるという信仰です。わたしたちはもはや言葉を発さなくても良いのです。自分自身が祈りの家であり、神がそこにおられ、わたしたちの本心と語り合っているからです。霊の呻きに基づく黙祷によって、自分が祈りの家となります。さらに、場所ではなく二人・三人が集まるところにキリストがいるという信仰。真ん中にいるキリストの名によって祈る交わりが、すなわち「祈りの家(教会)」であるという信仰です。教会では自分たちの日常語で素直に祈り合うことができます。
今日の小さな生き方の提案は、いつでもできる個々人の黙祷と、誰もが入りうる交わりでの祈り合いによって、神なき絶望しやすい時代を切り抜けることです。虚無に屈さない霊性(品位)を祈りによってつくりましょう。神は建物に居られるのではありません。神は特定の力(経済力や政治権力)を間に入れなくては触れられない方ではありません。神はわたしたちの内に、また間におられます。自宅での雑談を重ねて、信頼関係を深めましょう。