ヨハネ福音書の著者ヨハネは、戦場ジャーナリストのように駆けずり回りながら、イエスの十字架と復活の記事を詳細に記録しています。「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」(2節)が、著者のことです。今日の箇所も、先に書かれたマルコ福音書を知りながら、それを修正しようとしてマルコ福音書に記載されていない事実を著者は述べています。たとえば、2節のマリアの台詞に「わたしたちには分かりません」とあります。この福音書ではマリア一人が墓に行ったように読めます(1節)。なぜ複数の主語なのでしょうか。著者は、マルコ福音書で三人の女性が墓に行ったことを知っているので、うっかりここだけを複数のままにしたのです。マリアに焦点を合わせる意識が強かったので(11節以降参照)、登場人物を減らしたのですが、整合性を図ることを怠ったということでしょう。これはヨハネがマルコを知っている証拠です。
そして著者は、「墓に行ったマリアらが恐怖のあまり誰にも何も言わなかった」のではないと、マルコに反論します(マコ16:8)。大方の学説にならって、マルコ福音書は元々16章8節で終わっていたとわたしも考えます。そうだとすれば、イエスの十字架と復活を信仰の対象とするキリスト教会が生まれたことの説明にはなりません。三人の女性以外にイエスの復活を知らされないことになるからです。おそらくマルコの意図は、「問いを開いたままにして物語を終わること」にあるのでしょう。
ヨハネはそこに噛みつきます。誰かが復活の証言をする者でなくては理屈に合わないし、史実とも異なるという主張です。ヨハネによれば、彼女たちは、著者ヨハネとペトロに、「イエスの遺体が無い」ということを告げたのだと言うのです。「主が墓から取り去られました」(2節)。直訳は「主が墓から上げられました(アイロー)」です。同じ動詞がまたもや登場しています。イエスは十字架に上げられ(19:15)、十字架から上げられ(19:38)、墓から上げられます。十字架と復活は二つで一つの出来事です。二つがあいまってイエスが上げられる/栄光を受けるという事態となるのです。著者は、さまざまな人々が十字架と復活に関与していることを示し、神の計画が進んでいること・イエスが上げられていく様を描いています。マリアの言葉には文学的仕掛けがあります。
また著者は、自分自身とシモン・ペトロが墓までかけっこをしたという細かい事実を紹介します(3節以下)。どちらが先に着こうが、どちらが先に墓に入ろうが、わたしたちとしてはどうでも良い感じがします。しかし著者にとっては重要なことです。なぜかと言えば、この記事は全体としてペトロを批判しているからです(後述)。ここに著者の立ち位置があります。つまり、この記事はマルコの知らない史実であると同時に、著者が書いた時点での教会の状況や、ペトロとヨハネとの関係をも示しています。このような視点で、二人の弟子が空の墓を見に行った出来事を考えてみましょう。
ペトロとヨハネの二人組は、祭司長アンナスの屋敷の中まで入ったことがありました(18:15以下)。そこでヨハネは、ペトロが三度イエスを知らないと言ったスキャンダルを目撃したのでした。そして夜が白み始める頃に二人ですごすごと仲間たちのもとに帰ってきました。ヨハネはその後、三人の女性たちと共に死刑場まで立会い、イエスの母を引き取る約束も交わします。またヨセフやニコデモと共に埋葬まで行います。ペトロは、死刑場に行っていないし埋葬にも参与していません。
マリアやヨハネが墓の位置を知っているにもかかわらず、ペトロは墓の位置を知らないということです。だからヨハネが先に着くのは当たり前のことなのです(4節)。ペトロには汚名返上の意識があります。三度否定したことを、どこかで挽回しようと考えています。その意味でペトロが頑張って「一緒に走った」(4節)ことは著者によってある程度は肯定的に評価されています。しかし同時に、十字架刑の場面に立ち会っていないという点で、著者ヨハネに遅れをとっていると全体として否定的に評価されているのです。
ヨハネは墓の中を外からのぞき、亜麻布を見ます。彼も一緒に包んだ亜麻布なので、それがイエスのものであることをすぐに分かりました。ペトロは墓の中に入ります。彼は近くまで行って初めて亜麻布が置いてあるのを見ます。ヨハネはその後に墓の中に入り、亜麻布だけではなく、すべての状況を見渡します。自分が包んだ頭の部分の覆いが別のところに置いてあるのも見ます。どろぼうならばわざわざ亜麻布を剥ぎ取ることを墓では行いません。そのまま盗むはずですし、その後で剥ぎ取るはずです。これは泥棒の仕業ではない。
ヨハネは全体状況を見て、信じました。言い換えれば、イエスの姿のないままの状況でもキリストの復活を信じたということです。ペトロは、同じ状況を見ながら、キリストの復活を信じませんでした。ヨハネだけが信じたのです。29節には、「見ないのに信じる人は、幸いである」というイエスの言葉があります。著者の言いたいことは、そこに凝縮されています。復活のキリストの姿を目で見るのではなく、目で確認できない状況から、つまり見ないままに信じることが幸いだということです。ペトロに対してヨハネは優位に立っています。
旧約聖書の後支え、根拠となる聖句など知らなくても構いません(9節)。文字として見ていなくても、姿として見ていなくても、キリストが復活したということを信じることができるし、そのような者になれと著者は励ましています。
ペトロとヨハネの違いはそこにあります。このことは後の初代教会内部における、ペトロの仲間たちの考え方や生き方と、ヨハネの仲間たちの考え方や生き方の違いを示唆しています。歴史著作であれ聖書の文書であれ、すべて書物というものは書き手の生きている時代に向けて、著者の発信したいことが書かれるものです。ペトロとヨハネは、同じ十二弟子・十二使徒としてキリスト教会の創設に深く関わりました。多くの学者はこの二人はずっと同じ考え方や生き方で協力していたと想定します。しかし、わたしは後に二人は別々の道を歩んだのではないかと推測しています。
ペトロは「自分が生前のイエスを見た」ということを誇りにするところがありました。最初に弟子になったのは自分だという主張も持っていたと思います。マルコ福音書の冒頭で最初の弟子となったペトロは(マコ1:16)、マルコ福音書の最後で特別に「弟子たちとペトロに告げなさい」(同16:7)と名指しされています。復活のイエスを見たのもペトロは最初だったように思えます。同じ言い伝えを、パウロも共有しています。「キリストが・・・三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れた」(Ⅰコリ15:4-5)と書いているからです。
ペトロは生前のイエスを最初に見て最初に弟子になり、復活のキリストを最初に見て最初にキリスト者になったということを誇りに思っています。それが彼の権威の源です。そして権威を身にまとった人の周りには権威にひれ伏す人々が追従します。ありがたみのある実体験者が一番偉いという集団がそこに生まれます。ペトロとその仲間たちの教会形成は、権威主義に基づくものでした。「わかりやすい権威を見て信じる信仰共同体」です。エルサレム教会はそのような群れでした。次第にペトロから、イエスの実弟である「主の兄弟ヤコブ」へと中心は動きますが、考え方は同じです。ヤコブが血縁主義や民族主義という権威を身にまとっているからです。
この考え方は、ユダヤ人以外の人々に伝道していたパウロと強烈な葛藤を生みました。パウロは主の兄弟ヤコブおよびペトロと激しく対立します(ガラテヤ2章)。生前のイエスを見ていない人に向かって、生前のイエスを見たことがないパウロが伝道をしています。そこには、権威主義は通用しません。パウロは復活のキリストに出会ったと言っていますが、同じ場所にいた者でさえパウロに何が起こったのか分かりませんでした(使徒9章)。パウロは見ずに信じたのです。パウロが語る伝道は、共に礼拝の中で復活のイエスに出会おうということです。誰も見たことがない方を、また誰にも見たことを証明できない方を、共に礼拝し、この不思議な経験を等しく礼拝の中でしようというものです。見た人の権威にすがることは、ユダヤ人と非ユダヤ人の差別を生み出します。見えると言い張らない、見えないという共通の地平に立つ教会づくりこそ、もはや男と女という二分法がない、奴隷も自由人もないという伝道です。
ヨハネは、エルサレム教会の柱の一人でしたが、このパウロとの論争を体験して次第に変わっていったのでしょう。パウロたちの言うことに一理があると考えたということです。だからペトロの権威主義、ヤコブの血縁主義を批判するために福音書を書いたのではないでしょうか。ヨハネ福音書はサマリア人・ギリシャ人に対して、また女性たちに好意的です。そして生前のイエスがサマリア人伝道を始めたとさえ語ります(4章)。マルコ福音書はガリラヤ地方への差別を主題にしています。ヨハネはそれだけでは足りないと考えています。非ユダヤ人への差別の課題、女性への差別の課題が克服されないと、ガリラヤ出身の男性ペトロの権威を打ち砕けないからです。
ヨハネ福音書はエルサレム教会から見れば内部告発文書です。実は最初の弟子はペトロではなく、アンデレと匿名の弟子であるとすっぱ抜きます(1章)。実は最初に復活のキリストに出会ったのはマグダラのマリアであるとすっぱ抜きます(20:11以下)。しかも、ペトロは空の墓を見ても信じられなかった、だめな弟子として描かれています。ペトロの影が最も薄い福音書です。全編を通じてほとんど登場しません。そこに著作意図があります。おそらくペトロの三度の否定というスキャンダルを、マルコ福音書が書かれる以前に流布したのは、著者ヨハネでしょう。
こうして、エルサレム教会からも(後に消滅)、またパウロ主義の教会からも(後に正統となる)、距離を置いたヨハネの群れができます。その主眼は、見える権威にすがりつかない生き方にあります。「エゴー・エイミ(わたしはある)」という態度を身につけることです。復活のキリストを見ないままに信じるということは、他の頼れそうなものを振り捨てる生き方・穏やかで毅然とした生き方です。「空の墓」というものは、見ないで信じる人のための装置なのです。
このヨハネの主張に倣うことが、今日の小さな生き方の提案です。わたしたちはついつい偉いと言われる人の言葉に耳を傾け、偉くなさそうな人の言葉を軽んじることがあります。原発事故の時にも「専門家」が権威をかさに、誤った情報をわざと流して、誤った方角に人々を導いていました。偉い学者の説の方が説得力を持っているように勘違いします。原発事故の前にも勇気ある内部告発はありましたが、多くの人は耳を傾けず、安全神話・必要神話の中にいたのです。神学の世界、キリスト教の内部でも似たようなことは今もあります。偉い学者の注解書の言葉だけを信じ込んだり、独自の解釈を独自だという理由だけで軽んじたりすることがあります。聖書を読んで愛を知り、愛を基準に自分の頭で解釈し、その解釈通りに愛することをおすすめします。それが見ないで信じる幸いな生き方だからです。少数者であっても良いでしょう。良心的に生きる少数者であれば、それは幸いな生き方です。