こうして福井教会のみなさんと共に礼拝を捧げることができて感謝です。平良牧師との関係を軸に自己紹介をさせていただきます。平良牧師家族とは1989年以来仲良くお付き合いをさせていただいています。西南神学部の一学年上の先輩であられ、西関東連合の富士吉田伝道所に赴任されたので(1992年)、その縁もあって隣県松本蟻ケ崎教会に私は赴任いたしました(1993年)。その時小学生だった牧さんや健太郎さん、その頃生まれた富希さんや、その子どもたちとこうして共に礼拝できることに不思議な感覚を覚えています。村上協力牧師と妻は1995年に同学部を卒業しています。平良ご夫妻は私たち夫婦の結婚式の証人代表です。
もう少し勉強したくなって平良さんより後から来たのに先に辞めて、1999年から2002年まで米国に留学させていただきました。フーシー夫妻と同じマカフィー神学校です。帰国してからは2002年から2013年まで東京の志村教会、その後現在の泉教会で牧師をしております。
平良牧師は富士吉田伝道所の会堂建築と教会組織・連盟加盟、その後平尾教会で安定的にご活躍をされていましたから、てっきり福岡でお孫さんたちとの余生を楽しむかと思っていました。ただある時電話があって、「城倉さん、ぼくね、移動するんよ」と打ち明けられた時には、わたしは早押しクイズのように即座に「福井教会!」と当てることはできましたが。そして喜んで福井教会の祷援会の呼びかけ人に夫婦ともども加えさせていただきました。ささやかな恩返しと思っています。
ともかく一度福岡に集められ、全国に散らされ、時々会えるということは大きな恵みです。それは平和というものの一つです。平和とは何か、友人たちとの交わりです。そして、主イエス・キリストの周りに座って、礼拝を共にする、これもまた平和の一つです。
本日の聖書の箇所は平和というものを教えています。それは全ての者が等しく食べることです。漢字で、ノギ偏は穀物を表すそうです。和の字はノギ偏に口と書きます。平等に米やパンを口にすることなのだと思います。それをイエスは実現する救い主です。
ガリラヤ湖の向こう岸であったことです(1節)。病人たちを奇跡的に癒したイエスのもとに大勢の群衆が集まってきます(4節)。成人男性だけで五千人いたというのですから、女性や男女にくくられない人々や子どもたちを含めれば、全体で15,000人ほどいたかもしれません(10節)。イエスはフィリポという弟子を試します。「この人たちを食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(5節)。ガリラヤ湖の向こう岸は、ギリシャ語を話す人が多かったことでしょう。フィリポは同じ地域のベトサイダという町の出身で、ギリシャ語が上手な人です(12章20-21節)。後にギリシャ語を用いるキリスト者指導者ステファノと同志となる人物です(使徒言行録6章以下)。土地勘があり、ギリシャ語を用いて自分が買い物に行くことをフィリポは想定しました。そして人数と物価を考えて「めいめいが少しずつ食べるにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(7節)と答えます。自分事にしているという点も誠実で好感を持てます。一デナリオンは一日の労働賃金と言われますので約200万円ほどでしょうか。15,000人と考えれば妥当な見積でしょう。
イエスはフィリポを試しただけなので、それ以上対話を深めません。イエスが何を求めているのか、弟子たちは(性別/年齢の幅/言語等文化の違いは関係なく)、あるいは群衆の一人一人も自分の頭で考え始めます。この15,000人の交わりをどのようにすべきか。お腹が空いてきて段々雰囲気が悪くなっているこの集まりに対する自分の責任を考え始めるのです。
そこにアンデレという弟子が発言します。ヨハネ福音書によればアンデレは一番弟子です(1章40節以降)。そして兄シモン・ペトロが二番弟子、フィリポは三番弟子。この三人は元々ベトサイダ出身です。アンデレという名前も(実はシモンという名前も)ギリシャ語風なので親の代からアンデレもギリシャ語が上手です。彼はギリシャ語を話す群衆の中から、「大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年」(9節)を紹介します。
ギリシャ語話者である少年は自分で発案したのでしょう。「イエスさまが求めていることは、私がパンと魚を提供することではないか」と、考えたのは彼です。アンデレは仲介者・通訳のような役割で、少年をアラム語話者であるイエスの前に連れて行ったのでしょう。「確かにイエスはこの15,000人の空腹をどうにかしたいと思っている。しかもパンを買うことではない方法で、多分みんなが食べ物を出し合うことで、解決しようと思っている。この少年の考えの方向は合っている。」「けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」(9節)。アンデレにはこの少量の食べ物は、焼け石に水であるとしか思えません。あるいはアンデレは、「この少年の弁当を取り上げてはいけない、誰にも分けずに彼が食べるべきだ」と考えたのかもしれません。
一人一人が一期一会のこの交わりの改善について、自分の頭と自分の手を使って考え始めた時に、イエスは全員を草の上に座らせます(10節)。そして食前の感謝のお祈りを神にささげます。その他の福音書では弟子たちを配る係に任命しますが、ヨハネ福音書のイエスは自分だけがパンと魚を分け与える係です(11節)。実践的には、おそらく自分の周りにいる人々に分け、そこからその人々が周りの人に分けていったのだと思います。一人で15,000人に配ることは時間的に不可能でしょう。一人につき3秒でも4時間以上かかります。おかわりが欲しい人は周りの人に欲したのでしょう。人々は満腹するまでおかわりができました。不思議なことにパンも魚も全ての人が満腹するまで尽きなかったというのです。言葉がうまく通じないために不機嫌だった人も、いなくなります。満腹こそ平和です。
私の母(1940年生まれ)の戦争についての最大の思い出は空腹だったそうです。母の父は伊豆大島の牧師で教会員が礼拝に集まらなくなったので、献金収入が途絶え文字通り食えなくなりました。一時牧師を辞めて岐阜県にあった父の実家に疎開することになります。空腹や飢餓は平和の反対語です。
イエスや成人男性弟子だけがこの「しるし」(奇跡のこと。2・14節)ができたのではありません。ギリシャ語話者もやもめも排除されていません。ここに集まった15,000人が全員、隣の人のおかわりを配給できる人となったのです。お互いに。これは楽しい出来事です。食べさせる人と、食べる人は、同一の人です。民主政治のことを、治者と被治者の自同性などと言います。くるくると統治者が交互に変われば、全員が統治しているということになります。平等な関係がここに生まれます。イエスも含め王はいない。同じように空腹だったイエスもまた同じように満腹になるのです。
私の父(1932年生まれ)の戦争についての最大の思い出は価値観の転倒だったそうです。天皇のために生きかつ死ぬという価値観の押し付けが平和の反対語です。王がいるところ、支配と被支配の関係のあるところに平和はありません。「人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしている」ことを察して、イエスは逃げ出します(15節)。イエスの食卓では全ての人が給仕役になることが求められ、王や支配者になることが禁じられています。
ただしパンを割くこの方式には問題があります。人々がパンをちぎって分ける時に、パン屑が発生してしまうことです。魚にはそれが起こりませんが、パンは乾燥しているのでパン屑が少量ずつどうしても出てしまいます。「草がたくさん生えていた」(10節)と書いてある伏線が、ここで回収されます。「少しも無駄にならないように、残ったパン屑を集めなさい。」(12節)。イエスは蒔かないところから刈り取るような酷な方ではありません。大人も子どもも草の上にあるパン屑を、地に落とさないよう草を使って回収していきます。これは結構楽しい作業です。幼稚園の運動会でも行うのですが、紅白玉入れ競技の後の片付競争のようなものです。子どもの方がうまいかもしれません。言語的障壁は問題ではなくなります。人々は遊びに興じます。すると「残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった」というのです(13節)。
「問題」というものは別の方角から見ると「遊び」になりえます。問題を再び見直して、事柄を再び(re)創造する(create)ことがre-creationです。イエスは深刻な問題を遊びに変える機知とユーモアに富んだ方です。
平和というものは楽しいものです。ユーモラスであり、みんなで結果を楽しむことができるものです。そして15,000人の人々は、「さて、この十二の籠にいっぱいのパンをどのように用いるか」ということを、わいわいと話し合ったと思います。動物たちにあげるか。違う料理にして人間が食べるか。イエス一行の旅の弁当にするか。病気の人々、貧しい人々に届けに回ろうか。福井教会の「夕焼けこやけ」で使ってもらおうか。奇跡的に与えられた余剰について(それを「恵み」と呼びます)、話し合うことも平和の一種でしょう。
最初期の教会で用いられていた、五つのパンと二匹の魚が描かれた晩餐台が発掘されています。初代教会は毎週の礼拝で晩餐を行ないました。その根拠聖句は、最後の晩餐記事と群衆への給食記事です。四つの福音書全てに記載されていることがその重要性を示しています。
今回の合同礼拝の内容を話し合う場面で、平良牧師に「なんで毎週主の晩餐をやってるの」と聞かれました。それは泉教会が自由に陪餐できる主の晩餐を2014年度以来毎週の礼拝要素として大切にしているからです。それにより古代教会の継承がなされ、毎週の礼拝がキリストの平和の実現となることを願っております。2015年4月5日イースターに一人の子どもがバプテスマを受けました。教会にとって17年半ぶりの喜びでした。当然に配餐奉仕当番に入り、彼女が初めてパンとぶどう酒を配った時のことが忘れられません。全ての大人も子どももニコニコして、喜んで受け取ったものです。深い満足と満腹、永遠に渇かない水を飲む経験となりました。今思い出しても楽しいからです。
全ての人にとって等しい交わり、全ての人が満腹する交わり、それが平和です。人数が多かろうが少なかろうが、礼拝儀式の中であろうがその外であろうが、精神的な満足であろうが身体的満腹であろうが。実に平和とは、今ここで起こっていることです。平和とは、福井教会が行っている「共に食べる働き」の真っ只中で起こっていることです。
今日の小さな生き方の提案は、イエスの食卓を広げるということです。この合同礼拝で、福井教会と泉教会の食卓が地続きになったことを感じています。オンラインの効用です。わたしたちは日本一暇な教会を目指しているので、福井教会のように活動的ではありません。会議も行事もパーティー以外はほとんどありません。今回は貴重な機会を与えていただいたと思っています。どうぞ東京にお越しの際は、お立ち寄りください。主の晩餐と、きわめてゆるい交わりで歓迎いたします。そのような仕方で、共にキリストの平和を実現する交流を続けさせていただければ幸いです。