籤による分配 民数記26章38-56節 2025年7月6日礼拝説教

【はじめに】

十二部族の人口調査の最後の場面、ベニヤミン・ダン・アシェル・ナフタリ諸部族を取り上げます。イスラエルという民は、ヤコブ(別名イスラエル)の四人の妻(レア・ラケルジルパビルハ)から生まれた十二人の息子たちと一人の娘の子孫です。ベニヤミンは、十三人うちの末っ子でありラケルの次男です。ダンはラケルの召使ビルハの長男です(全体では五男)。アシェルはレアの召使ジルパの次男です(全体では八男)。ナフタリはラケルの召使ビルハの次男です(全体では六男)。本日の四部族にはレアの子孫がいないという特徴があります。姉レアは十三人のうち七人を生んでいます。この四部族の塊は不自然です。妹ラケルラケルの召使ビルハを合わせて、「ラケル系諸部族」と呼ぶことがありますが、四分の三がラケル系という偏りもあります。四人の妻の内最も力が弱いビルハの子孫が半分を占めています。つまり最後の四部族は「マイノリティ」です。少数という意味だけではなく、力が奪われている人々という意味でもマイノリティです。

 

38 ベニヤミンの息子たちは彼らの諸氏族に応じてベラに属するそのベラ人の氏族、アシュベルに属するそのアシュベル人の氏族、アヒラムに属するそのアヒラム人の氏族。 39 シェフハムに属するそのシュファム人の氏族、フファムに属するそのフファム人の氏族。 40 そしてベラの息子たちはアラドとナアマンだった。そのアラド人の氏族、ナアマンに属するそのナアマ人の氏族。 41 これらは彼らの諸氏族に応じたベニヤミンの息子たち。そして彼らの数えられ続けている者たちは四万五千六百。 42 これらは彼らの諸氏族に応じたダンの息子たち。シュハムに属するそのシュハム人の氏族。これらは彼らの諸氏族に応じたダンの諸氏族。 43 そのシュハム人の氏族の全ては彼らの数えられ続けている者たちに応じて、六万四千四百。

【ベニヤミンとダン】

ベニヤミン部族は独特な歩みをしました。士師記19-21章によれば、「噛み裂く狼」(創世記49章27節)と評されるベニヤミンは、内戦によって徹底的に弱小化されました。最初の王サウルがベニヤミンから選出されたのはその小ささのゆえです。始祖ベニヤミンがヤコブの末っ子であることはその象徴なのです。ちなみにダビデ王もエッサイの末息子です。ベニヤミンはその後「北の十部族」の一員でありながら南ユダ王国(ユダ部族)と隣接していたことからいつの間にかユダと一体化しアッシリア捕囚を免れます(前721年)。北王国は滅亡しますがベニヤミン部族は存続するのです。預言者エレミヤはベニヤミンの出身です(前7-6世紀)。彼は非国民と罵られても国際的視野に立ち自国の滅亡を警告し続け少数者の自由意見を貫いたのでした。この諸国民の預言者エレミヤの系譜を継いだのが、非ユダヤ人の使徒パウロ(サウル)です。

ダン部族も個性派です。聖書地図「3 カナンへの定住」によればベニヤミンの左隣と、ガリラヤ湖の北に「ダン」が載っています。当初ベニヤミンの西をうろうろしていたダン部族は、かなりの距離を移動して約束の地の北端に定住することとなったのです(士師記17-18章)。このような部族は他にありません。ダン部族の英雄は士師サムソン、裁判官でもなく軍事指導者でもなく、つまり「士師」という枠に縛られない自由な個人です(同13-16章)。ダンには「シュハム人」という氏族しかないのに(一人っ子?)、人数的には多いということも示唆的です(六万四千四百)。神は単独者を祝します。

多数派と異なる言動を採ることによって、少数派となってしまうことがわたしたちにはありえます。初代バプテストもそうだったと思います。聖書はそのような人々にも光をあてています。多数でないことは無価値を意味しません。

 

44 アシェルの息子たちは彼らの諸氏族に応じてイムナに属するそのイムナ人の氏族、イシュビに属するそのイシュビ人の氏族、ベリアに属するそのベリア人の氏族。 45 ベリアの息子たちに属する、ヘベルに属するそのヘベル人の氏族。マルキエルに属するそのマルキエル人の氏族。 46 そしてアシェルの娘の名前はセラ。 47 これらは彼らの数えられ続けている者たちに応じたアシェルの息子たちの諸氏族。五万三千四百。 48 ナフタリの息子たちは彼らの諸氏族に応じて、ヤフツェエルに属するそのヤフツェエル人の氏族。グニに属するそのグニ人の氏族。 49 イツェルに属するそのイツェル人の氏族。シレムに属するそのシレム人の氏族。 50 これらは彼らの諸氏族に応じたナフタリの諸氏族。そして彼らの数えられ続けている者たちは四万五千四百。 

51 これらがイスラエルの息子たちの数えられ続けている者たち。六十万千七百三十。 

【アシェルとナフタリ】

ダンが北端に移動したことによって、ビルハの子孫たち(ダンとナフタリ)は約束の地の北に固まります。イスラエルの中央から見れば最も周縁であり、イスラエルの外側から見れば最も国際的な位置です。彼らは決して長男ルベンの近くに寄りません。母ビルハがルベンに強姦されたからです(創世記35章22節)。ヨルダン川東岸に留まるルベン部族と行動を共にしたのは、レア系部族ジルパの長男ガドでした。ジルパの次男アシェルは、ビルハの子どもたちと共に歩み、ヨルダン川西岸に住むのです。フェニキアに接する海辺がアシェル部族の土地です。こうして、ダン・ナフタリ・アシェルは北西の地域に固まります。

アシェル部族は珍しく女性の名前を紹介しています。「アシェルの娘の名前はセラ」(46節)。創世記46章17節にもセラは紹介されていますから、傑出した人物だったと推測できます。レアの娘のディナと同じ扱いです。アシェル部族には他に有名な人物はいません。しかし、新約聖書の時代にアンナという女性の預言者がアシェル部族の子孫として紹介されています(ルカ2章36-38節)。不思議な記事です。北の十部族はベニヤミン以外消滅したはずだからです。またアンナ(ハンナ)はエフライム部族のサムエルの母の名前だからです。アンナはなぜアシェル部族出身・「アシェルの娘」と名乗ったのでしょうか。「セラ」(「誇り」の意)を記念しようという意思や、名を奪われがちな女性たちの尊厳を守るたたかいが垣間見えます。テュロスの母娘(マルコ7章)にも通じる矜持です。

ナフタリ部族の英雄は士師バラクです。軍事指導者である彼は、同じラケル系エフライム部族の預言者デボラの統率によりカナン人に対して奇跡的な勝利を収めます(士師記4-5章)。バラクは自分だけでは強大な軍事力を誇るカナン人の九百両の戦車には勝てないことを知っていました。デボラの諸部族に呼びかける政治力や、神の引き起こす奇跡(暴風雨)が必要です。彼は謙虚です。バラクはマッチョな指導者でもなく、女性にマウントを取るタイプでもありません。彼の謙虚さはラケル系部族の中の最も小さい存在という低さから出ているものかもしれません。

なお1章の一回目人口調査の総人数(603,550人)と、26章の二回目人口調査の総人数(601,730人)はほとんど変わりません。微減程度です。

 

52 ヤハウェはモーセに向かって語った。曰く、 53 これらのために嗣業におけるその土地は、諸名前の数において分けられる。 54 多数者に貴男は彼の嗣業を多くする。そして少数者に貴男は彼の嗣業を少なくする。各人は彼の数えられている口〔人口〕に応じて彼の嗣業を与えられる。 55 ただ籤のみによって彼はその地を分けられる。彼らの父たちの部族の諸名前に応じて彼らは継ぐ。 56 その籤の口〔指示〕に基づいて、多の間で少のために彼の嗣業は分けられる。

【人口比例原則と抽選制】

約束の地における土地の配分について、二つのルールが混在しています。一つは数が多い部族は広い土地が与えられるというルールです(53-54節。人口比例原則)。一人当たりの居住面積ということを考えると、人口比例原則は公平です。もう一つは、諸部族が大まかにどの位置に住むべきかを籤引きによって定めるというルールです(55節。抽選制)。籤は神の意思を示すと信じられていたし、その偶然性の方がかえって「公平」という場面があるからです。つまり力ある者の「力の濫用」や身分の永続を許さないということです。

現代の選挙に重ねても示唆深い二つのルールです。比例代表制は小選挙区制に比べて死票が少ないので納得が調達されやすいものです。「応分の多・応分の少」の方が、「3割の得票率で7割の議席獲得」よりもましです。また、「身分制」のような世襲議員による支配よりも、裁判員裁判制度のように無作為抽選で選出される人が代表であることの方が、ある意味で公平です。特に政治的権能を持たない国の象徴などは毎年抽選で決めた方が良いかもしれません。平均的な人物こそが全体を象徴する人物とも言えるからです。

56節は私訳のようにも訳しえます。この末尾は二つのルールを調整する役割を果たしています。始祖の名前を冠した籤引きで大まかに場所が決まった後(②抽選制)、複数部族間で境目を調整しなくてはいけません。多数のために少数が土地を譲らなくてはいけないからです(①人口比例原則)。もしも多数と多数の部族に少数が挟まれたらどうなるのでしょうか。「多の間で少のために彼の嗣業は分けられる」という調整が必要です。人口比例もあまり厳密にし過ぎずに、少数者のためには融通を利かせるということです。例えば、荒野の四十年で激減したエフライム部族(40,500人→32,500人)が、激増したベニヤミン部族(35,400人→45,600人)よりも広い土地を得ていることは、この調整の結果でしょう。

 

【今日の小さな生き方の提案】

聖書の神は最も小さくされた者を注目し続けておられます。それと同時に、一つ一つの被造物の個性や、一人ひとりの人間の個性をも、よく見ておられ、そのままの形で愛しておられます。今回の四つの部族は、それぞれに個性的です。そのそれぞれの個性が尊重され、それぞれに自由が保障されています。そうでなければ少数者は立ち行かなくなるでしょう。愛の神はわたしたちをそのように見ているので安心です。だからわたしたちも隣人をそのような寛容な目で見るべきです。

自由を基礎に公平とは何かを考えます。税金の取り方の公平、再配分の公平、地域間・世代間の公平、そもそも代表の決め方も公平でなくては…。膨大な調整が必要です。この調整を政治と呼びます。聖書は十二部族社会の人口調査を通じて、社会全体を捉えるようにと教えています。分かりにくい仕組みを把握しましょう。さらに仕組みの狭間で苦しむ人が増えない調整をするように、自治の担い手になるようにと聖書はわたしたちに促しています。