金の子牛 使徒言行録7章40-45節 2021年4月11日礼拝説教

イースターを挟みましたが今週から使徒言行録に戻ります。ステファノという男性の弁明が7章全体にわたって行われています。これは裁判の場面です。ステファノは逮捕され訴えられ被告席にいて抗弁をしています。紀元後31年か32年ごろの出来事です。彼が訴えられている理由は新興宗教であるキリスト教(ユダヤ教ナザレ派)の指導者であるからです。場所はエルサレム。現在もイスラエルの首都ですが、当時もユダヤ人自治政府の首都でした。クリスマス物語でもおなじみのローマ帝国が現在のパレスチナを植民地支配していたのです。現在のアメリカと日本のように、ユダヤ人政府はローマ帝国の機嫌を損なわないように統治をしていました(たとえば人口調査)。

二千年前のことですから三権分立や政教分離原則という考えがありません。政治と宗教のトップは一致しています。ユダヤ人政府においてユダヤ教大祭司が国会議長・最高裁長官です。国会と最高裁も同じ人々で成ります。当時の正統ユダヤ教の指導者たちが、政治・行政・司法の指導者たちでもありました。

この人々にとって、首都エルサレムで急激に数を増やしているキリスト教はじゃまな存在です。「正統」ユダヤ教から見て、ナザレ派は「異端」のようにも見えます。聖なる神殿、聖なる正典、聖なる民族を軽んじているように見えるからです。伝統的な社会秩序を脅かす新興宗教と映ります。

特にステファノです。彼はユダヤ教徒に改宗した非ユダヤ人かもしれません。さまざまな言語・系列の正典を駆使して、説教をします。彼の自宅を用いた教会にはギリシャ語圏・アラム語圏の外国人が大勢集まっていたことでしょう。そこで、自由に旧約聖書を解釈し、「ここにも十字架と復活のイエスが予告されている」と解き明かし、種々雑多なエスニック料理を共に食べるという礼拝がなされていました。神殿も祭司も不要です。

政教一致した政府は思想弾圧を簡単にできます。どんな宗教でも政治と宗教が癒着すると、「正統」以外の思想信条は弾圧されやすいのです。ユダヤ政府はステファノを逮捕し訴え、「異端」であるかどうかを調べる裁判を行います。その中でステファノは、非常に長い弁明を行います。それは最初期のキリスト教会がどのように旧約聖書を読んでいたのかを知る貴重な一次資料です。

40 (彼らは)アロンに(以下のように)言った。「あなたは私たちのために、私たちの前を行く神を作れ。というのも、私たちをエジプトの地から導き出したあのモーセがどうなったのか、私たちは知らないからだ」。 41 そして彼らはこれらの日々において子牛を作った。そして彼らは偶像に犠牲を捧げた。そして彼らは彼らの手の作品を喜び続けた。 

旧約聖書の出エジプト記32章の物語がここで要約されています。エジプトの奴隷だった民が神によって自由とされた時のことです(紀元前13世紀)。ヘブライ/イスラエルと呼ばれるこの民が後のユダヤ人です。指導者モーセが留守をしていた時に、アロンというモーセの兄に、神を作れというのです。見えない神ではなく、見える像を作ってそれを礼拝させよと。モーセがいる時は見えない神への礼拝というものを行っていました。動物を犠牲にして燃やして煙を天に届かせて、見えない神がその匂いを嗅ぐという礼拝です。

当時牛は五穀豊穣・子孫繁栄の象徴でした。そこでアロンと民は「金の子牛」を作って、その像に向かって犠牲を捧げ、ひれ伏し礼拝を始めたというのです。見えない神ではなく、見える神があてになるという信仰です。

42 さて神は向きを変えた。そして彼は彼らをして天の軍勢を礼拝させるままにした、預言者たちの書に書かれているように。「あなたたちは私のために獣や犠牲を捧げたか、荒野における四十年間で、イスラエルの家よ。 43 そしてモレクの幕屋と、ライファン神の星を、あなたたちが彼らを礼拝するために作ったかたちを、あなたたちは担いだ。そして私はあなたたちをバビロンの向うに移動させるだろう。」 

 42-43節は旧約聖書のアモス書5章25-27節を引用しています(紀元前8世紀)。出エジプトの五百年後のアモスは、「神は民に愛想を尽かしそっぽを向き、放っておいた」と言います。預言者というのは神の言葉を伝言する人々です。だから「私」は神、「あなたたち」はユダヤ人のことです。天の軍勢というのは太陽や月や星のことです。これらは主に古代メソポタミアで像を伴って礼拝されていたものです。

 ステファノの話はあちらこちらに飛んでいます。用いている旧約聖書もギリシャ語訳なので私たちが持っているアモス書(ヘブライ語からの日本語訳)とかなり異なっています。しかし筋としては一つです。人間の手で作った像が、神となりうるだろうかという批判です。むしろ聖書の神は、私たちを創った方です。担がれるのではなく、私たちを担ってくださり私たちを奴隷状態から運び出し救い出してくださる方。目にも見えず耳にも聞こえず手でも触れない方。その方を礼拝する人生に価値があるということです。

44 証の幕屋は私たちの父たちと共に荒野においてあり続けた。語る者がモーセに彼が見たかたちに従ってそれを作るようにと命じた通りに。 45 それ(幕屋)をまた私たちの父たちが受け継いで運び入れた、ヨシュアと共に異邦人の占領地において。彼ら(異邦人たち)を神が私たちの父たちの面前から押し出した、ダビデの日々まで。

 再び話はモーセと出エジプト時代に戻ります。見えない神を礼拝するためにどのようにすれば良いのかということが難問として残ります。いわゆる「ご神体」のような物が拝む対象として必要なように思えるからです。神そのものではないけれども、神を象徴する物がなければ、どこに向かってひれ伏したらよいのかが分からなくなります。神社への拝礼やムスリムが行っているひれ伏す行為が、聖書の礼拝スタイルです。自分を折り曲げて、神に向かって跪く姿です。神が見えないとなれば、どこに向かって拝めば良いのでしょうか。

ユダヤ人たちは「証の幕屋」という移動移設可能な簡易礼拝施設を用いました。そして礼拝の時間になると見えない神がそこに来て、礼拝をする者と会ってくださると考えました。「会見の幕屋」とも言います。待ち合わせをするデートのような考え方です。その幕屋をなぜ「証の幕屋」と呼ぶかと言えば、幕屋の中心部分に箱が置かれ、その中に十戒の二枚の板が収められていたからです。「証」と訳されている言葉の元々の意味合いは、「遵守されるべき命令」です。神の指示がそこにあるので、神がそこにおられることを象徴すると考えられたわけです。モーセやアロンのような代表者がその幕屋に入って、民に代わって見えない神に向かって礼拝しました。

結局見える物を礼拝に用いているようにも思えます。幕屋という礼拝施設や、箱という神がそこにおられることの象徴があるからです。また代表者だけの礼拝には寂しさを感じます。民はただ待っているだけなのです。

ここで重要なことは幕屋が移動可能であるということと、神は常に幕屋にいないということです。聖書の神は雲をつかむようなお方です。だから、「雲」というかたちで現れます。少なくともそのように表現されて、直視されません。雲は婉曲に神がそこにおられることを示す一表現です。その「雲」は、幕屋を自由自在に離れたり入ったりします。場所に固定されていないのです。十戒の入った箱すらご神体ではないということです。むしろ神と民とは待ち合わせをしなければ会えません。礼拝できません。礼拝とは神とのデートだからです。

ステファノはエルサレム神殿という荘厳な礼拝施設で毎日仕事をしている祭司たちを前にして、「この建物の中だけに神がいると考えるのは間違えだ」と言いたいのです。さらに言えば、「祭司という代表者だけが礼拝を仕切る」のも間違えだと言いたいのです。誰でもいつでもどこででも、人は神と待ち合わせをできます。一人でも礼拝できますし、二三人で集まって礼拝するならばそこは教会です。見えない神ということは、どこにでもおられる神という意味です。見えたらそこにしかいない神になるからです。

現在に当てはめて言うならば、厳かな礼拝堂を持つ教会にだけ神がいるということではないということです。日曜日のこの座席の時だけ神はいるのでしょうか。また、牧師だけが礼拝をする代表者なのか、牧師だけが礼拝を仕切るべきなのかという問いです。バプテスト教会は断固、「否」と答えるのです。そうではなく、今日私たちは各個人が自立した礼拝者として神と待ち合わせをして一時間ほどここで見えない神と出会っているのです。幼稚園の礼拝であっても神と出会うことはできます。高尾山山頂であってもそうです。牧師がいようがいまいが、私たちはそのような礼拝を行うことができます。牧師は各個人を代理することも代表することもできません。その人だけが、その人と神との礼拝を行うことができるのです。

ステファノという人は祭司ではありません。専門的宗教者ではなく説教も晩餐もしていました。神殿ではなく自宅で礼拝をしました。ユダヤ教徒の礼拝日ではなく当時平日だった日曜日の夕方に集まりました。ユダヤ人だけではなくさまざまな外国人を招いて伝道していました。かつて「雲」として荒野を民と旅していた、見えない神は、この交わりの中にいるという確信がステファノを動かしていました。これは当時のユダヤ教「正統」の枠をはみ出ています。

ステファノは幕屋が運び入れられた場所は元々非ユダヤ人たちの土地だったと言います。エルサレムという町もエブス人が住んでいました。ステファノの目には、かつて神に押し出された非ユダヤ人たちが、今神によって四方八方から招き入れられているように映っています。首都エルサレムには大勢の外国人が住み行き交っていました。神が、ご自身で創られたさまざまな人と待ち合わせをして、礼拝で会おうとしています。その礼拝の中では、一つの正統的な聖書を用いなくても良い。どのようなプログラム内容であっても良い。誰が説教や晩餐をしても良い。ただ一つ許されないことは、多様性を認めないこと、同調圧力をかけることです。ユダヤ人もステファノの教会にはいました。

「リベラル」という言葉があります。政治的左翼という意味に押し込められて使われています。また「リベラル」と自負する人が自分の意見を押し付けることがあります。リベラルとは自由であるということですし、多様な意見に開かれているという態度です。イエス・キリストを礼拝することは、偏狭な自己絶対化ではなく、さまざまな考えや視点や信条に寛容な姿勢を育みます。復活のイエスが目に見えない、自由な方だからです。神は像にも礼拝施設にも押し込められないし、私たちの固定観念を良い意味で砕いてくれる方です。

今日の小さな生き方の提案は、自由に生きるということです。ステファノのように。それは自由な神と共に生きる中で身についていくものです。私たちが神と隣人と待ち合わせをして毎週の礼拝を重ねていく時に、礼拝の中で突発的に起こる「初めての出来事」によって、私たちの頑固なものが柔らかくなるのです。世界は一つの正統とそれ以外の異端たちによって成るのではなく、すべての自由なる正統によって成ります。泉バプテスト教会といづみ幼稚園の歩みが、そのような自由を目指すものでありたいと願っています。