ガリラヤの領主ヘロデは、ルカ福音書3章1節と19-20節で、すでに登場していました。また8章3節にも少しだけ名前が出ていました。その時にはあまり触れなかったので、今日はヘロデについて深く掘り下げて考えてみたいと思います。その際に聖書以外の歴史書(ヨセフス『ユダヤ古代誌』)の情報も用います。また、この後の物語で登場するヘロデの姿も参考にして、人物像を描き出していきます(13章31-35節、23章6-12節、使徒言行録4章27節)。
聖書にはヘロデと呼ばれる人が何人か登場します。ルカ福音書1章5節の「ユダヤ人の王ヘロデ」は、通称ヘロデ大王と呼ばれる人物です。特にマタイ福音書版のクリスマス物語で有名なユダヤ人の王です。イドマヤ人とナバテヤ人の間に生まれたヘロデがユダヤ人の王に成り上がることができたのは、彼自身の才覚によります。うまくヘロデはローマの時々の権力者にすりより、ローマ帝国の後ろ盾を常につけることができました。このヘロデ大王が「ガリラヤの領主」ヘロデの父親に当たります。ヘロデ大王は紀元前4年に亡くなりました。余談ですが、ヘロデ大王の死亡年が確定しているため、イエスの誕生は紀元前4年より後にはならないのです。
今日のヘロデは「ヘロデ・アンティパス」と呼ばれます。ヘロデ大王は何回も遺言を書き直したり、その間に息子を粛清したり、後継者をくるくると替えました。末息子アンティパスは5回目の遺言では「王」の称号と共にすべてを相続するはずだったのですが、6回目の遺言で格下げされ、結局ガリラヤ地方とペレア地方の「領主(四分封領主とも呼びます)」となりました。ヘロデ大王の死後、同母兄アルケラオスがユダヤ地方とサマリア地方の「王」、異母弟フィリポがトラコン地方の「領主」となったのと同時に、アンティパスはガリラヤおよびペレアの飛び地の「領主」に据えられました(巻末地図参照)。なお、アルケラオスとアンティパスの母親マルタケはサマリア人でした。
三人の兄弟のうち、最も長く領主として君臨したのはアンティパスです。彼は紀元前4年から紀元後39年までの43年間もの長きにわたって領主でした。アンティパスの支配のうまさが伺えます。紀元前20年ごろに生まれ、紀元前8-5年にローマ帝国の首都ローマに留学もしています。そこで土木建築の技術や、統治の術を見につけたのでしょう。
ガリラヤ地方とペレア地方の大都市をローマ風に再建したのもアンティパスです。彼の鋳造した貨幣が発掘されています。そこに彼の統治の工夫が見られます。アンティパスは自分の肖像もローマ皇帝の肖像も浮き彫りにしなかったのです(20章24節参照)。彼の発行した貨幣には、植物だけが描かれていたり、自分や皇帝の名前だけが刻まれたりしています。ユダヤ人たちは像を嫌います。為政者の肖像は「鋳像の神々」になりうるからです。そのユダヤ人民衆に配慮して、アンティパスはあえて貨幣に肖像を刻むことを控えたのでした。
「ヘロデ派/党」と呼ばれる集団は、ガリラヤとペレアに拠点を構えた、アンティパスを支持する「地域政党」のような集団と言われます。東京・生活者ネットワークのようなものです。彼の人気の高さが分かります。ユダヤ人ではないのにユダヤ人から支持されていたことに、彼のポピュリストぶりが示されています。ガリラヤは反ローマの武装蜂起が多く、ゼロタイ派(熱心党)の勢力も強い地方でした(使徒言行録5章37節)。その地域で43年間も領主を続けるためには、アメとムチの使い分けが必要だったことでしょう。
ある意味で上手に統治をしていたはずのアンティパスの運命が変わるのは、ナバテヤ王女だった妻と別れ、異母弟フィリポの妻ヘロディアを自分の妻とした時からでした(紀元後30年)。これを理由にナバテヤ王から軍事攻撃を受け敗北をしてしまいます。またヘロディアにも勧められ、ローマ皇帝に「ユダヤ人の王」の称号を要求し、それを理由にライバル(甥アグリッパ)から訴えられて、ローマ帝国によって流刑に処され、そこで死んでしまうのです。
聖書外資料で知られるアンティパスは以上のような生涯を送った政治家でした。力と打算の政治の世界で結局破滅したのです。ルカはどのように描いているでしょうか。ルカ福音書は、マルコ福音書から伝わる否定的評価に、さまざまな角度を加えて領主ヘロデをさらに批判しています。当然、ヘロデの末路も知っていてルカは福音書と使徒言行録を書いています。本日の箇所も、そのような全体のヘロデ批判から解釈していかなくてはいけません。
ヘロデは、バプテスマのヨハネを逮捕し処刑した張本人です(9節。3章19節参照)。その理由は、ヨハネがヘロデとヘロディアの結婚を律法違反であると批判したからです(レビ記18章16節、同20章21節)。先ほど申し上げたとおり兄弟フィリポの妻との結婚だったのです。ヨハネはイエスの親戚でもあり(ルカ1章36節)、イエスにバプテスマを授けています(3章21節)。非常に近い関係です。この意味で、ヨハネを殺したヘロデは、イエスをも殺すでしょう。先週の水曜日(灰の水曜日)からレント(受難節/四旬節)に入りました。ヨハネとイエスの苦難が同質のものであることを覚えたいものです。
事実ルカはイエス殺害の責任のかなりの割合をヘロデにも負わせています。「この都でヘロデとポンティオ・ピラトは・・・イエスに逆らいました」(使徒言行録4章27節)。このようにイエスの十字架をピラトとヘロデの合作と明記するのはルカだけです。ローマ総督ピラトも、ガリラヤの領主であるヘロデの許可なく、ガリラヤ人の血を流すことをしたくなかったのです(23章6-7節。13章1節参照)。ピラトはユダヤ人に不人気だったので、イエスを処刑する際にヘロデの人気の高さを利用したということでしょう。ヘロデもまたピラトに貸しを作る機会を利用したのでしょう。政治家というものは利害が一致すれば誰とでも仲間になります。政治家の行動基準は損得勘定だけだからです。
ルカ福音書6章6-11節に手の不自由な人の手を伸ばすという奇跡が記されています。その元になったのはマルコ福音書3章1-6節です。マルコ版を読むと、この時点でイエスを殺害しようとしてファリサイ派とヘロデ党が陰謀を企み始めます(マルコ3章6節)。ガリラヤでの活動の初期です。ルカ福音書13章31-32節にもアンティパスの企む暗殺計画と、それに対するイエスの批判が記載されています。「あの狐」と呼ぶことに、イエスの領主ヘロデに対する評価が示されています。狐は害を及ぼす動物であり(雅歌2章15節)、偽預言者のたとえとして用いられます(エゼキエル書13章4節。新共同訳は「山犬」)。13章はガリラヤからエルサレムへ移動する途中です。そして最後の22章。アンティパスは、イエス殺害に最初から最後まで関与しています。
皮肉なことに、ヘロデ党がイエスを殺す計画を立てているがゆえに、「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」はイエスに興味を持ち、イエスの弟子になってしまいます(8章3節)。ヘロデ党員である夫クザは、イエスを殺そうとつけ回していたはずです。「なぜ夫がそのような行動に出るのか」を妻ヨハナは自分の頭で思い巡らし、自分の判断で弟子となり、永遠の命を輝かせました。十字架と復活は常に表裏一体です。イエスを迫害する熱心は、イエスの復活の命をいただくことに反転することがありえます。元迫害者だった使徒パウロという人に起こったことは、ヨハナという女性に起こったことの延長線上にあります(使徒言行録26章1-18節)。
ヨハナはイエスの弟子になることができましたが、領主ヘロデにはそれができませんでした。なぜか。その理由は彼が領主だったからです。自分の支配にとって、イエスという人物は損になるか得になるか、損得勘定だけがヘロデの行動の物差しです。ガリラヤとペレアの民衆は、おとなしく支配されている限りにおいては世話をしても良いでしょう。個々人に人権は認められず、民衆は彼の支配欲を満たすための道具、または搾取の対象でしかありません。支持率が高いことは彼を喜ばせていました。だからこそヨハネやイエスが自分よりも人気を博すことは、彼にとって許せないことだったのです。
紀元後30年の時点で、ヘロデの支配は34年目になっています。長期政権は必ず絶対化し、絶対的権力は絶対に腐敗します。まず言論弾圧です。公然と批判するヨハネを逮捕し処刑します。そして弾圧をするための監視です。カファルナウムの会堂で行ったイエスのいやしが、領主の支配を揺るがすかもしれません。もしかすると身内のヘロデ党の中にもイエスの弟子が混じっているかもしれません。密告奨励の監視社会は長期政権の特徴です。
彼は人々の噂を非常に気にしています。大手報道が無い古代社会で、噂は第一級の情報であり、概して正しい情報であり、案外広まる速度も速かったそうです。7-8節は、ガリラヤの民衆の声です。今までのイエスと弟子たちの言行や(宣教・いやし・悪霊祓い)、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」「エリヤが現れたのだ」「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」という諸々のイエスに対する評価を、すべてヘロデは入手したので困惑しました。文法的に言えば、困惑の理由は、人々の発言を聞いたことまでを含みます。だから大量の情報をどう判断するのかが問われています。
イエスの危険性がヨハネのレベルまで達すると判断できたならば、領主ヘロデはイエスを殺すことにためらわないでしょう。公然と批判する人気者が一番邪魔者なのです。民衆が目覚めてしまったら困るからです。イエスは奇跡を行います。ヨハネと異なり、ヨハネより人気が出そうな情報です。イエスは「貧しい者は幸い」という福音を告げます。ヨハネと似ています。ヨハネの再来か、ヨハネ以上の邪魔者のように聞こえます。果たしてイエスとは誰か、何者か。領主ヘロデは、イエスを見たいと思いました(9節)。目的は殺すためです。つまり、監視行動を強めたいという気持ちになったということです。
「会ってみたい」の直訳は「見たい」です。ここにはイエスの教えを聞いて回心したいという感情は入っていません。せいぜい奇跡に対する好奇心ぐらいしかありません(23章8節)。そして実際イエスを間近で見たときにヘロデはイエスを殺す側についたのでした。そのヘロデも同じローマ帝国によって流刑にされ獄死いたします。
今日の小さな生き方の提案は、領主ヘロデのようではない生き方の勧めです。ヘロデほどでなくても社会に生きる人間はいくばくかの権力を委託されています。その権力を良く用いることです。いやしのために、再配分のために使うことです。力を誇り力に頼る者は力で滅び、支配欲の果てには破滅が待っています。支配のために血道を上げることはくたびれますし、最終的に幸いな人生となるかどうか、はなはだ疑問です。打算以外の行動原理も必要です。
十字架のイエスを救い主と信じることは、弱さを誇る生き方を身に付けることです。支配欲という罪を十字架につけ、「降りていく生き方」を選ぶこと、キリスト信仰を受け入れることです。永遠の命を得るようにすべての人が主告白へ招かれています。イエスとは誰か。わたしの罪を十字架もろとも磔にし、贖い解放する神の子・救い主です。わたしたちはイエスが主であるという噂・福音を今聞いています。この情報をどのように判断するべきでしょうか。ヘロデのようではない聞き方にすべての人が招かれています。