12/23今週の一言

2015年を象徴する漢字一文字が、「安」だったそうです。「ウ冠」の下に「女」と書く「安」という字は、「女は家に居ろ」という主張に読めて気に食わないのですが、おそらく「倍首相の下の全保障関連法成立」との連想なのでしょう。

敗戦後70年という節目の年、日本は大きな曲がり角を右側に曲がり、かつて来た道へと戻ったという感があります。堂々と武器の製造・売買をし、自衛隊に重装備をさせ、先制攻撃すらすることが可能になりました。しかも、その内容について政府は秘密にできるというのです。「解釈改憲の次は明文の改憲、しかも緊急事態条項の付け加えから」と、政権党は息巻いています。

「憲法の文言を変えよう」という主張はきわめて革新的なものです。国家の根幹を定めている最高法規を変えようというのですから。

この夏、路上で若者たちが声を上げました。「政府は今までの憲法解釈を変えるな」という主張です。驚くほどに保守的な叫び声でした。憲法の文言はもとより、長年政権党が作り上げてきた解釈改憲の積み重ねをも丸ごと承認しているからです。過激な変化を求める高齢者たち(国会議員のこと)に対して、立ち止まって考えようという若者たちが対峙するという図式が、とても印象深いものでした。敗戦からこのかた、この国の「保守対革新」のねじれ構造が先鋭化して露出したからです。

若者たちが「民主主義って何だ」と問うたことも意義深いものです。彼ら彼女たちが言いたいことは、「立憲民主主義がふみにじられている」ということでしょう。右も左も関係なく、主権者が憲法によって権力を縛る/権力は憲法に違反することが許されないという立憲主義を基に据えた民主主義が、この国には育っていなかったのです。本当の対立軸は「立憲対非立憲」なのでした。

さて、若者たちに触発されて、自分なりに応答したいと思います。民主主義とは「自治」です。国家権力はわたしたちの自治の大道具でしかありません。人口が少なければ、国の政策について、必要な法律について、裁判について全員の話し合いで決めることが自治の理想です。しかし1億人もいると物理的に困難なので、次善の策として代表者を選びます。憲法前文冒頭に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある通りです。

自治の小道具である政党政治が育たなかった70年ではなかったかと思います。歪んだ選挙制度がそれを後押ししています。「自分たちの代表が国会で一所懸命に法律を作っている」という信頼を持つ有権者/主権者がどれだけいるでしょうか。正当な選挙制度・健全な政党政治の育成を新しい年に望みます。 JK