2/3今週の一言

2月3日の「聖書のいづみ」では、マタイによる福音書9章32-34節を学びました。悪霊によって口が利けなくなっている人が、イエスの力によって悪霊を追い出され口が利けるようになったという奇跡物語です。

この物語は、「二重記事」よりも繰り返し頻度が高い「三重記事」です。おそらくマルコ7章31-37節に、元来の言い伝えが保存されています。マタイはかすかに15章29-31節にマルコの物語を埋め込みました。マルコの元来の物語には「悪霊」が登場しません。その一方で別の文脈に「イエスは悪霊の頭ベルゼブルか」という論争が登場します(マルコ3章20-29節)。

マルコはマタイとルカの元になった福音書です。そして、マルコの他にもマタイとルカには共通の伝承元(Q資料)があります。聞こえない人の癒し物語は、Q資料の段階で、ベルゼブル論争と結び付けられました。マタイ12章22-32節とルカ11章14-23節が、どちらも聞こえない人の癒し物語を、ベルゼブル論争の導入としているのはその証拠です。

マタイは、自分の福音書の12章22-32節の物語を、9章32-34節に圧縮して再録しています。こうして、ベルゼブルは登場しない、「悪霊によって口が利けない人の癒し物語」が現出します。福音書は、個々の伝承が編集者(たち)のかなり自由な裁量によって、置き換えられ・組み合わされ・圧縮され・拡大され・繰り返され・省かれなど、編集作業が施されながら形成された文書です。編集意図を探ることも聖書の使信を発掘することになります。

マタイの編集意図は、同種の物語を細かく何度も描くことにあります。左ジャブを繰り出された後の残像のようなものが、読者に刷り込まれる効果があります。そして、マタイが8章から9章にかけて「悪霊に取りつかれた者」について言及していることも重要です(8章14節以下、8章28節以下)。口の利けない者の物語は、悪霊の働きの例示列挙という役割も担っています。

編集の効果として、当時の人々が病気や、視覚障害・聴覚障害・肢体障害、精神障害・発達障害などの特性を、十把一絡げに「悪霊の仕業」と考えていたことが分かります。イエスの悪霊祓いは、「癒し」の一種だと観念されています。

今日このような「癒し」概念は不適切です。障害や特性は癒されるべきものではないからです。また、宗教が「奇跡的治癒」を売りにして、多くの人々から浄財をだまし取ることは、古今東西枚挙に暇がないからです。病気や障害を持つことは不自由であっても不幸ではありません。不幸にさせる社会が悪霊的なのです。JK