2018/09/19今週の一言

 9月19日の「聖書のいづみ」は、サムエル記上8章10-13節を学びました。神からの指示を受けた預言者サムエルが、イスラエルの長老たちに王制に移行する場合の「リスク」について警告をする場面です。王制移行に反対の意見を持つサムエルの心情が伺える内容です。士師(裁判官)による統治と、王による統治の違いが表れています。

 「王はあなたたちの息子・娘を、王のための仕事に取り上げる」というのがサムエルの大まかな主張です。ここに、政治制度の変更というものは、その事柄の性質上、「次世代以降に責任を負う決断」であることが明示されています。「息子・娘が負う義務」としているからです。未来世代への責任という視点は、わたしたちの憲法議論においても当てはまります。

 また、エジトの王(ファラオ)の奴隷から自由とされたイスラエルが、再び「王のために働く存在」となることへの嫌悪感も、サムエルの語り口からにじみ出ています。原文においては、「王のため」という目的を示す表現が頻出しています。「王のための存在」は、「王に所有される存在」ともなりえます。

 目的というものは人間を拘束します。たとえば組織や国家のためという目的によって、個人の自由への制約が正当化されることがあります。目的の達成のために駆り立てられる時に、わたしたちは何かの奴隷と化す危険を持ちます。

 王のための義務を細かく見ていきましょう。男性には、軍人(将校・兵士)になること、王の畑を世話すること(小麦畑・ぶどう園)、軍需産業に従事することが義務付けられます。女性には、香料士(調合士・薬剤師)になること、調理師になること、パン焼き職人になることが義務付けられます。

 男性と女性とで著しく役割が異なることが目に付きます。男性には「力仕事」が割り当てられています。いわゆる性役割分担です。香料士以外の女性の職業は、いわゆる出世コースではありません。「男社会」も、今日批判の対象となりえます。

 軍需産業が特記されていることにも注意が必要です。当時のイスラエルは支配者であるペリシテ人たちから鉄製の武器製造が禁じられていました(サムエル記13章19-22節)。ペリシテからの政治的独立は、国産武器の研究開発・製造という軍事力によって成し遂げられると考えられていたのでしょう。

アメリカによる政治的支配からの日本の独立は、どのようにしてなされるのでしょうか。自前の防衛力を持てば対等になれるのでしょうか。すべての剣を打ち直して槍とすることは、いかにして可能となるのか、祈りと知恵が必要です。JK