2019/04/10今週の一言

次週4/21に、幼稚園70周年・教会60周年記念礼拝を行います。歴史を振り返り、日本バプテスト連盟と泉教会との関係に焦点を絞って考えてみました。

第一期:1949-1966年。EBドージャー園長から玉木功牧師までの「保守本流」時代。連盟結成の立役者ドージャー宣教師の自宅から始まった恵泉教会といづみ幼稚園(下馬1-110)。1953年に恵泉教会が中目黒に移転した後も幼稚園は同じ場所で保育を続けました。さらに1957年に始まったドージャー家の家庭集会が1959年に恵泉教会の下馬伝道所となり、玉木牧師を迎えて同年教会組織。泉バプテスト教会が生まれます。日本バプテスト婦人連合(現女性連合)の中心的存在だった金子良恵さんは当初からの教会員でした。恵泉教会牧師・荒瀬昇連盟総主事(現在の呼び名は常務理事)も、下馬伝道所に参与しています。連盟加盟は翌1960年のことです。そして1962年に、下馬1-20-4の現在地に移転します。

第二期:1966-1987年。葛生良一牧師の時代です。この頃の教会形成のあり方は連盟の中で極めて急進的でした。教会は、按手礼を葛生牧師にしないことを選び、主の晩餐を止めました。またバプテスマも行わないことがありました。諸儀式に残る「秘跡的性格(宗教的ありがたみ)」を批判するがゆえの判断でしょう。連盟総会にもいくつかの教会提案を行っています。根本から問う議論の喚起という貢献を連盟に対してしていたのです。この頃の出来事として、1974年現会堂・幼稚園舎完成、1983年宗教法人格取得、1986年墓地取得が挙げられます。

第三期:1987-2004年。原口徹・吉高叶・中村尚子三氏の牧師時代です。葛生時代の急進的問いを理解しつつ、連盟一般の伝統と噛み合わせようと腐心していた時代です。吉高氏は後に連盟常務理事となります(2013-18年)。

第四期:2004-2019年。坂本幸子・田中仁一郎・佐田千絵子・城倉啓四氏の牧師時代。この時期、比較的短期間で牧師の交代が続きます。佐田氏を補佐するために加藤誠連盟常務理事が、協力牧師に就きました(2011-12年)。

泉教会には保守と急進が共存しています。最初期から最近まで連盟要人が泉教会に連なっています。9人の歴代牧師のうち女性が3人もいるのは連盟の中で先駆的事例です。「按手礼は礼典執行の資格要件ではない」という理解も今やかなり普及しました。わたしも按手礼を拒否しています。毎週の礼拝会衆が行なうことで、わたしたちは主の晩餐の秘跡的性格を相対化しています。同じ論法で就任の度ごとに教会から按手祈祷をしてもらう牧師も現れました。泉教会が投じた石の余波です。急進的な問いを持続可能な形にしていく途上に、わたしたちは今います。JK