2019/11/13今週の一言

ラグビーのにわかファンになりました。日本代表が多国籍であることに感銘を受けました。3年以上住民であれば代表になれるとのこと。外国人参政権、たとえば地方選挙権/被選挙権もその程度の条件に緩和されれば良いかなとも感じました。ましてやかつて日本国籍を有していた「特別永住者」の人には、日本国籍を有する人と同等の権利が保障されるのが当然でしょう。

南アフリカ共和国戦は、特別に感慨がありました。対日本戦、初めて南アの国歌を聞いた時のことです。よく知った歌が流れて一緒に歌うことができました。「神よ、アフリカに祝福を(Nkosi Sikelel’ iAfrika)」という曲です。30年前に、西南神学部の学生で『遠い夜明け(Cry Freedom)』という映画を観た後、感化・触発されてフルコーラスを合唱したものです。谷本仰さん(現南小倉教会牧師)が、耳から楽譜を起こして練習しました。件の映画は、アパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策に反対し抵抗運動を主導したスティーブ・ピコを主人公とした作品です。邦題は拷問死させられたピコの悲惨を前面に出していますが、「神よ、アフリカに祝福を」という歌のおかげで何か明るい雰囲気が支配していたように思い出します。

当時、「神よ、アフリカに祝福を」は国歌ではありませんでした。元々は賛美歌だったこの歌は、広くアフリカ諸国で抵抗運動のテーマソングとして歌い親しまれていました。いわばアフリカ黒人民衆の歌です。そのため白人政権に「反逆歌」として歌うことが禁じられていた時代もあったそうです。しかし1991年のアパルトヘイト政策からの転換、1994年の初の黒人大統領ネルソン・マンデラ誕生がきっかけで国歌に格上げされたのです。

嬉しくなりテレビと一緒に歌っていたら、知らない歌に突然変わり歌えなくなりました。全く別の曲が接続されているような感じです。「おや」と思って調べると、そこにはマンデラ大統領の粋な計らいと、政治的な知恵、一つの国家になろうとする熱い思いがありました。現在の国歌の後半は、1957年から1994年まで国歌「南アフリカの叫び(Die Stem van Suid-Afrika)」という歌だそうです。この歌も元々賛美歌ですが、いわば「白人の歌」として長らく国歌の地位を占めていました。

マンデラ大統領は、黒人の歌を白人の歌にすげかえることをしませんでした。全く異なる曲だけれども、前半・後半につなげたのです。そうして全ての国民が歌える国歌を創出しました(1997年大統領令)。こういう仕事こそ政治の役割です。

ラグビーの話に戻ります。初の黒人主将が世界一に導いたことを喜ぶと共に、「黒人初の」という枕詞が早く全ての分野でなくなるようにと祈ります。 JK