2021/02/17今週の一言

日本聖書協会「改訳」(いわゆる「口語訳」1955年)と、「新共同訳」(1987年)では節の区切りが異なるところもあります。たとえば詩編冒頭の「表題」部分を節として数えるかどうかで、一節ずれています。一体どうしてこのような齟齬が生まれるのでしょうか。そもそも「章」や「節」は最初から聖書にあったのでしょうか。一体誰が付けたのでしょうか。

旧約聖書に「章」というものは当初ありませんでした。今の章よりも大きな区分で創世記から申命記まで(モーセ五書)を54に分け、54の区分をその冒頭の単語で呼び慣わしていました。たとえば、創世記1章1節から6章8節までが第一の区分です。創世記1章1節の冒頭の単語「はじめに」に因んで、第一の区分を「はじめに」と呼んでいたのです。54の区分は毎週の安息日礼拝の朗唱箇所と合致しています。ユダヤ人たちは一年かけて五書を礼拝の中で通読しています。当初は創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記という五つの区分もありませんでした。紀元前6世紀に生まれたモーセ五書は「トーラーTorah(教示の意)」という名前の一冊の本だったのです。

転機は旧約聖書のギリシャ語訳です(紀元前3世紀)。ギリシャ語翻訳者たちは五書の内容に応じて五つに区分し、内容を要約した五つの「書名」を付けました。それはそのまま日本語訳にまで踏襲されています。そしてキリスト教はギリシャ語訳旧約聖書と外典とギリシャ語新約聖書を正典とし、ユダヤ教はヘブライ語旧約聖書を正典とします(紀元後1世紀)。この分岐が冒頭の齟齬の要因となります。

ユダヤ教は朗唱の休符のために「節」を作成しました(紀元後2-5世紀)。「章」よりも「節」の方が先に考案され、それはユダヤ教正典から始まりました。ヘブライ語の旧約聖書にだけ「節」があったという時代が長く続きます。  

「章」を創設したのはキリスト教でした(紀元後13世紀)。「章」という区分を「節」と関係なしにギリシャ語/ラテン語訳聖書に付しました。ユダヤ教は「章」という区分の便利さに気づき、「章」についてはキリスト教会に倣いつつ、すでに定着していた「節」をそこに重ねました(紀元後15世紀)。それを見たキリスト教はギリシャ語/ラテン語訳聖書に「節」も施します(紀元後16世紀)。その際に、ヘブライ語正典の「節」の区分を参考にしてはいたものの随所に独自の分け方が残りました。

改訳はキリスト教の「節」の区切りを踏襲し、新共同訳はユダヤ教の「節」の区切りを踏襲しています。非常に錯綜した「章」「節」の歴史の中に、キリスト教とユダヤ教の関係の深さを感じます。JK