2020/07/08今週の一言

先日転入会式を行ったOHさんの証を掲載いたします。

転入会の証

私は1991年2月、福岡市で生まれました。両親も同居する祖父母もクリスチャンという家庭でした。毎週、母の車に姉と妹と3人乗せられ、福岡城西教会の教会学校に通いました。大人の礼拝中は同年代の子どもたちと、木登りをしたり、外を走り回ったりして遊んでいました。楽しい時間を過ごせる教会が大好きでした。小学5年生になる春、天城山荘であった全国小羊会キャンプに参加しました。2日目の夜、リーダーからバプテスマを受ける決心をした人はいませんか、尋ねられて「はい」と答えました。決心カードのようなものに、「いつか執事になりたいです」と書いたのを覚えています。教会の執事と動物の羊の区別もついていないような子どもでしたが、父も祖父も「執事会に行く」と言って出かける姿を見ていたので、そう答えたのだと思います。その年の9月9日、バプテスマにあずかりました。アメリカ同時多発テロの2日前だったこともあり、よく覚えています。この時の気持ちとしては、神様のことは好きで信じていましたが、大人の仲間入りをしたいと思いがバプテスマを決心した最大の理由だったような気がします。

中学生になると日曜日も部活があったこともあり、教会から離れました。一転、高校生になると、部活は日曜休みでしたし、地方連合の少年少女会の役員をしたり、教会の研修神学生と仲良くなったりしたこともあり、どっぷり教会に浸かりました。関西の大学に進学してからは、下宿近くの教会に月1、2回ほど通っていました。しかし、大学生らしく遊びやサークルで忙しい日々でしたし、なんとなく教会の人になじめず、義務感のような気持ちで通っていました。

大学卒業後、現在の会社に入社しました。初任地は横浜でした。忙しい日々で日曜休みもあまりなく、教会に行くタイミングを失ってしまい、まったく礼拝に行かなくなりました。神様に支えられて生きていることも、忘れかけていた気がします。翌年、京都に転勤しました。京都でも、教会に行かないとなあと思いながらも、まったく行けていませんでした。仕事も忙しい日々が続きました。自分は要領が悪いので、仕事につまずくことも増え、悪循環に陥り、心身ともに疲れ果てました。今だと自分の体が弱いことをしっていますが、当時はあまり自覚がなかったので無理をしてしまい、心身を崩してしばらく会社を休んで療養していました。

そんなあるとき、不安な気持ちだったためか、母に電話をしました。理由は覚えていませんが、途中で父が電話をかわりました。その時にこう言われました。「心配せんで大丈夫やけん。いろいろあるけど、この世はサタンではなくて、神様が支配しとるんやけん、悪いことばかりではないんよ」。電話を切った後、神様が側にいてくれる安心感を実感しました。忘れかけていた、神様の愛に真っ正面から気がつけた体験でした。

その後、「さすがに教会に行こう」と、日本バプテスト京都教会に行ってみました。みなさん暖かく迎えてくれて、居心地がよく、可能な限り通うようになりました。特に青年の仲間たちと教会学校や飲み会の席で信仰のことを語り合うのが好きでした。仕事に戻ってからも忙しかったですが、自分の隣でいつもイエス様が手を引いてくださっているような感覚があり、不安ななかでも前向きに働くことができました。また、交際している方から「教会に行ってみたい」と言われ、驚きつつも一緒に通うようになり、昨年2月にはバプテスマにあずかることに。バプテスマ式を見てこれまで感じたことがない感動を覚えました。そして、昨年東京に転勤になりました。現在の部署は以前よりは多忙ではなく、余裕のある日々を過ごすことができています。

さて、最近、私の信仰に関わる出来事がありました。先月、最愛の祖父が88歳で天国に行ったことです。祖父は子どもの頃、事故で失明しました。福岡から東京に出てきて、キリスト教主義のはり治療の学校に通い、はりを学ぶと同時にクリスチャンになりました。福岡ではり治療院を開いてからは、大勢の人を癒やしてきました。祖父はよくこう言っていました。「目が見えなくなってよかったと思ってるよ。だって見えなくなったからこそ神様に出会えて、はりで多くの人たちのために働けて、そして素晴らしい家族にも恵まれたんやから。感謝しかない」。祖父はここ数年、毎年のように入院して今夜が山だといわれながらも、驚くほどに回復してきました。私はそこに神様の奇跡を見ました。でもさすがに「そろそろ私のもとに来なさい」と神様から言われたのか、家族に見守られながら天国にいきました。その時、やっぱり神様は苦しい時でもうれしいときでも、最期のときでも、どんな時でも愛を注いでくれていると実感しました。

そんな愛を祖父は普段からよく気付いていたように思います。一方私は、その愛を受け止め、日々信仰深く過ごせているだろうか。そう考えさせられました。イエス様だったらどうするのか、いつも考え、祈りながら、生きて行こうと気持ちを新たにしました。

今回こうして泉教会への転入会の恵みにあずかれることも神様のご計画の一部だと思います。私は、教会籍をどこに置くかということに特にこだわりがありませんでしたので、一度も変えたことがありませんでした。でも、京都教会で一緒だった青年をきっかけとして泉教会を知り、昨秋に城倉啓牧師らに誘われて居酒屋で教会についてのお話を聞いて「自宅から遠いしどうしよう」と思いながらも通うようになり、自宅の近所でも教会を探してみてもしっくりくるところが見つからず、突然城倉牧師から「転入会来週でいかがですか」と言われるなど、いろいろなことがありましたが、すべて転入会への導きの一環だと感じました。また、泉教会に通ってうれしかったのは、教会というのは立派な礼拝堂など建物のことをいうのではなく、神様のもとでの人の集まりだと実感できたことです。本当に暖かい教会だと思いました。

理屈の上でいったら、たぶん通わなかったであろう泉教会にこうして転入会することになるような、思いもよらない道を示してくれる、神様にこれからも従って生きていきたいと思います。転入会の恵みを神様に感謝し、教会のみなさんのお祈りに感謝します。いっそう信仰を深めるよう努力しながら、この世の旅路を歩んでいきたいと思います。